第七節 27話 アルカ、祀り上げられ始める
歩を進める度にキュッ、キュッと音が響いた。
おお、これ、うぐいす廊下ってやつだ。
警報装置の役割を果たす廊下。たしか二条城。京都にある徳川家康の城で採用されてたとか。
実際に二条城と呼ばれる城は複数あるのだが、現存している二条城は徳川家のものだけであり、あたしの認識はそれほど間違ってはいない。
斐氏神社総本部の敷地内別館にある長い廊下にて、四百年も前の防犯設備が忠実に再現されている。感動のあまり、この場でしばらく足踏みしたい気持ちになったのだが、前を歩く大江珠理の速さは鈍らない。仕方なくあたしも早足で付いて行く。
それにしても、斐氏神社の敷地は広い。中央にある巨大迷宮のような日本家屋に、ミコが寝泊まりしているという二階建ての一般住宅のような家屋。広い敷地内の手入れをする信徒や、護衛の信徒が使用する高級そうな集合住宅施設と、そこに隣接しているいかにも神社にありそうな道場っぽいところ。夏休みに入ってからずっと宿泊している山の裏側にある豪華な洋館までは三百メートル以上あり、そこに行くまでにも複数の警備員が一生住んでも問題なさそうな建物があった。
今あたしが歩いているここは、以前に那美と面会した場所の南側にある、迎賓館のような建物だった。とはいえ、建物こそ和洋折衷の雅な外観だが、外周は凶悪な謎のトゲが生えた木に囲まれている。出入り口は事実上一カ所しか無い。
「このあたりの木には絶対に触れないようお願いします。周囲には毒草も植えてありますので、踏み入るとただでは済みません」と珠理に言われて血の気が引いた。なんて凶悪なトラップ。監獄みたいだ。
やがて外の見える廊下から建物の中に入り、襖を開けては閉めるを数度繰り返し、方向が分からなくなった頃に、ようやく目的と思わしき場に辿り着いた。
「宗師様。広瀬亜瑠香様をお連れしました」
「通しなさい」
「どうぞ」
このやりとり前にも聞いたなと思いつつ、あたしは室内に入った。
中がまたすごい。大宴会ができそうな広さの和室と、美しい絵が描かれた金箔の襖。前回と同じく最奥に那美と直立不動の烏さんがいるのだが、今回は他にも人がたくさんいる。斐氏教の護衛っぽい。
その中には見知った禿げ頭の男、マルもいた。拳を握りながら那美の側に立ち、床にいる二人を見下ろしている。
あたしの入ってきた入り口と大広間を挟んだ逆側に、洋風のドアが見える。どうやらこの広間は二カ所の出入り口があり、もう片方のドアは洋館の側に繋がっているらしい。
その洋館側ドアのすぐ前で、二人の白髪の男性があたしに向かい土下座していた。「こちらにどうぞ」
珠理が刺繍の美しい座布団を、床の間正面にいる那美の側に置いた。あたしは軽く会釈をしてそこに座ると、珠理は烏さんの後ろに立った。
前回に那美と会話した時は、人払いされて二人きりだったが、今回は人が多くて空気がピリピリしてる。どういうことだろう。そもそも前の二人は誰?
「面を上げなさい」
那美が時代劇の殿様のようなセリフを口にすると、土下座していた二人が顔を上げた。そこであたしは二人が外国人だと気付いた。目が青い。
「この者達は、コミュニオンとクルーチスからの使者です。我々とアルカに謝罪させるため呼び出しました」
「使者……」
「ええ。双方の異端者が、私の娘をそれぞれの組織に引き入れるために、親友であるあなたにちょっかいを出した。それに対する謝罪です。さあ」
那美が二人に目線で先を促すと、二人は口を開いた。
「世界大宗教会聖国連盟アジア方面統括委員会東アジア本部所属最高責任者アダム・ロレンツ・クラフトマンと申します」
「国際双十字社スイス条約第一条人道支援及び傷病者救護法順法履行特別調査委員会委員長アーカム・サイモン・バランです」
長い。あたしは途中で覚えるのを諦めた。
だが何か、肩書きだけで、すさまじく偉いっぽい人だってことはなんとなく分かる。
その二人が、あたしに対してすごく申し訳無さそうに膝をついている。顔には若干の怖れのようなものもある。
「クラフト・マリウスに代わり、コミュニオン代表者として此度の事を深く謝罪します」
「ストゥディウムが行った斐氏神社の方々に対する暴力行為を、クルーチス代表者としてお詫び申し上げます」
二人が再び、床に頭をくっつけた。
いやいや。
いやいやいやいや。
あたしはあなたたちから殺されかけたんですよ?
土下座で済む問題ちゃうやんけ。
びっくりして混乱したけど、言いたいことは山ほどある。
あたしが口を開こうとした瞬間、
「あなたたちの謝罪を受け入れましょう」
あたしの顔色を横目で注視していた那美が、勝手に話を打ち切った。
「申し訳ありません。しかし、宗師様はせいいっぱいの努力をされたと思いますよ」
別室に移り、烏さんに宥められながらも、あたしの膨らんだ頬は萎まない。
目の前に珠理の淹れたミルクティーが置かれた。肉離れを起こしてからの数日間、あたし専属のメイドとして支援してくれている彼女は、あたしの味の好みを熟知している。ミルクティーに口を付けると、その最高級のおいしさに、あたしの怒りもちょっとだけ晴れた。
本当にちょっとね。
「コミュニオンやクルーチスは、歴史の表に名前の出たことが無い、伝承のような組織です。世界最大の宗教団体を総括する立場の世界大宗教会と、世界最大数の病院施設を展開する国際双十字社、誰もが知っている組織の裏にある存在。本気で口にしてしまうと陰謀論者として馬鹿にされてしまいます。そんな二つの組織から派遣されてきた親善大使ですが、おそらくあの二人も、それぞれの組織について深くは知りません。アルカ様から頂いた情報を元に、回りくどく問いただしましたが、彼らは魂魄捕縛の秘術とやらは当然、自分の所属している組織に内包されているコミュニオンやクルーチスの存在すら疑っている節があります。しかし、彼らの表面組織は巨大です。斐氏教など比較にすらなりません。今回の会談で大切なのは、コミュニオンとクルーチスを睨み合わせることなのです」
「睨み合わせる?」
「はい。我々に害を及ばなくさせるには、斐氏神社の影響力では無理です。双方の組織の力は拮抗していると考えられたため、監視させ合うことにより、斐氏教にとって有利に立ち回る。それが狙いだったのです。那美様の目論見は成功して、クルーチスは双十字病院建設の中止と撤退を決定しました。そして、コミュニオンはクラフト・マリウスを破門とし、その身柄を斐氏教が拘束することに同意しました。同時に双方が斐氏への不可侵を徹底すること、その禁を破った場合、もう片方は斐氏と手を組み、敵として滅すると確約させました」
眉一つ動かさず、烏さんは物騒な説明を終えた。
滅するって、なにそれ怖すぎる。
メッ! するってことじゃないよね。ジェノサイドの滅するだよね。
話が大きすぎるんですけど。
「アルカさん」
ただ絶句するしかないあたしに、今度は珠理が声をかけてきた。
「私は今回の件で、妖の枝に関する秘匿情報や美子様に起こった事態を、母から全て聞きました。その上で進言しますが、今はただ宗師様のご判断に従われたほうが良いと思います。マリウスとの闘いによる疲労もある上に、事が大きすぎます。斐氏教には海外にも協力者がおりますので、そっちの根回しが進むことにも期待しましょう」
「娘の言う通りです。今はただ事を荒立てること無く、マリウス及び『水曜会』という組織についての調査を優先したほうが宜しいかと。マリウスは今も昏睡状態のままですが、ここの地下施設の警護は万全です。意識を取り戻してから話を聞き、全てを知ってから善後策を検討しましょう」
「は、はい……」
二人の真摯だが反論の隙を与えない説明に、あたしはただ頷くしか無かった。
頭の中がいっぱいです。丸投げしとくので誰かなんとかしてください。