第八節 35話 夏休み最終日の学校 2
明日から学校だから、夏休み中に実家に帰省していた学生達がどんどん寮に戻ってくる。
休み中は寮生に食事は出ないが、休みの明ける三日ほど前から学生食堂を開放して昼食だけ提供するのが、鰐丘高校の定例になっていた。
宍戸さんの宿題は、あと半分ほど残っている。残りは午後からやる事にして、あたし達四人は寮生や部活で来校している生徒達に紛れて、学食で昼ごはんを食べることにした。
「お腹いっぱいで食べられないー」
「しぃ、お菓子食べ過ぎ。ちゃんとバランス良く食べてだな、ビタミンやミネラルをちゃんと摂らないと」
「あ、カレーにヨーグルト付いてる。あっちゃんカレー食べなよ。で、ヨーグルトだけしぃに頂戴」
安上さんがついにキレて、宍戸さんのお腹を摘んで引っ張り始めた。「いい加減、あたしの話を聞け」
「痛い、痛いよあっちゃん」
あたしとミコは、そんな二人の様子を眺めながら、からからと笑った。
「席、先にとっておくね」
あたしは手っ取り早くおにぎりを頼み、先に四人分の席を探して歩いた。
夏休み中だが食堂は意外と混んでいる。寮生だけではなく、運動系の部活をやっている男子生徒も来ているらしい。汗臭さが充満してて、声が大きく騒々しい。
テレビの近くの席が、丁度四人分空いていた。隣には食事が終わっているのに泥の付いたユニフォームで大騒ぎしている男子がいる。不潔だが、他に固まって空いてる席が無いので仕方ない。
あたしが席をキープしてると、遅れて三人も注文した食事を手にやって来た。
「はい。カレーと交換」
安上さんと宍戸さんは、二人ともカレーを頼んだようだ。そして、宍戸さんのカレーと安上さんのヨーグルトを交換している。
「宍戸さん、ずっと甘い物ばかり食べてるね……」
「そんなことないよ。ヨーグルトは健康食だよ」
会話がいまいち嚙み合ってない。さっき食べてたチョコは甘い食べ物だが、ヨーグルトは甘くない健康食だと言いたいのだろうか。
「しぃは昔からずっと偏食なんだ。そのうち病気になるぞ」
「カレーばかり食べてるあっちゃんに言われたくないよ」
最後にミコが、まずいと評判のラーメンを持ってきて席に座った。四人で他愛もない事を話しながら食事を進める。
「このラーメンすごくおいしい」
ミコの言葉を聞いて、学食派のあたしと安上さんは若干引いた。
「ミコ、それ学食じゃかなり不評なんだけど」
「ええ? でも、私は好きだな、この味」
「二宮もしぃと同じで、おこちゃま舌だったか」
「へへへ。何とでも言ってよ。この味は通にしか分からない味なんだよ」ミコはドンブリを持ってスープを飲み始めた。
単純に、ラーメンを滅多に食べないから、化学調味料の味が新しいだけなんだと思うけど。ミコが気付いてる様子は無い。
斐氏神社で出された食事は全て値の張る食材で作られた薄味の健康食だったから、いつも弁当派のミコにとっては、安いラーメンも新しい味に感じるのだろう。
那美がインスタント麺をミコに買い与える姿なんて思い浮かばないし。
「よう安上。二学期から停学明けるんだってな」
その時、隣のテーブルにいた男子生徒達の中の一人が近寄ってきて、あたし達の横に立った。同じクラスの運動系の部活をやっている生徒だ。ジャージが汚い。
「おかげさまでね」
「散々だったな。停学になった上に、マリウスにコクって振られたんだよな」
「別にコクってねえよボケ」
安上の顔が少し赤くなった。カンニングでの停学についてはそれほど意識してない様子だが、マリウスの話を振られて顔を赤らめたようだ。
安上さんもミコと同じく、あいつに惚れちゃってるんだろうか。
イケメンだから無理もないけど、みんな男を見る目が無さすぎだよ。
人殺しのサイコパスだよ? あいつ。
「おまえらなんで学校に集まってんの?」
「夏休みの宿題だよ。全員でやろうって話になった」
「まじ? なあ、俺にも見せてくれよ。頼む」
「知るかよ。一人でやれバーカ」
「そこをなんとか!」
「うっせーな。しつこいぞキューピー」
男子生徒はソフトモヒカンっぽい髪型をしている。クラスでも三枚目の立ち位置だから、陰でキューピーとからかわれていることも多かった。
この程度の軽口、いつもは気にしそうにないキャラの男子だが、なぜかカチンと来たようだ。顔が強張って引き攣っている。
「へっ。じゃあ別に良いよ。けど残念だったな。英語の宿題はやっても無意味だぞ。回収する先生がいないからな」
「あ? どういう意味だよそれ」
「俺らの部活の顧問が言ってたけど、マリウスは夏の間にヨーロッパに帰ったんだってよ。明日からまた担任変わるんだってさ」
あちゃあ。
遂にバレたか。
実際は斐氏神社の地下に軟禁されてるんだけどね。そういう話の流れにする予定だと聞いてはいたが、もう噂になってたか。
男子生徒の情報を聞いて、安上さんだけではなく、宍戸さんやミコも狼狽した。
「え、それホント?」
「ウソだあ。そんなことあるわけない」
「ウソじゃないって」男子生徒は訳知り顔になり、得意気に話を続ける。「職員会議で決まったんだってさ。次の担任は柔道部のマルになるらしいぞ」
それはあたしも今知った。
またマルかあ。
というか、二年になって半年たたずに三人目の担任ってねえ。あたしは事情を知ってるからどうとも思わないけど、クラスメートは混乱する。
安上さんとミコは、明らかに肩を落としている。同じ反応は明日の教室でもたくさん見られることになるだろう。
「マル先生って、あのハチミツ入った壺が似合いそうな人?」
宍戸さんだけは相変わらずマイペースだった。
「うん。そう」
実際にはハチミツよりもプロテインを愛してると思うよ、奴は。
「ヨーロッパに帰るって、マリウス先生本人が言ったんですか?」ミコが男子生徒を真っすぐ見つめて尋ねた。
すると、男子生徒の顔が赤くなった。
「ああ。校長先生が直接話をしたとか言ってたらしい」
「らしいってことは、校長先生しか話を聞いてないってこと?」
「ああ。なんならさ、俺が校長のとこ行って、どんな話をしたのか詳しく聞いてきてやろうか?」
はっはーん。
あたしはピンとくるものがあった。
こやつ、ミコに気がある。話を続けたがってる。安上さんを踏み台に使って近づこうとしたんだね。
しかし、ミコがマリウスに気がある所までは察していないみたいだ。恋は盲目。
「ううん。そこまではいいよ。ありがとう」
ミコに礼を言われて、男子はますます舞い上がった感じになってる。
「けど、あいつも無責任な奴だよな。『ボクは日本が大好きです』なんて、媚びた感じが気に入らなかったんだよ。そのくせ女子に人気があるからって、いつもニヤニヤしててさ。野郎はみんな胡散臭い奴だよなって気付いてたよ。案の定、簡単に仕事辞めやがって。ほんといい加減な奴だよ。いっつも高そうな香水付けてたしよ」
男子生徒の空気の読めないマリウスへの陰口に、女子テーブルの空気も剣呑になってくる。
男子全体がマリウスに嫉妬する気持ちはよく分かる。だが、さすがに女子に同意を求めるのは地雷だと思うよ。
あたしだけは同意してあげるけどね。
「しつっこいぞキューピー。おまえの汗臭さよりは先生のほうがマシだ」
「うっ、うっせーな。あんな担当している生徒達に挨拶すらしないで消えるような奴、なんで庇うんだよ」
「その話が本当だとしても、マリウス先生にも何か理由があったんだと思うよ」ミコが男子生徒に言った。「短い間だったとしても、私達も先生の教え子だったわけだから、あまり酷く言っては可哀想だと思う。明日にはきちんと説明があるんだろうけど、それまでは皆の担任なんだから、もう少し気を遣ってあげても良いんじゃないかな」
おお、かっこいいぞミコ。
本当は、今この場にいる中で一番動揺しているはずなのに、そんな様子をちっとも見せずにキューピーを諭すとは。
「う……」
ミコに大人の対応をされて、キューピーは完全にグロッキーだ。
「二宮の言う通りだ。おまえも少しは先生を気遣うくらいの度量を持つこったな」
安上さんにも加勢されて、キューピーは叱られたチワワのように、部活仲間のほうに去って行った。
頑張れキューピー。君の恋を応援するよ。手伝わないけど。
それと、次はもうちょっと清潔な時に話しかけてくるようにしてね。
「それにしても退職かあ。急に就任して急に辞める。謎の多い先生だったね」
「ああ。君島先生は理由があったからともかく、マリウス先生は確かに謎だったな」
宍戸さんと安上さんがマリウスについて話している。
安上さんほど賢くても、マリウスの本質的な悪意は見抜けないものなんだね。
最低な奴だが、人心掌握術は桁外れにあったのだろう。実際、那美や烏さんからの信用も勝ち取っていたくらいだし。
海外で詐欺師でもやってれば良かったのに。世界を救うとかアホなこと考えるから、死にかけるような目に遭うんですよ。
まあ、半殺しにしたのはあたしなんですけどね。
あたしは二人に聞こえないように、ミコの耳に口を近づけた。「ミコ、どんまい。いつかはミコにもふさわしい相手が現れるって」
「そんな、もう終わった事みたいに言わないでよアルカちゃん」
ミコの目には、まだまだ闘志が宿っていた。
「私、高校卒業したら先生に会いに行く。アルカちゃんも一緒に行こうよ、先生探しを兼ねたヨーロッパ旅行」
おお、なんて粘り強い。
惚れた男を追いかけてヨーロッパまで行くつもりとは。
「アルカちゃんがマリウス先生をなんとなく嫌ってるのは分かるけどさ、私は本気だから」
ミコの真っ直ぐな視線を受けて、あたしは気圧された。ミコがマリウスを想う気持ちがここまで強いとは。
だが、あたしは反対だった。
当然でしょ。奴は人殺しだし、ミコのことを管理するべきアルベドロード、道具としか考えていない。
そもそも、ターゲットはヨーロッパにいない。ミコの家の足元に軟禁されてます。
「気持ちは分かるけど、ミコ、高校卒業したら家を出て就職したいんじゃなかったっけ」
「う……」
「世の中、恋愛がすべてじゃないでしょ。資格の勉強とかさ、やること色々あるわけだし。先生のことばかり考えてる場合じゃないでしょ」
少し説教臭くなってしまったが、ミコは口をすぼめて肩を落とした。最近は立ち振る舞いが大人っぽくなってたが、あたしの前だと時々は以前のように子供っぽい仕草をする。
「分かったよ。アルカちゃんの言う通りです」
理解してくれないあたしに対して若干不満もあるようだが、ミコは渋々納得してくれたようだった。
ごめんね。説明はできないけど、次に好きな人ができたら協力するよ。
なんだったら、そいつの夢を操作して、ミコに強制的に惚れるよう洗脳してあげても良いよ。あたしには容易い。
おっと、考え方がまるっきり悪魔になってる。
自重しなきゃ。
食事と休憩も終わり立ち上がろうとした時、会話の切れ間にテレビの音が耳に届いた。
『……銀行、そして複数の教会施設と国際双十字社本部を狙ったテロの捜査は、容疑者が全員死亡したことにより、これにて終結することになります。ここからはスイスの政治情勢に詳しいジャーナリストの……』
双十字社の名前を聞いて、アルカの意識はテレビに集中した。
そういえば以前にもこの場所でテレビを見た事があった。あれはたしか、レンと二人で昼食を食べた時。あの時もテロのニュースだった。
「ごめん。ちょっとテレビ見て良い?」
あたしは三人の返事を待つことなく、テレビのリモコンを使って音量を上げた。
『スイスは本来、政治的には中立的な国として知られています。それなのにテロリストに狙われたのは非常に不可解です。他国にも警備の緩くてテロが容易な宗教施設や病院は多数ありますからね。一説にはテロリスト達には別の目的があり、スイス政府が公式に発表した犯行声明文は偽物であるとの報道や、スイス国内の施設を狙ったテロは陽動だったのではと疑う声もあります。その根拠として、連続テロにより警察機能が麻痺した状態の時にスイス国内の銀行が襲われた点や、テロの中心となった首謀者に白色人種が多くいた点などが……』
画面には複数のテロリストの顔写真が表示されている。どうやら既に全員が殺害されてしまっているようだ。
それらの写真の中に、一人だけ浮いた写真があった。
女性。それも飛び切りのモデルのような美女だ。
その写真を見た瞬間、あたしの頭の中にある記憶が甦った。
『Love you』
以前にマリウスを治療した時に、マリウスの澱みの欠片を枝が吸い込んだ。その時に枝を通じて流れ込んできたマリウスの記憶。
マリウスが『愛している』と言葉をかけた女性。写真の女性は、その女にそっくりだった。
名前は、リディアナ・フランシスカ。
国籍までは報じられていないが、おそらくは欧米の出身に見える。肌が白くて美しい。
「アルカちゃん、そろそろ行こうよ」ミコがあたしの背中をつんつんと指で押してきた。
「ああ、うん……。ごめん、先に行ってて。すぐに行くから」
「そう? 分かった。じゃあ三人で教室に行ってるね」
ミコはあたしがありふれたテロのニュースに夢中になっている姿を不思議そうに見つめたが、やがて安上さんと宍戸さんを追って、食堂から出て行った。
一人になったあたしは、再びテレビに集中する。
『テロの多くは宗教上の対立です。現に、今回のスイスのテロでも、スイス国内における世界大宗教会の施設が多く被害に遭っております。しかし、世界中に病院を展開する国際双十字社の本部までもが狙われているのは、明らかに宗教とは違った意図のようなものが見受けられます。今回のテロリスト達の中には世界大宗教会に籍を置いていた者や、双十字病院で医師や看護士として働いていた者もいたのですが、スイス警察はそれらの情報を公式には発表しておりません。そのあたりの情報操作にも、何らかの外交的配慮や陰謀論のようなものが見え隠れする原因になっております。そういった意味では、テロに遭った施設の中にスイス中央銀行があったのは異質であるため、一部メディアやインターネット上で噂が一人歩きしてしまい、国際的な謀略があるのではないかという……」
画面には、スイス中心部の地図が映し出され、テロのあった施設に爆発マークがつけられている。
テロの規模自体は、スイス国内では最大規模だったのだろうが、世界ではそれよりも大きな規模のテロが日常的に起きている。
ただ、襲われている施設が世界大宗教会と国際双十字社。両方ともあたしが関わっているコミュニオンやクルーチスの表層組織だ。
二つとも世界に最も影響を与える組織なのだから、それらが同時に大規模テロの的になること自体はありえるだろう。
ただ、テロリストの中にマリウスに関わる人間がいたとなると、話が変わってくる。
水曜会も、何らかの形でテロに関係しているのではないだろうか。
マリウスがコミュニオンから指示を受けて、斐氏神社に潜伏を始めたのが半年以上前。
テロが起きたのは六月の上旬。今からおよそ三か月前。あたしは国旗の改変した世界に落ちた頃で、転生酔いに悩み続けてた時期にあたる。
これほどのテロだ。まさか思いついてすぐに実行したとは思えない。少なくとも数ヶ月以上かけて計画を練ったと思う。マリウスがテロの計画に関わっていたとしてもおかしくはない。
テレビの画面には今はもう死んでいる、碧眼のブロンド美女が映っている。
リディアナ・フランシスカ。何者だろう。