第六節 26話 終戦後あれこれ
夏休みの前半は、一日の半分近くをダラダラと寝て過ごすことになった。
とはいえ、あたしは普段の生活でも、授業中を含めると一日に十時間以上寝る。寮での毎日と、ここ、斐氏神社敷地内にある斐氏教本部別邸、超豪華な洋館での暮らしは、やることがさほど変わらない。ゴロゴロと寝ながら、肉離れの回復を待つ。
「本部には、海外からの来客も稀にあります。全員が和風の宿泊施設に泊まりたがるとは限らないため、こうした洋館も数棟用意されております」
珠理が紅茶を淹れながら言った。スーツの上にエプロン姿。メイド服を着せてみたいが、要求する勇気があたしには無かった。
「それにしても、山一つ丸々保有してるって、那美さん、というか斐氏教ってすごいんですね」
「数世代前の宗師様は、油田や金鉱脈の発掘に協力したことがあるそうで。利益の数パーセントが半永久的に受け取れる契約になっているとか」
「油田?」
「はい。世界中の石油王は、数百億ドル単位、日本円にして兆を超える資産を保有していてもおかしくありません。二宮家もそれらと同等と考えて結構です。あまり言いふらさないで下さいね」
兆単位の資産家。ごくり。
引くわー。なんとなくすごい人だと分かってはいたが、そこまで大富豪だったとは。
まあ、それならいち庶民のあたし程度を養うくらいは楽勝だろう。遠慮なく完全に回復するまでニート暮らしを続けさせてもらいますかな。
あたしが鰐丘病院から連れ去られて数時間後。
最初に異変に気付いたのは烏さんだった。娘の珠理があたしの送迎から戻ってこないため探しに出たところ、地下駐車場でぐっすり眠っている娘を発見。
叩き起こした後に記憶障害のある様子を見て、薬物で眠らされていたと気付き、すぐに斐氏教本部に連絡。この時点であたしの捜索が始まった。
烏さんはすぐにその場で病院を調べあげて、あたしの拉致にストゥが関わっていた可能性に気付く。
一方、マルとマリウスは、終業式後の高校で夏休み中の学生のスケジュールをまとめる作業をしていたが、斐氏教のアルカ捜索チームは、まずマルに状況を連絡。あたしが部屋に戻っていないか確かめるように指示した。
マルはあたしの部屋に行き、その場で戻った形跡が無いことを本部に伝えると、今度はマリウスが学校から消えた。後で分かることだが、マリウスはあたしの部屋にも盗聴器を仕掛けていた。マルと探索チームの携帯での会話を盗み聞いて、あたしがストゥに拉致されたと気付いたらしい。
ストゥとマリウスがあたしの行方不明に関わっているとの前提で捜索が始まり、警察の無線を盗聴した者が鰐丘海岸の騒動に気付き、風間と烏さんが最初に駆けつけた、というのが真相だそうだ。
それでも、駐車場には銃撃戦と爆破の跡やストゥの死体がある。あたしにも捜査の手が伸びそうなものだが、そこは斐氏教の力。警察に影響力を行使して『暴力団同士の抗争』という、もっともらしいストーリ―をでっちあげて、事件を闇に葬った。
ただ、いくらなんでも看護師の死体まであるのだから、そう簡単には幕を引けないのではと思われたが、後になって警察上層部から聞き出した話では、『現場に警察と消防が到着した時には死体が無かった』ということだった。
これには斐氏教が一切関与していない。さすがに通報で駆け付けた数十人の警察官や消防員に緘口令を敷くことは不可能だ。
どういうことだろうと、那美や烏さん達が色々な可能性を考えた結果、現場にはあたし達以外にもクルーチスの人間か、もしくはストゥのガーゴイル密売仲間が隠れていて、警察に見つかる前に死体を持ち去ったのではという結論に落ち着いた。
頭の打ち抜かれたストゥの死体は、あたしだけではなく烏さんや風間も見ている。あたしたちが駐車場から去り、警察と消防が到着するまでのわずかな時間に死体を回収。
真相は分からないが、証拠が見つからない以上は調べようが無い。
あたしの拳撃で魂を抜かれたマリウスは、昏睡状態のまま、斐氏教地下施設に今も軟禁されている。命に別状は無いそうなので、目が覚めるのを待って話を聞くことになるだろう。死ななくて本当に良かった。
いずれにしろ、全ての話を進めるのは後のこと。
あたしは寝心地の良いベッドの上で、堂々と惰眠を貪り続けた。
「アルカちゃん?」
「あっ、ミコ……」
しまった。遂に見つかったか。
リハビリ生活が始まって二週間。体調もほとんど回復して、体力を取り戻すため二宮家の敷地内の山を散策していたアルカは、偶然にもミコと出会ってしまった。時々メールはしていたのだが、顔を合わせたのは久しぶりだ。
「どうしたの? どうしてうちの山に?」
「えっと、それはね、そう、那美さんに呼ばれたの」
「お母さんに?」
「うん。それで、ミコには内緒でって話だったんだけど、来てみたら急用ができたとかで、少しそこら辺でも散歩しながら時間を潰して待っててほしいって」
苦しいかな。嘘と勘付かれるかもしれない。
だが、ミコは渋い顔をしてあたしに頭を下げた。
「ごめんなさい。私のお母さん、時々クラスメートを家に呼んで、あたしの学校での様子を根掘り葉掘り聞くことがあるんだよね。もうやらないって言ったのに……」
ほっ。信じてくれた。あたしの心に小さな罪悪感と大きな安堵が入り交ざる。まあ、嘘も方便。これはミコのためでもある。
夏休み明けに一度はミコや那美と会合を持つことは決まっていたが、ストゥやマリウスの事でごたごたが続き、ずっと先送りになっていた。
記憶を失ったままのミコと、枝をすっかり使いこなせるようになったあたし。ミコを寮に泊めたあの日から交差した運命は、今もまだ絡まったままだ。
一人では何も妙案が浮かばないけど、今は那美や大江母娘さんら、斐氏神社の面々が味方になってくれている。時間をかけて考えれば、いずれは良い方に事は運ぶはずと、あたしは楽観的に考えていた。
「髪、どうしたの?」
「うん。気分転換。軽いし楽だね。このくらいだと」
「似合ってるよ、アルカちゃん」
「うん、ありがとう」
あたしは髪をミコと同じくらいまで短く刈っていた。
マリウスを倒した時、枝に精神力を集中させたせいで、枝と魂のつなぎ目だった髪に負担がかかった。トウを開く時に絡めていた髪の部分が、完全に白髪になったのだった。
幸い頭部全体ではなくて、長い髪の一部だけだったので、適当な長さに切りそろえると、ミコと同じような少年っぽい髪型になった。
那美や烏さんからも、髪には霊力が宿ると教えられていたし、髪の長い頃のミコが乱れ箱を使って寝ている話も聞いていた。あれらはおそらく、あたしが無意識に使った、魂と枝を髪で絡める技に関係していたのかもしれない。
魂と妖の枝は、現在の自分自身の姿を模る。アルベドに深く潜りたいのなら、当然髪の長いほうが都合良い。本来伝わっているべき秘法だったが、歴史の中で埋もれてしまったのだろう。
まあ、マリウスの自爆に巻き込まれて死ぬよりは、髪の二十センチ少々どうってことない。再び髪が伸びるまではあの技が使えないので不安だが、斐氏の人たちが色々と頑張ってくれている。そうそう危険は無いはずだ。
「アルカちゃん、雰囲気変わったね」
「そう? どんな風に?」
「なんていうか、キリッとした感じになった」
「ええっ? それってつまり、前はキリッとしてなかったってこと?」
「うん。いつもぼんやりしてて、力の抜けた感じだったけど。今は何か逞しくなった感じがする」
「ははは」まあ確かに、ミコの言う通りだ。最近は頑張ることが多かったからなあ。「でも、ミコも成長したよ」
「例えば、どんなとこが?」
「母性的っていうか、大らかになった感じがあるし、それに……」やっぱり。気のせいじゃない。「背が伸びたよね。急に」
「へへへ。気付いた?」
断食の修行を止めた効果だろうか。ミコは背だけではなく、出るべき所も出てきていた。心も体も急拡大している。
「アルカちゃんには助けられてばかりだったからね。困ったことがあったら言ってよ。今度は私が頑張るから」
ミコがあたしの手を握りしめた。
「来て。あっちにある湧き水が夏でも冷たくておいしいんだ」
ミコが山道を駆け上がりだした。あたしは「ちょっと、もう少しゆっくりー」と、笑いながら、ミコに引っ張られ続けた。