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アルカ  作者: 試作439
第一章 ~アルカ・ソフ・オウル~
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第五節 21話 マリウスの接触

 一学期の終了日が近づき、もうじき夏休みになる。休み中の過ごし方が話題となり、浮ついた空気が教室に充満しつつあった。

 あたしは念のため今でも鰐丘病院に通い、健康診断を受けている。だが、それももう必要無いと考えられ始めていた。

 送迎してくれる大江珠理を通じて那美と細かく連絡を取り合っているが、夏休み中に一度は斐氏神社に赴き、ミコにこれまであった全ての出来事を話し、枝を移譲する方法を少しづつ模索する手はずになっている。

 枝は返すべきだとあたしも思うが、斐氏に関する記憶を全て失ったミコは、別人のように活き活きしている。このままのほうが良いのではという考えは、あたしだけではなく那美も抱き始めているらしかった。

 いや、別に枝が欲しいってわけじゃないよ?

 たしかにあると便利だけど、だからといって親友の持ち物をこの先ずっと所有してて良いわけありません。そこんとこ誤解なきよう。時機がきたらちゃんと返却します。

 まあ、全ては後で考えること。

 そのうちなんとかなるでしょうと思いつつ、学校が終わり寮に戻ったあたしは部屋のドアを開けた。

 するとそこにはクラフト・マリウスがいた。睡眠薬の入った袋を手にしている。なんであたしの部屋を物色しているの?

「ちょっと! 何してるんですか先生!」

 アルカは悲鳴に似た怒鳴り声をあげた。だが、マリウスはあたしの怒りをどこ吹く風といった態度で受け流した。

「やあ広瀬さん。自分の担当するクラスの生徒の体調が優れないんです。把握しておかなければならないのは、教師として当然でしょう?」

「だからって、勝手に部屋に入っていいわけないでしょ」あたしは睡眠薬の入った袋を取り上げた。

「心外ですね。担任は生徒が健全な学校生活を送るために協力するものです。今日は退寮する安上さんに関する雑務のために女子寮に来ました。今後彼女は隣町に住む叔母の家から学校に通うことになるため、その相談も含めた手伝いです。あなたの部屋を覗いたのはそのついでですよ」

 暗にあたしには特に興味が無いとアピールしているが、そんなのは詭弁だ。

「ごまかさないで下さい。先生が斐氏教の信者で、あたしやミコの監視が目的で学校にいるってことは気付いてるんですよ?」

「監視というのは邪推です。僕は旅行で訪れたこの街を気に入り、斐氏教の抱く救済者の姿勢に傾倒して入信した。宗師様は二宮さんと広瀬さんのお体を大変気にかけておられたので、僕は教師として二人を守ることになった。守護と監視は意味が全く違います」

 ハリウッドスターのような甘いマスクに低く落ち着いた声。守護なんて言われたら、ちょろい女子はイチコロだろう。

 猫が毛を逆立てるように狼狽していたあたしは、握りこぶしを緩めた。

 だが、心の底から鳴り響く警戒音はちっとも消えない。違和感というか、怖気というか。とにかく言葉に表せない何かがある。初めて教室で会った時には気付かなかったが、こうして二人きりになり近くで話すと確かに悪寒を感じる。

「安上さんから、夢の話を詳しく聞きました。どうやら広瀬さんと安上さんは、それほど親しい間柄ではなかった。それなのに彼女は広瀬さんのことを夢に見て、胸に溜め込んでいた罪悪感を吐きだし心を入れ替えた。今の安上さんはとても穏やかで生気に満ちています。不思議な事もあるものですね」

「……」マリウスの言葉を聞いて、あたしは黙り込んだ。

 斐氏の名前の由来から枝の存在まで、全ては斐氏教を継ぐ二宮家とごく一部の者しか知られてはいない話だ。口を滑らせてはいけない。

「夢に知人が出てくる。それ自体は特段珍しいことではありません。好きな異性。好きな芸能人。親。兄弟。友人。夢は様々な人と出会える社交場です。望む望まないに関わらずね。広瀬さんは最近、どのような夢を見ましたか?」

「さあ。あたしあんまり夢見ないんです」背中に冷たさを感じつつ嘘をついた。

 あたしの目をじっと見つめたマリウスは、そのまま柔らかい笑みを浮かべると、また部屋を眺め始めた。

 余裕のある態度がイライラする。

「夢にも様々な種類があります。願望が現れる夢。前世の記憶が現れる夢。現実のストレスに苦しむ夢。日本には正月に見ると良い一富士二鷹三茄子なんてユニークな伝承までありますね。そして、最も有名な夢が予知夢。斐氏教が自在に見ることができるといわれる夢ですね」

 一神教扱いの斐氏教の予言や予知は、広く知られている事でもある。その程度のことは一般信者であるマリウスが知っていてもおかしくはない。

 ただ、『自在に』って所は秘密だ。

 あたしはただ黙った。何を言っても見透かされそうな気がしてならない。

 マリウスはちらりとあたしを見たが、特に何も顔に出さず再び話し始めた。

「予知夢にも色々あります。危険予知や災害予知が多く、中には宝くじの当選番号を予知した者までいる。それらの事象の多くは『第六感』か『気のせい』で片付けられる。ですが僕は、災害予知程度ならば今の人類の科学力でも可能だと考えている。聴きたいですか?」

 枝の使い方を知っているあたしが聞いても胡散臭い話だが、興味はある。あたしは頷いた。

「予知能力を持つ動物霊の憑依です」マリウスは瞳をキラキラさせながら答えた。「世界各地で大地震の直前に動物が異常行動をとる事例は枚挙に暇がない。それらの生き物の反応として多いのは、眠っている時に突然目を覚まして暴れまわる。これは眠っていた時の刺激、すなわち夢で近い未来に起こる事象を予知したための行動です。ならば、世界各地に研究施設を作り、霊媒能力を備えた人間をそこに住まわせる。動物が異常行動を示した直後にそれを殺し、魂を霊媒師に憑依させて、災害を先に知る。どうです? 実現すればこの世から災害による死者を一掃できます」

「オカルトですよ! そんな……」

「オカルト? とんでもない。れっきとした学問です。小動物を使った災害予知実験は、世界各地で行われております。どのあたりがオカルトだと思うのですか? 霊媒師の存在? それとも、動物が夢で予知夢を見る事ですか?」

「そんな……予知なんてそんな……できっこないですよ」探られているのは分かる。だがあたしの頭では理論的な反論ができない。

 マリウスはあたしの反応に軽く失望したようだ。残念そうに眉毛を垂らすと、背中を向けてため息をついた。

「超常的事象を探求する神秘学問は、今も世界各地で進歩を続けております。例えばこの乱れ箱」マリウスはあたしのベッドにある乱れ箱を持ち上げた。「今から千二百年も前に日本の貴族が打乱箱と呼び使用していた箱。赤や黄色が美しい。この配色もれっきとした科学です。カラーコーディネートという科学は、オカルト研究の先駆者とも呼ばれる心理学者、テオドール・フルールノアが基礎と言われます。彼は霊媒実験と共に実験美学という学問を誕生させた。赤は興奮、黄色は警戒。聞いたことがありますよね。これからアパレルショップを作りたい安上さんにとっても非常に大切な学問です」

 あたしは乱れ箱を取り返してクローゼットに突っ込んだ。

 マリウスはそんなあたしを気にする様子もなく話を続ける。「フルールノアの活躍した千九百年頃の七百年も前に、カラーコーディネートという実験美学は存在した。彼のいたスイスから遠く離れた日本でね。それと同じで、今はまだ誰もが理解できない学問でも、数百年後には一般常識として周知の智慧となっている。誰もが災害予知の恩恵にあずかることが可能な世の中になっているかもしれない」マリウスはじっとあたしの目を見つめた。「ですが、それらを全て一人でこなすことが可能なら、それは世界に革命をもたらす存在となる。そうは思いませんか?」

 青い目に深く射抜かれる。あたしは頭の芯が急速に熱を持つように感じた。那美と相対した時にも感じた感覚だ。思考がどんどん鈍っていく。

「僕は世界各地の神秘学や心霊学、神学についても勉強してきました。そして斐氏教と出会った。入信して数ヶ月ですが、未だ奇跡と呼べる現象を知見したことがありません。ですが、斐氏には歴史と人がいます。宗師様の周りにいる人を見れば、その伝承が事実であったと推定することは可能です」

 舞台の上で独り芝居をする役者のように、マリウスは身振り手振りを交えて話し続ける。その度に花の香りがふわりと漂う。香水のようなものをつけているらしい。

「世界には実に様々な夢にだけ現れる神の話がある。しかし、それと同数かそれ以上に夢から人を操る悪魔の話がある。神が複数の名を持ち伝承を残してたり、神と悪魔が同一である可能性も後の研究で判明しています。興味深いのがそれら人知の及ばない者の介在により、奇跡のような夢を体験した者が残した記述です。曰く『母親の子宮の中に包まれているかのような多幸感』曰く『はるか宇宙の高みから地球を見下ろす恍惚状態』安上さんは『広瀬さんから無償の愛を受けている』と感じたそうです」

 無償の愛……。

 そんな大したことやったとは思ってないんだけど。

 苦しんでいるみたいだから助けた。ただそれだけだ。

「日本の古事記にも夢を題材にした神話はたくさんありますね。そして、夢のお告げに従うことにより大抵良い結果がもたらされる。それら神々と対面することができる場所は、高天原と呼ばれる場所と非常に良く似ている。つまり、夢すなわち神の国である。おっと、これは少し突飛な暴論ですかね」マリウスは自重したのか、一人でくくくと笑った。「日本では、神様のことを『柱』と呼ぶそうですね。神様を木に例えるのもどうかなと思うんですが。広瀬さんはどう思います?」

「さあ。神社にご神木とかいうのがあるくらいだから、普通のことじゃないんですか? あたしは日本史の成績が悪いのでよくわかりません」

 両足に力をこめて、全力で馬鹿を装った。

「まあそうですね。樹霊信仰は日本でも浸透していますしね。斐氏教にも過去にそのような形跡がありました。いずれは二宮さんが日本の大樹となるのかな」

 あたしがとぼけたことに気付いたのだろうか。マリウスもまたふざけた感じで返してきた。

 マリウスには既に疑われている。ミコの枝があたしに移っていることを。

 いや、枝とは認識されていないが、何か超常の力が宿っていると見透かされている。

「二宮さんから聞きました。以前は髪を箱に入れて寝ていたと。それが、なぜなのかはよくわからないとおっしゃってました。広瀬さんもそれと同じことをしてますね。なぜでしょうか?」

「それは……」あたしは血の気が引き、腹の底が冷たく感じられてきた。どうしよう。この場から逃げようか。

 すると、マリウスはニッコリと少年のように微笑み、歩み寄ってきた。そのままあたしの背中に手を回して優しく抱きしめて、頭を撫でた。

「なぜ怯えているのです? 緊張が顔に現れていますよ。安心して下さい。僕はあなたの味方です」

 体を密着させながら、耳元で囁かれた。甘い吐息が耳朶をくすぐる。

 マリウスの優しさと思いやりが感じられて、そのまま身を任せたくなる。

 あたしは……。

 一瞬感じた自分の弱さを、意思の力で焼き払い、全力でマリウスを突き飛ばした。

 たたらを踏み後退したマリウスが、机の角に腰をぶつけて顔を歪めた。

「先生のお話は面白かったです。ですが、あたしは神も悪魔も興味がありません。信仰なんてどうでもいい。ごはんがおいしくて平和なら良い。ただそれだけです。けど、ミコはあたしの親友です。先生の本心が何を考えているのか知らないけど、あたしの親友に今みたいなことをするようでしたら許しませんよ」

 息を継がずに怒りをぶつけると、マリウスは初めて怯むような顔をした。

 だがそれも一瞬で、数秒後にはまた余裕のある笑みを浮かべてあたしを優しく見つめていた。

「不快にさせたのなら申し訳ありません。ですが広瀬さん、あなたはただの一般人です。斐氏教のような力のある存在は、目立つ上に敵を引き寄せかねない。くれぐれもご注意なさい」マリウスは真摯な態度で頭を下げると、あたしの部屋を出て行った。

 虫唾が走り悔しさが収まらない。

 初めて男に抱きつかれた。気持ち悪い。

 部屋の中があいつの香水臭くてたまらない。あたしは窓を開けて、教科書で部屋を扇いで空気の入れ替えを始めた。

 ふと、机の上の睡眠薬が目に映った。あいつの触った物なんて飲めるかっての。薬袋を手に取ると、ゴミ箱に投げ入れた。

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