第一節 4話 お泊り会
そこからの段取り作成は早かった。
ミコには午後の授業前に手紙を渡して、夜中にあたしの寮まで遊びに来ないかと伝えた。手紙を読んでいる時にミコは笑顔を見せた。授業の後に当然断られたけど、内心は来たがっていると見た。ここは押す一手でしょ。
学校が終わり、教室から校門に向かうまでの間、三人でスケジュールを組み立てる。悪い事を計画するってドキドキしてテンション上がるわー。
「僕が女子寮の夕飯前にアルカの所に行って梯子を渡す」
「消灯から三十分以上経った午後十一時半に、あたしが窓からペンライトで合図を送って、縄梯子を垂らす」
「で、明日の午前五時半に、調理師さん達が朝食を作るために出勤してくる前、バレないように脱出して家に戻る」
どう? と、あたしとレンはわくわくしながらミコを見つめる。
ミコも少しづつ乗り気になってきているようだ。今日最後の授業中に考えを改めたらしく、浮かれた感じになってきている。
「できなくはないと思うけど、アルカちゃん迷惑じゃない?」
「とんでもない。言い出しっぺはあたしだし」
「この計画で一番害がありそうなのはアルカだね。僕たちが帰った後に必ず二度寝して遅刻するね」レンがニヤニヤしながら冷やかしてきた。
その通り。さすがレン。「善処するであります」と返すのがやっとだった。
生徒玄関から外に出た時、ミコの足が一瞬鈍った。眼帯をつけていない目線の先を追うと、昨日も見かけた高級車が校門の横に停まっていて、横に運転手が立っていた。迎えに来たのだろう。二宮那美の姿は今日は見えない。
「どう? やる?」あたしはミコをもう一度誘った。ここで断られたら全て破談となる。
ミコは力強く頷き「絶対行く」と覚悟を決めた声で答えた。
「うし!」胸の前で小さく拳を握ったあたしは、レンとも目を合わせて頷き、二人が校門から出て行くのを見送ると寮に戻った。
あたしの寮は午後の十時四十五分には消灯、就寝時間になる。男子寮はグラウンドを挟んで二百メートル以上北側にあり、望遠機能付き暗視ゴーグルでも無ければあたしの部屋のあたりは見えるはずがない。まさか軍人並の装備を用意して覗きに集中している男子はいないだろう。女子寮のスタッフは十五名ほどいるが、多くは通いの調理師である。住み込みで寮生のメディカルケアや洗濯などの手助けをしてくれている寮母さんは優しく、うちの高校の卒業生でもあって女子寮生には寛容だ。夜中に出歩いて別の部屋で遊んでいたのがバレたとしても、初犯ならそれほど厳しくは叱ってこない。あたしは寝坊の常習犯として目を付けられているが、夜中に問題行動を起こしたことは一度も無い。気付かれない自信がある。
放課後にお菓子や飲み物を三人分買い溜めて、同じ学年の友達からガードしつつ部屋に運び込み隠した。夕食前には予定通りに寮の死角でレンと合流し、ブツ(縄梯子)の受け取りに成功。縄梯子を入れたスポーツバッグが予想以上に重かった事と、悪乗りしたレンが父親のサングラスをかけており、南米マフィアのように目立ってたのはまいったが、滞り無く計画は進んだ。
消灯時間を過ぎても、しばらくは廊下を歩く寮生の気配は消えない。一階の自動販売機でジュースを買うために階段を降りる足音。どこからか聞こえる低くこもった笑い声。ただ、予定の時間には廊下の気配は消え、静寂が寮全体を包んでいた。
午後十一時半。あたしは計画通り、窓を開けてペンライトを点滅させた。大まかな部屋の場所は伝えてあるため、二人はすぐ近くに潜んでいるはず。
すると、フェンスの陰から合図があった。スマートフォンの光らしい。暗くて顔を確認できないが間違いないだろう。
あたしは事前に窓枠に結び付けていた縄梯子を、音を立てないよう警戒しながらゆっくりと下ろした。すると暗闇から小さな人影が忍び足で近づいてきた。ミコだ。
あたしたちは口に人差し指を立てて声を出さないようにしつつ、互いの顔を確認する。そしてミコは意外にも素早い動きで危なげなく二階まで登り、窓枠に座りながら靴を脱いで床に降り立った。
「レンは?」
「急に来れなくなったって。とりあえず梯子片付けよ」
ミコの返答を聞き、二人で急ぎ縄梯子を引き上げた。かなり古い縄梯子だったが、ロープは太くてしっかりしている。降ろす時と違い重くて苦労したが、無事誰にも気付かれることなく回収できた。レンのスポーツバッグの中に片付けてから窓を閉めた。
「ふう。どう? 問題無かった?」
「うん。家には母さん以外に住み込みの信者さんもいるけど、バレてないと思う。あと、これレンちゃんからのメール」
ミコのスマホにはレンからあたしに宛てたメールがあった。『すまない。父が珍しく帰宅しておりセキュリティが厳しい。脱出不可能』とある。あたしのスマホは寮の金庫に保管されているので、ミコに伝言を頼んだのだろう。
「そっか。残念だけど仕方ないよ。まあミコだけでも来てくれて嬉しい」
あたしのセリフを聞いてミコはニパッと笑った。今になって気付いたが、眼帯をしていない。怪我は案外軽かったようだ。
「目、治って良かったね」
「うん。ありがとう。心配してくれて」
カーテンを閉めて目立たないように暗くしていた部屋の明かりを点けると、テーブルの上にお菓子の山が現れた。真ん中には何かの景品に付いてきたプラスチックの小さなロボットの人形が置いてあり、その両手の上には『第一回 みんなで楽しいお泊り会』と書かれた紙が乗っている。
「すごい! これアルカちゃん一人で準備したの?」
ミコは興奮して少し声が大きくなっている。あたしは慌てて人差し指を口に付けて「シーッ」と言った。ミコは真剣な目をして自分の手で口を押さえると、黙って頷いた。
「大食いのレンも来ると思ったから、多めに用意したんだけどね。まあ、日持ちするお菓子ばかりだから、余っても後で食べられるしいっか」レンの好きな百パーセントのオレンジジュースだけは捨てなければならないかも。冷蔵保存品だが部屋には冷蔵庫が無いので鮮度が保てない。
「これ、お金出すよ。いくらかかったの?」ミコが財布を取り出した。身体に似合わず巨大でゴツい高級そうなやつだ。
「別にいいって。安いジュースと駄菓子ばっかりだし」
実はそれなりに懐が痛かったのだが、平気なフリをして見栄を張る。
「本当にごめんね。私、アルカちゃんに気を使わせてばかりで……」ミコの顔が曇り肩を落とした。
「どうってことないよ。あたしもごめんね。教室とか人の多いとこでガンガン質問浴びせちゃって」
ミコは静かに首を振った。痩せた小さい体の肩が丸まり、普段よりも更に小さく見える。
「それと、お母さんのこと、本当にごめんなさい」
「いいって。ほら、あたしもあの後テストの復習するとかウソついたし。それにせっかくミコが心配で来てくれたお母さんに失礼な態度とっちゃったし」
あたしが話してる間に、ミコは鼻を啜り、手で目を拭い始めた。ああもう。怪我した所にバイキン入ったらどうするの。
「ごめんね。アルカちゃん」
「ストップ。はい、ここ注目」あたしは素早く、ロボットの人形の上にある紙をめくった。するとその下から『ごめん禁止』と書かれた紙が現れた。
ミコはすぐに謝る。最近はあたしやレンに対して、ごめんが口癖になってしまっている。
湿った流れになった時に備えて、あらかじめ先手を打っておいた。
「今日のお泊り会は、ごめん禁止です。今後ごめん一回につき、変な顔をしなければならないって罰が与えられます。オーケー?」
「変な顔?」
「そう。変な顔。片方が認めるまで、百回でも二百回でもやらなきゃならない」
「それは、厳しいね」ミコは涙が引っ込み、生唾を飲み込んだ。「わかった。頑張る」
「よし」
あたしはミコが手に持ってる財布を、ミコのポケットにねじ込んだ。
「友情にお金は不要。済んだことは忘れて、語り明かそう。ね?」
あたしの言葉を聞いて、ミコは頷きながら「ありがとう」とはっきり言った。
薄暗い室内で、あたしとミコのひそひそ話は続いた。話題はたわいのない出来事が多かった。君爺は車を意外に飛ばすことから元ヤン説。食堂の牛丼はネギ抜きを頼むと肉をちょっとだけ多くしてくれる裏技。四階の視聴覚室からは男子寮の大浴場がちょっとだけ見える。
お菓子をポリポリと咀嚼する音と、ミコのクスクス笑う声は、日付が変わっても止まらなかった。
何気なく気になる男子の話題になり、あたしは一通り学校の男子をディスった後に、ミコはどうなのと尋ねた。
「学校には、いないかな」
「む。ということは学校外にいるということですか二宮さん」棒状のおやつをマイクのようにミコの口元へと突き出す。
「へへへ。うん」
ミコのほっぺと目がだらしなく垂れた。
誰だろうか。斐氏神社にいる信徒さんかな。
「私はともかく、レンちゃんがすごくモテるとか知ってた?」
「いや。初耳だね」
中学時代は知らないが、レンは家柄も良く頭は高校の同学年でトップだ。モテるのは当然だろう。
ミコも可愛いし血筋は良いと思うが、実家の関係や普段の立ち振る舞いのせいか、言い寄られたって話は聞かない。
「中学時代も頭が良くて、今と違ってコンタクトだったからかな。数人に告白されて付き合ったけど、すぐに振ったんだって。高校入って眼鏡にしたのはモテたくないからだとか」
「ふうん。性格はサバサバして乙女っぽくないから、モテないかと思ってたけどね。やっぱり頭が良いと特なのかな」
「そりゃあね。周りからも一目置かれると思うし」ミコはあたしの枕を抱きしめて顎を乗せた。「私もレンちゃんの半分でいいから、頭良くなりたいよ」
「頭が良くなって、愛しの殿方に振り向かれたいと」
途端にミコの顔が赤くなった。「もう、そういうことじゃないって!」枕でボスボスとアルカの頭をはたく。
「あはは。ごめんごめん」
「あっ、今ごめんって言った」
「あ」
その日唯一の罰ゲームの罠は、仕組んだあたし自身が踏み抜いたのだった。
深夜二時前。笑い疲れたあたし達はそろそろ眠ることにした。
「ねえ、アルカちゃん。一緒に寝ていい?」
「え? うん。いいけど」
「やった。二段ベットって落ち着かなくて」
空いていた上段のベッドから降りてきたミコは、下段のあたしのベッドに潜り込んできた。ミコは小さいのでそれほど狭さを感じない。
「乱れ箱だっけ。髪の毛を入れる箱は、持ってこなかったんだ」
「うん。忘れてきちゃったけど、多分問題無いよ」一つにまとめていないミコの髪は、レンが言っていた通り長く美しかった。
「アルカちゃん、本当に色々とありがとね。私、高校入って良かったと心から思えるよ」
「よしなよ水臭い。親友なんだから当然さ」
「親友。へへへへ」
真っ暗で顔は見えないが、ミコがご機嫌な気配は伝わってくる。
「私、昔から家のことで振り回されてきたから、学校じゃレンちゃん以外の友達いなかったんだよね。素の私と真剣に付き合ってくれたのは、アルカちゃんで二人目だよ」
ミコは話したがっている。正直、ベッドに横になった時点で眠くて仕方ないのだが、そこは堪えてミコの頭を優しく撫でる。
「斐氏教の教義で、あまり詳しいことを言っちゃいけないんだけど。私は昔からそういう能力が強いらしくて、普通は見えないはずの物が見えたり、ありえない経験をしたりしてさ。学校でも急に騒いで周りに迷惑かけ続けてて」
ミコの髪は柔らかくて気持ちいい。指ですくと絹のようになめらかだ。
「母さんには高校に行く必要は無い、中学を出たら家を継ぐ準備をしろって言われてたから、そういうのを強制されるのが嫌だった。高校に通ってる間だけ、家から離れられると思ったから通い始めたんだけど、やっぱり学校でも肩身が狭くて。でも、レンちゃんだけじゃなく、こうしてアルカちゃんにも出会えたんだから、入学して正解だったかなって思えるよ」
ミコは小さくあくびをした。つられてあたしもあくびをする。
「ありがとう。アルカちゃん。本当に」
あたしは体を横にして、ミコの小さな手を両手で包み込んだ。
「大丈夫。ミコは一人じゃない」
そっと呟き、そのまま眠りに落ちた。
「……ありがとう」