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アルカ  作者: 試作439
第一章 ~アルカ・ソフ・オウル~
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第七節 31話 枝を使いこなす日常 5

「こんばんわ。随分お若いお使いさんだこと」

「あ、どうも、こんばんわ」お使いさん? 

 お婆ちゃんは遠目には透けているので痩せて見えたが、近くで見るとかなりふくよかな方だった。七福神とかにいるっぽい感じ。

「あなたもお迎えに来たんでしょ? 離れてて大丈夫なの?」

「ああ、いえ……」

 お使い。お迎え。

 てことは、やっぱり、死者を天国に引き上げるとか、そういうお方なんだろうか。

「……。お迎えじゃないの?」

「ええ、はい。ちょっとその、見学に」

「見学?」お婆ちゃんが少し不機嫌な顔になった。

「いえ、その、見学というか、あたしその、新入りなんでちょっと色々分かんないことがあって」

「新入り?」

 お婆ちゃんは更に警戒する感じになった。

 うわ、喋れば喋るほどこじれていく。

「よく分からないけど、私も今忙しいから、邪魔はしないでね」

 お婆ちゃんはあたしから顔を逸らして、ニグレドを覗いた。

 あたしもおずおずとお婆ちゃんの後に続く。

 そこは白い部屋だった。

 顔に白い布がかけられた小さな体が、ベッドに横たわっている。その体に大柄な男が泣き崩れながら縋りつき、反対側には七歳くらいの少女の手を握った表情の無い女性がいる。胸には乳児を抱いており、すやすやと眠っている。

 おそらくここは、鰐丘病院。雰囲気から間違いない。あたしが何度も通った旧舘ではない。救急外来のある新館らしく、設備が新しい。さっき織田さんを見かけたが、旧舘側にある宿直室あたりで仮眠でもとっていたのだろう。

 そして今、目の前にいるのは、不幸のあった家族。

「仕事から帰ってきて、車庫に車を入れる時に、後ろをよく見てなくてね。おっちょこちょいなのはあの子の爺さん譲りだよ」

「お祖父さん……。あそこで泣いているのが、亡くなられた子のお父さんで、そのお祖父さんってことですか?」

「そう。私の旦那。ドジなのにお調子者でね。酒と博打が大好きで、気が付けばいつも素寒貧。でも不思議と人から好かれる男だった」憮然としたまま答えた。

「てことは、おばあちゃんはあそこの子供達の曾祖母さん?」

 お婆ちゃんは頷いた。「あの子をお迎えに来たのよ。そろそろまずいかしらね」

 真剣な表情のお婆ちゃんの視線の先を追うと、泣き続ける父親の陰に、小さな魂がゆらゆらと揺れていた。床に付いている足らしき部分から、少しずつ澱みが上がり続けている。

「あなた新入りさんなのよね。憶えておきなさい。突然の事故で死んだ人を天国に迎えてあげる時は、早すぎても前世の縁を忘れて良くないし、遅すぎても地に還って次の生まれ変わりまで長い年月がかかっちゃう。あのくらいで行くようにしなさいっ!」

 お婆ちゃんはあたしに説明しながら、気合と同時にニグレドに飛び込んだ。

 その途端、全身がじゅわっと溶けだし、焼けるような感じで体がガリガリ削られ始めた。激痛のはずなのに、笑顔を作りながら小さな魂に近づいて行く。

「ちょっと、お婆ちゃん、全然ダメじゃん!」

 痛々しくて見てられない。あたしはおもわずお婆ちゃんを引っ張り上げた。

「あら? あらあら」

 アルベドに引き上げると、お婆ちゃんはきょとんとしてあたしを見つめた。魂の崩壊は止まったが、かなり苦しそうだ。

「驚いた。あなた他人に触れるの?」

「え? はい。新入りなんでちょっと分かんないですけど、なんか触れますね」

「そうなの。お迎えさんは何人か見たけど、親族や親しい間柄の人じゃなきゃ触れないはずなのに。あなたすごいわね」

「あはははは」よくわからんが褒められた。「ええと、あの子をここに連れてきたらいいんですよね。あたしが代わりにやりますよ」

 お婆ちゃんは困惑した表情をしているが、何も言わない。能力を疑われているのかもしれないが、まあ、実際にやったら認めてくれるだろう。

 あたしは枝をニグレドに突っ込み、小さな魂に向けて伸ばした。公園のベンチに座っている肉体がぴっきぴき痛むが我慢我慢。

 ていうか、両親や赤ん坊には気づかれていないが、少女はあたしをおもいっきり見てるんだけど。横顔に視線が刺さり痛い。

 連れてっても怒られないよね。

 お父さんみたく泣き叫ばれても困るよ。

 あたしは枝を手のように変形させて、澱み続けている小さな魂を抱えると、そのままアルベドに戻ろうとした。

 振り返ると、少女はまだあたしを見ていた。

 瞳孔が開いている。もうガン見である。

 気まずいので、あたしはせいいっぱい愛想笑いを浮かべて少女に手を振った。

 すると少女もまた手を振り返した。

 ほっ。怒ったり怖がられたりしてるわけじゃないみたいだ。よかった。

 あたしはアルベドまで上がり、小さな魂をお婆ちゃんに渡した。

「驚いた。あなた現世に降りても平気なのね」

「いや、丸っきり無事ってわけでもないですけどね。ちょっと体も痛むし」

「体?」

 そこでお婆ちゃんは初めて、あたしの体がニグレドの肉体に繋がっていることに気付いたようだ。

「あら。本当にすごい。あなたお迎えさんじゃないのね。どちら様なの?」

「どちら様……。一応、斐氏神社から来てます。どうぞよろしく」さりげなく天国向けにビジネストークを混ぜておく。

「斐氏神社さん。あの山の中の……。驚いた、とんでもないご利益がある神社さんだったのね、おっとっと、いけない」

 お婆ちゃんの胸に抱えられた小さな魂の澱みは消えたが、今度は少しづつ薄れ始めた。

「すぐ近くに輪廻の候補がいるの。見てくかい?」

「輪廻? ええ、見ます」

 あたしが返事をするとお婆ちゃんは頷き、アルベドを飛び始めた。その後ろからあたしもふよふよと付いて行く。

 あたしは限界まで枝を伸ばしているので、ニグレドの体もお婆ちゃんについて移動させることにした。帽子を目深に被らせたマスク姿の肉体を動かし、自転車を押しつつふらふらと歩かせる。トウが開いているので夜なのにアルベドの光が降り注ぎ、おまけに冷気も纏っている。時間は真夜中。どうみてもホラーな存在だが、幸い通行人とすれ違うこと無く、誰にも騒がれなかった。

 住宅街らしい魂の密集地帯を移動すると、お婆ちゃんはやがて止まった。

「ここ。さっきのおっちょこちょいのお嫁さんのお兄さんの末のお子さん。この子からみて年下のいとこになるわね」

 魂の反応がいくつかある。おそらく一戸建て住宅なんだろう。

「あの子なんだけど、ねえ、あなたどう思う?」

 お婆ちゃんが指し示した所をあたしは覗き込んだ。そこには両親に挟まれて眠る三才くらいの子供がいた。両親は眠っているが、疲れているのか魂がアルベドに入りきらずに夢を見ていない。子供も眠っているが、そこから魂は出ていなかった。

「たぶん安全に輪廻できそうなたぶららさでしょ?」

「タブララサ?」

「あらごめんなさい。たぶららさっていうのは、まだ魂の宿っていない子のこと。白紙って意味でね……、ああ、もう時間が無いから、とりあえずやってみるわね」

 お婆ちゃんは胸に抱えていた小さな魂を、寝ている子の真上で落とした。

 すると、魂は鳥の羽根が落ちるように揺れながら子供の胸に落ちて、宿った。

 ただ、宿る時に魂が大きすぎたらしくて、かなり削られた。そして削られた魂の多くがアルベドに浮き上がった。残った細かい欠片の一部は黒く澱み、下に落ちていく。

 間もなく、アルベドの魂とニグレドの澱みは、池に落ちた雨粒のように同化して消えた。

 ……。これが輪廻。

 そして今、事故で亡くなったあの子は転生した。目の前で寝ているいとこの少年に。

 初めて見たけど、神秘的だった。

 よかったね、次の人生は幸せにね。

「ふう。成功して良かった。あなた、その様子だと本当にお迎えやお使いは見た事が無いようね」

「ええ。その、あたしほんと初心者なんで」

「そうみたいね。さっきはありがたい神様かもって思えたけど、もしかしたらあなたは精霊さんなのかもしれないわね」

「精霊?」

「そう。神様と同じことができるけど、何ができるのか気付いていない子。ありがたやありがたや」

 お婆ちゃんはあたしに手を合わせて拝み始めた。

「いえ、そんな。あたしから見たら、お婆ちゃんこそ神様みたいです」

「あたしゃ単なる貧乏長屋の長女だよ。ただ、子供を九人も作って、孫とひ孫を合わせりゃ百人近くいるからね。皆が有り難がってくれるからお迎えの仕事をしてるだけさ」

「じゃあ、さっきの輪廻先を見つけたり転生させたりも、何度かやってるんですか?」

「ああ。簡単だよ。血縁の濃い親族なら波長がすぐ繋がるからね。あたしみたいのは多いよ。天寿を全うしようとしてたり、急な不幸に遭った身内がいると、自然と体が作られて、やるべきお勤めをこなして、また次のお呼びがかかるまで消える」

 お婆ちゃんはちゃきちゃきの江戸っ子のように説明してくれる。

「たぶららさ、魂を持たない白紙の状態の子供は、多くは両親が添い寝することによりどちらかの魂が親から分かれて宿るんだ。側で寝る親が夢を見るために魂が抜けて天国に行き、戻る時に子供を包むことにより魂が分け与えられるものなのさ。親に似てる子は大抵それだね。ところが子供と一緒に眠らなかったり、両親が疲れていて夢を見なかったり、夢を見ない体質の場合は、魂が分け与えられること無く成長していく。そこの子たちも共働きで忙しいから中々夢を見られなかったみたいだね」

 お婆ちゃんは足元にいる家族を指さした。

「それで、たぶららさのまま三歳程度になると、精神が魂を呼び寄せるようになり、天国からきれいな魂が降りて来るようになる。乳児だと簡単には宿れないけど、ある程度肉体が成長していると可能になるんだ。前世の記憶を持ってる人間は大抵そう。さっき宿らせたあの子にも前世の記憶が少し残るかもしれないね」

「へえ……」

 世界中の宗教で語られるような生まれ変わりの仕組みだが、実際に目にした後だと胸に詰まるものがある。

 ご先祖様パワー素晴らしい。

 こういう人が頑張ることにより想いが紡がれて、幸せな家庭って築かれていくんだ。

 お婆ちゃんの説明を聞いた上でニグレドの子供を見ると、たしかにタブララサの状態とは違って、知性が宿ったように感じられる。なんか顔がキリッとした感じ。

 那美は以前に言っていた。

『魂の器として耐えうる大きさに肉体が成長するまでは、赤子は両親から受け継いだ精神の本能に従い行動します』

『肉体が成長すると、末那識界から魂が降る。差異はあるが、最も幼い記憶がその時です』

 あれは説明が足りてなかったと思う。アルベドからランダムに魂が降りるようにも聞こえてしまう。親の魂が分かれるって部分が抜けていた。

 親に似る子、前世の記憶がある子。ちゃんと理由はあったのだ。

「神秘、ですね。すごく感動的なお話です」あたしが手を握ってぶんぶん振ると、お婆ちゃんは照れ笑いを浮かべた。

 その手が徐々に薄れていく。金色の光が透明になり、急速にアルベドと同化していく。

「もう時間だね。次に呼ばれるまで消えることになるわ。他に何か聞きたいことはあるかい?」

 聞きたいこと。

 えっと、たくさんありすぎて、何を聞けばいいかわからない。

「あの、あたしたちみたいな存在って、なんなんですかね」

 お婆ちゃんは微妙な顔をした。「ちょっと、質問がざっくりしすぎてるわね」

「あう、す、すいません。その……。人の死後っていつもあんな感じなんですか?」

「全然違うよ」

「違う?」

「きちんとお迎えが来る人は少数よ。大多数は自力で天国に行けるわ。ああ、ほら、あっち。さっき見たわ」

 お婆ちゃんはあたしの手を引いて、鰐丘病院のほうに引っ張り始めた。

「ああ、いたいた。あの方。ご病気だったようね」

 お婆ちゃんの視線の先には、ニグレドから離れて行く魂があった。アルベドに全身が入り込み、ほとんど消えかかっている。

 あたしは枝をニグレドに突っ込んで下を覗いた。そこには、消灯した病室に一人で横たわる成人男性の遺体があった。顔に白い布がかけられている。

「ああいう風にね、生を終えた人は上か下に行くの。上に来た人は間もなく魂が天国と同化する。下に行った人も、いずれ植物になり、煙になって昇ったり、鳥や獣に食べられたりして、時間がかかるけどいずれは上に来る。あなた精霊さんなら分かるんじゃないの?」

「え? 精霊ってそんなこと分かるんですか?」

「うん。生き物と魂の中間なんだから、動物や植物と心を通わせられるはずだけど」

 は?

 妖の枝ってそんなことまでできるの?

「お年をめされて大往生された方は、多くは自力で天国に昇られるの。それでも現世に未練のある方には、『お迎え』が案内に来てくれる。ただ、事故や事件で急に亡くなられた若い方は、天国に行ってもすぐに現世に戻りたがる。血縁者を探すこと無く無分別に魂の入っていない子供に宿ろうとするんだけど、大抵は失敗して傷つき天国に戻ってくる。そしてまたすぐ現世に行くを繰り返す。運良く転生に成功したとしても、後々大変な目に遭う事もある。そういう時のために、あたしのような輪廻の『お使い』がいるの。事故の無いように血縁者を見つけて導き、転生させてあげる。無事に宿らせてあげても、子供の体はちっちゃいから、魂が削れ落ちて前世の記憶を失う。やがて成長して大人になり、子供をたくさん作った後に、またここに戻って来る。さっきあなたが救い上げる時、女の子が手を振ってたけど、魂が宿って間もない子供は、天国を通ってきた記憶が残っているのね。同じ存在だってことが分かるから見ることができるけど、体の発育が進み、現世での生活が長くなると、いずれは見えなくなる」

 おお。さすが大先輩。あたしのようなペーペーとは知識が違う。

 なにげなく教えてくれてるけど、何十年も天国を見ているものじゃなきゃ分かりえない経験則が混ざっている。

 目の前で起きたこととも辻褄が合っていた。

 魂が宿るにも、一定の肉体の大きさが必要なんだね。

 三つ子の魂百までってことわざは、乳児から三歳頃までの教育が百歳まで影響するって意味だけど、違う意味があったのかもしれない。三歳になると魂が宿り百まで生きる、なんて。

「そろそろみたい。それじゃあね。若い精霊さん」お婆ちゃんは手を振りながら消え始めた。

 もうちょっと色々聞きたいんだけど、引き留めるのも迷惑かな。仕方ない。

「ありがとうございました! お婆ちゃんのことすごく尊敬します」

 あたしは目の前の誰もいない空間に声をかけた。

 ふと、笑っているように空気が軽く震えて、フェードアウトしながら声が聞こえた。

「現世で生きるほうが、魂のままでいるよりずっと素晴らしいのよ……」


ラストのお使いさんのセリフは、フランスの哲学者エミール=オーギュスト・シャルティエ氏、ペンネーム・アラン氏の名著『幸福論』から引用しました。

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