第九節 38話 赤の書とアルカの不満
その後も水曜会について色々とアルベドを調べたが、真新しい発見は無かった。マリウスの捨てた夢が足りなかったことが大きい。浄化された澱みが足りないのだ。
気になっていたスイスのテロリスト、リディアナ・フランシスカとの関係についても調べたが、こちらも収穫はゼロ。那美もフランシスカについての情報を何一つ持ってなかった。そりゃそうだよね。スイスはクルーチスのお膝元。斐氏教を海外に展開させてるっていっても、情報収集には限度がある。
マリウスと知り合いの可能性が高いと伝えておいたが、新情報はあまり期待できないかもしれない。というか、その後マリウスに対してたっぷり尋問したから、いずれはフランシスカの夢を見てアルベドに捨てるはず。その後あたしが枝の力で調べれば一発で分かるので、深く考える必要は無かった。後回しでいいでしょ。
あたしは徐々に、学校に通わなくなっていった。
学校に通う必要が無い。というより、学校に通ってる場合じゃないのだから当然か。
コミュニオン。クルーチス。そして水曜会。それぞれの組織を調べて、あたし自身の身を守りつつ、斐氏神社の利益になるように立ち回る道を探す。
まだ正式に斐氏神社に籍を入れたわけではないが、今では那美とほぼ同格の人物として仕事をこなすようになっている。
死んだ森崎議員を継いで繰り上げ当選した議員との会談。地元警察署長、地元消防署長、県の病院理事会長。偉い人たちが次々に斐氏神社にやってくる。
那美の横に座ってぼんやりと小難しい話を聞いてるだけなのだが、これがまた苦痛で退屈。みんな那美の言うことに頷いてるだけなんだから、あたしがいる必要無さそうに思えるんだけど。組織の運営って大変なんだね。
こうしてミコよりもミコの母親と会っている時間のほうが確実に長くなっていった。
そんな日々の間にも、あたしは枝を使い、次々に調べを進め続ける。
一番最初にやったのは、英語とドイツ語とイタリア語のマスター。マリウスが習得していた言語だ。
図書館に行きトウを開き、半覚醒状態のまま辞典をめくり、全ページ枝を通じて魂に暗記させた。トウを開いていない時はドイツ語やイタリア語なんてさっぱりだが、覚えているのは魂だ。必要な時だけ半覚醒すれば、アルベドで翻訳しながらニグレドの文面を理解できる。英語のテストの時の応用だ。
これでようやく、マリウスの澱みが消える時に浮かんだ言葉の意味が解った。
イタリア語で『黒はスイスにある』
ドイツ語で『手に入れろ』
英語で、スイスで起きたテロの首謀者の一人、リディアナ・フランシスカに向けた一言『愛してる』
これだけじゃ何が何だかわかんない。
確実なのは、マリウスがフランシスカというテロリストの女性を愛してるって点しかない。
ミコと結婚するつもりだったくせして、なんたる外道。
そして、次に可能性の高い事実として、スイスのテロに水曜会が関わっている。それは、『黒』という何かを手に入れるのが目的だったのかもしれないってこと。
色々と推理推測はできるが、所詮は澱み。マリウスがニグレドでストレスに感じていた出来事の結晶だ。後日マリウスを調べる時にでもついでに調べたほうが確実だ。変な先入観は持たないほうがいい。
で、今のあたしが一番興味を持っているのが、目の前にあるこれ。
カール・グスタフ・ユング著『赤の書』
縦四〇センチ、横三〇センチほどの、辞典よりやや大きめの、本というよりは画集。ちなみに日本でも市販されている。
マリウスの隠れ家を探った斐氏教の信徒が、大量の重火器や通信機と共に見つけたものだった。
この本はパソコンの横に、大切に置かれていたらしい。
ちなみにパソコンのデータは、一定の時間立ち上げなければ自動的に消去される仕組みになっていたらしくて、踏み込んだ時点で既に空になっていた。国家公安警察が協力して、重火器の出所を調べつつデータの復旧作業をしているらしいが、期待はできないらしい。
唯一の手掛かりと思えるものが赤の書だけだった。
とはいえ、あたしには分かっていた。この本は特に新しい発見をもたらさないと。
半覚醒状態でトウを開き、翻訳しながら赤の書をペラペラとめくっていく。
ユングが夢に見たことを書き綴ったという、イラスト入りの日記。
普通の人が見ても、ミステリアスなイラスト集にしか見えないはず。だが、あたしには理解できた。
このイラストは、アルベドだ。
あたしの精神状態が悪い時に見た夢の数々。幾何学的で、法則が無いようで規則正しく存在する、不安定な世界。それが、絵として残されていた。
マリウスが言うには、水曜会を立ち上げたのがフロイトで、ユングといえばフロイトの弟子として最も有名なうちの一人だ。水曜会の後の組織、スイス精神分析学協会の初代代表でもあるし。
ドイツ語で書かれた本文を斜め読みするが、注釈や付記にも深い意味は無い。大切なのはアルベドの絵のほうだけだ。
全て読み込み確信した。
ユングはアルベドロードだった。
それもとてつもなく優秀な。
彼の主張した集合的無意識という世界。人間に限らず、植物までが持ち合わせているという生来的な界層。それはそのまま、アルベドのことだった。
ユングのイラストにある不気味な世界の数々は、実在する。
ユングが作った世界と、他人の夢を手繰り寄せた世界が混ざっているのだろう。夢が無秩序で不安定すぎる。
精神科医であり心理学者でもあったユングは、夢の世界を解き明かすことが得意だったらしい。それはまさしくアルベドロードの証左だ。他人の夢を覗き、澱みを心の病と呼び、解き明かして浄化したのだろう。
妖の枝を持つあたしなら容易い。枝にひっかけて持ち上げるだけだ。だが、枝を持たないはずのユングには非常に難しかったはずだ。素直に称賛しちゃう。
アルベドのことが書き記された書物は、予想外に多く出回っていることがわかる。マリウスの知っていたエジプトの死者の書にも、アルベドらしき世界についての記述がごまんとあるが、聖書に書かれているというヤコブが夢で見た天使の梯子なんて、そのまんまトウから漏れた光のことだ。コミュニオンが築いた聖堂にしつらえた雨どい、ガーゴイルなんて、しっかりとトウの開く高さに作られている。天国から迎えに来た人を捕獲する気満々の装飾品だ。なんとなく分かってたんだね。このあたりと天国が繋がるぞ! みたいな。
尊い魂を魚に網をかけるように捕獲するなんて。イベントリーダーであたしが作った世界で魂を弄んでいると憤慨していたマリウスの気持ちも分かる。
ギリシャ神話、北欧神話、エジプト神話、インド仏教の曼荼羅、南米、中国、日本。古今東西の神話伝説は、天国すなわちアルベドの記述にあふれている。
フロイトは独学でアルベドの認識に至ったらしいが、ヒントがそこら中に落ちていたからこそ可能だったのだろう。
枝を持つあたしには簡単なことでも、学者が自力で到達するのは大変だったはず。
マリウスは、コミュニオンがブレイクスルーに達したのは産業革命前、植民地支配の拡大の頃と言ってたが、たしかにそれ以降はアルベドに関して具体的に記述した神話や伝説が少なくなった。それらの奇跡が全て科学に置き換わっている。
そんな中で、ユングの赤の書は実に希少な一品だった。
頑張ったんだね、先輩。
同じ学者でもマリウスとはえらい違いだ。
あたしは赤の書に溢れている別世界のイラストを見つめつつ思った。
現代の地球上とは違う、様々な世界が描かれている。
……。
ところでマリウス、ドラゴンとか巨人って言ってたかしら。
……。
ファンタジー。ぐっふふふ。あたしの中二心がくすぐられる。
ちょっとくらい見てみたい……。
ささっとトウを開いてアルベドにレッツゴー。
「あたしが魔法少女になって世界を飛び回る世界」
ほうきに乗って空を飛ぶあたしの姿が現れた。
変な杖を持っていて、先から火を放った。おお、すごい。
しかし、学校の制服だから、下着が丸見えになっている。
このあたりはご都合主義が働いてくれない。わりと不親切!
「消えてよし」
創造したばかりだけど、見るに堪えない。
今作られた世界は、あたしが日常生活の中で見た創作物、テレビや映画、アニメに漫画、伝記や小説といった刺激から得られたイメージが原形になっていた。
何度も使っているうちに、イベントリーダーのコツもすっかり掴んだ。世界を創るには、具体性プラス他者の常識が重要なのだ。共通した知識のある世界ほど近くに創造できる。
逆に言うなら、あたしの精神力だけでは、創造できる世界もたかが知れているということだ。
ギリシャ神話や北欧神話のドラゴンや巨人はアルベドに常識として濃く残っているので、比較的近くに世界を作り出せるが、マイナーで歴史の浅いクトゥルー神話の邪神たちは情報が少ないので、目の前に現れてくれない。
「異世界のすんごいテクノロジーがある世界」
世界が創造された波動すら感じなかった。
おそらく、認識不可能なほど、とてつもなく遠い場所にできちゃったんだろう。
「空飛ぶほうきがたくさんある世界」
わりと近くに現れた。見知らぬおばちゃんが買い物袋をぶら下げながら、ほうきで飛んでいる。
「ほうきが空を飛ぶ原理が科学的に解明されて、一般人でも知見が可能な世界」
今度はとてつもなく遠い場所に世界が現れた。
これは、あたしが物理学や航空力学といった、空を飛ぶ原理を理解するために必要な科学に興味が無いため、こうなってしまったものだ。だが、今の願いをパイロット養成所や航空自衛隊あたりで願うと、あたしよりはるかに知識や想いが強い人々の願いが加味されて、視認可能なあたりにできるはず。
妖の枝は、多くの平和で前向きな人々が集う場所ほど、真価を発揮する。
と、ここまで効果的な使用法やメリットばかりを考えていたが、実はマイナスもあるんです。
枝を認識覚醒して以降、望まない夢を見ることができなくなってしまったのだ。
つまり、好きな物をお腹いっぱい食べたり、国旗がパンダになったり、悪夢だったりといった、普段なんとなく見ていた夢が、枝の影響が強すぎて、望んで寄せなければ見ることが無くなったのだった。
まあ、悪夢を見たい人なんて滅多にいないだろうけど、幸福な夢も見ることが全く無い。具体的に望めばいくらでも見られるんだけど、そもそも具体的な望みが浮かばない。今のあたしは常に満たされ続けてる。かといって、寝汗をかいちゃうくらい怖い夢も思い浮かべることができない。悪夢を見ないってことは、不安や恐怖といった負の感情を追体験しないことになる。自分の感性が鈍っていくようで少し不安だ。
夢を見ない日々。これはこれで寂しい。このあたりは、妖の枝を認識覚醒したことによる残念な点だった。
頭がクリアでずっといい気分だけど、日常生活から味覚が消えたように感じる。
あたしはここの住人ではないのではないか? なんて時々思えちゃったりしてくるのであった。