第五節 20話 枝を使いこなす日常 2
期末テスト三日目を終えた夜。
予定通り絶好調のあたしは、明日の最終日にある唯一好きな教科、世界史の勉強をするために机に向かっていた。
とりあえず一教科くらいガチで臨んでみたい。いわゆる舐めプである。
ここまで全ての教科を最小限の勉強で効率的に片付けた。
妖の枝の能力は最高の家庭教師でもある。アルベドには捨てられた知識が同化している上に、魂が作り出す問題の予測精度はかなり高かった。君爺に釘を差された英語はマリウス先生が作成した問題を見た事が無いためデータ不足で不安だったが、それでも予測した高難易度の範囲内だった。
毎日寝る時にトウを開いているうちに、完全な睡眠状態にならなくてもトウを開くコツを掴んだあたしは、瞑想に集中できる環境ならば、どこでも自在にアルベドの知識を得られるようになっていた。
やがて、ある事に気付いた。教室で居眠りをしながらトウを開いた時と、寮でトウを開いた時の、アルベドにおける知識量に微妙な違いがある。
最初は不思議だったが、何度もトウを開いているうちに答えを悟った。距離だ。
あたしが認識できる平行世界は、あたしが既に知っている、魂が保有する知識から作った世界ならば目の前に作ることができる。だが、あたしの知らない知識の場合は探索範囲があり、その範囲内のアルベドに望む知識が溶け込んでいる場合だけ、やや離れた場所に世界を作る事ができる。
その範囲は現在約四十メートル。しかも、徐々に広がりつつある。
以前に家庭のテストのひっかけ問題を予測することができたのは、家庭の教師があたしの探索範囲内、おそらく職員室あたりで居眠りしたことがあり、その時に夢を見てアルベドに記憶を捨てたと考えられる。
これは、寮で家庭のテスト勉強をしても予測できなかったひっかけ問題が、教室で居眠りをした時は予測できた事から気付くことができた。
この枝の能力は、例えば前人未踏の無人島ならばさほど役に立たないだろう。どれだけアルベドを探しても、あたしの魂に蓄積された知識を超える世界は見つからない。だが、人が多く眠る場所、ホテルや病院などで一度でもトウを開けば、アルベドに捨てられた知識は望めば吸収できるはず。しかも、あたしの脳ではなく魂に記憶されるため、以降は答えを望めば近くに手繰り寄せられる。
眠ると使用できる無限検索機能。いや、無限ってほどでもないか。距離の弱点もある。
それを差し引いても素晴らしすぎだよ。妖の枝。
他にも何かチートなこと出来るんじゃないの?
烏さんの言っていた鉱脈の探知なんかは、今のあたしでも手法が思いつかない。斐氏神社を継いできた先人には、あたし以上に枝を使いこなす熟練者がいたってことだろう。あたしも上達させてみたい。
那美からは『妖の枝の本格的な習熟は高校卒業後で十分。それまでは不安な時は睡眠薬で枝を抑えつけるようにしなさい』という指示を受けているが、あたしには確信があった。もう別の平行世界に落ちるようなヘマはしないと。
あたしとミコが高校を卒業する頃にはミコの心や体も成長して、枝を受け入れる事が可能になっているのかもしれないが、その具体的で安全な移譲方法も全く分からないらしい。下手を打ってシンクロシニティ・タイが起きてしまうほうがはるかに怖い。この先、枝をどう扱えば良いのかは、まだしばらく先送りされるはずだ。それまでは存分に利益を享受させてもらうとしよう。
「ふう」
世界史の勉強が終わった。脳をいじめる感覚が久しぶりで、とても楽しい。
他の教科は全て四十四点から四十九点に抑えているので、世界史だけでも平均点を越えてみたいな。
時計を見ると、就寝時間が過ぎていた。久しぶりに心地よいストレスを感じながらベッドで横になった。
眠りについてすぐに夢が始まった。
体から半分ほど魂が抜け出て、寝ているあたしの上を浮遊している。トウを開いてはいないので位置は低い。二段ベッドの上段に枝がめり込んでいる。ちょっとだけ横にずれて魂と枝を視認すると、今回は枝が胸から生えていた。十字に近い形になっている。
枝の生える位置は毎回ランダムで、その時々の姿勢や心境が影響しているらしかった。まあ不便ではないから別に良いんだけど、もうちょっと生える場所選べないものかな。
枝を伸ばせる距離も少しづつ成長してて、今は全力で二メートルほど。枝の先に目を作ると、寝ながら隣室や下の部屋を覗くこともギリギリ可能だ。ただ、ニグレドで枝をみょーんって伸ばすと、肉体がキリキリ痛むことがある。おそらくやっちゃいけない行為なんだろう。アルベドの中なら、枝をちょっとしか入れなくてもガムのように伸びるため、伸縮性がかなり違う。おまけに痛くない。
寝ながら窓の外に出られるかを試していたら、肉体が痛くなってきた。なので素直にトウを開いてアルベドで休むことにした。
乳白色の世界に魂を入れると同時に視界が広がった。上下左右の四十メートル圏内にいる睡眠中の人間の魂が見える。夢を見ている生徒は少ない。皆疲れているのだろう。テスト期間中だしね。
それにしても、アルベドとはなんて気持ちのいい空間なんでしょう。これを認識できる妖の枝に感謝です。
トウを開く。那美は洞穴の洞がトウの語源と言っていた。
古今東西の伝承に、木の洞が異世界とこの世を結ぶ道として扱われている。日本では木の洞を通って鬼の世界に迷い込んだ瘤取り爺さんが有名かな。
しかし、妖の枝を持つあたしにとっては、トウとはすなわち天国への道にしか見えません。えへへ。
魂で周囲を眺めていると、やがて枝がやや不穏な気配を察した。
同じ階で、あたしの部屋とそれほど離れていない場所で眠っている誰かの魂に、黒いものが付着していて、重そうに下に垂れている。ニグレドにべったりと張り付き、一見して良くない状態だと分かった。
以前にトウを開く修行をした時に、那美が『澱み』という言葉を何度か使っていた。あの黒いのが澱みだろうか。じゅくじゅくしてて気持ち悪い。外からひっついているというより、魂の内側からニキビのように吹き出してるみたいだ。
多分、持ち上げてアルベドに突っ込んであげたほうが良い。直観的に察した。
あたしはアルベドに限界まで枝を突っ込み、澱んだ魂の真上まで伸ばすと、そこからニグレドに入った。ビキビキと枝を通じて肉体に痛みが走る。
「も、う、ちょ、っと」
頑張って枝を伸ばすと、澱んだ魂になんとか届いた。とりあえず担いでアルベドに入れてあげた途端、澱みが霧散した。
しばらく経過を観察していると、やがて他の安眠している魂のように、穏やかに揺れ始めた。熟睡に入ったのだろう。
うん。たぶん良い仕事した。
人助けって気持ちいいね。
「眠れねえ子いねがー」
あたしが調子に乗って、他にも疲れて熟睡できない生徒がいないか探してると、どこからか音楽が聞こえてきた。アコースティックギターの音に歌声が混ざっている。妙に心に響くメロディーだ。
どこだどこだと見回すと、上階に夢を見ている魂を見つけた。おそらく上級生だ。遠い。
あたしは彼女がどんな夢を見ているのかとても気になった。他人の夢を覗くなんてあまり良くないと分かってはいるが、それでもこの音楽をもっと近くではっきり聴きたい。
かといって、彼女の見ている夢を手前に引き寄せるのは良くない気がした。それをやると、あたしは彼女の音楽を聞けるだろうけど、彼女は夢を失ってしまう。
物理的な距離が影響するのは、妖の枝の難点かな。あたしがその場所まで移動するしか無い。
あたしは彼女の部屋の目星をつけると、枝を肉体に戻した。
目が覚めると急いで側にあるジャージを着こみ、部屋を出て三階に上がり、彼女の部屋から一番近いと思われる休憩室の椅子に座った。
夜中なので当然誰もいない。念のため電気を付けずに、あたしはそこでトウを開いた。今回の枝は頭から真横に生えていて、アルファベットの『T』にそっくりだった。これじゃまるでゆるキャラだ。もうちょっとどうにかなんないのこれ?
あたしは誰ともなく文句を言いつつ、そのままアルベドへと飛び込んだ。
ほどなく少し離れた所に目的の彼女を見つけた。魂の目の前に別世界がある。彼女が見ている夢だ。
歌声に聞き覚えがあった。たしか、去年の学園祭のイベントの時に、一人でステージに立って歌った勇気ある先輩だ。鼻にかかった声に特徴がある。
彼女の後ろに立ち夢を覗いた。どうやら彼女は新曲を作りたがっているようだ。ギターを弾いては音符に何かを書きこみ、一小節ずつ声に出して繋げている。本格的なアーティストみたいでかっこいい。
彼女に限らず、夢の中で創作活動を行う人間はいる。以前同じクラスにいる漫画研究部の男子生徒が授業中に居眠りをしていて、目の前に漫画を描く世界が作られていた。
ただ、夢の中の出来事を覚えている人間は少ない。ミコがそうであったように。
アルベドでは誰もが百パーセントの実力を発揮できる。だが、ニグレドでは肉体という名の鎖に縛られて、願うように事が運ばない。
あたしは彼女の曲を聞きながら、ぼんやりと彼女の夢を覗き続けた。
テンポの上がるパートでは赤く力強く燃え上がり、バラードっぽいパートでは青く寂しく憂鬱な世界になる。コロコロと移ろう世界の中心で、彼女は歌を作り続ける。孤独な作業だがとても楽しそうだ。
歌詞が泡のように浮かんでは弾けて、その弾けた泡から別の歌詞が生まれる。歌が歌を紡ぎ出し、彼女の世界がどこまでも紡がれて行く。
サビの部分が終わり、エフェクトが白くなっていく。
それと同時に彼女は夢に背を向けて肉体に戻り始めた。
「って、ちょっと待った!」
あたしは枝に力を集中させて思考を加速させる。時間がゆっくりになるあれだ。
……。おそらく、彼女はこの夢を忘れてしまうだろう。
アルベドから他の魂を観察していて分かったことがある。魂と肉体の接続部分が太い人は、夢の内容をよく覚えている。
ということは、接続部分が細い人は、夢の覚えが悪いのではないだろうか。
以前に見た漫画研究部の男子生徒は、アルベドで漫画を描く夢を見ていた時、頬杖が外れ頭が落ちて、それと同時に魂が肉体に戻り目が覚めた。すると思い出したかのように漫画をノートに描き始めた。それはアルベドで描いていた漫画そのものだった。
彼の魂の接続部分は太い、というか、彼の頭上にあったアルベドの位置が異常に近かった。あれはおそらく那美の言う『夢を覚えておける才能』なんだろう。
人によって魂の形や強弱に違いがあるように、睡眠時に現れるアルベドの位置にもそれぞれ差異がある。
ごく平凡な魂の持ち主でも、アルベドが近い位置に現れれば、より深くアルベドに魂が入りこめる。
しかし、人より強く大きな魂を持っていても、アルベドの現れる位置が遠かったら、魂がアルベドまで届きにくく、夢を見ることすら困難だ。
歌を作っていた彼女の魂は美しいほど強靭だが、アルベドまでの距離がとても遠かった。今日、ここであたしに発見されたのは奇跡に近かったのだろう。
なんとか彼女がアルベドで作った曲を、ニグレドに持ち帰らせてあげられないだろうか。この曲が一瞬の夢で消えてしまうのは、あまりにも寂しすぎる。
悩むあたしに一人の顔が思い浮かんだ。宍戸さんだ。
以前あたしは家庭の授業中、夢を見ている宍戸さんを叩き起こしたことがあった。あの時は短かったが言葉を伝えることが出来た。
あたしの枝の力は増し続けている。今のあたしなら、歌を一曲伝えることも可能なのではないか。
ダメで元々。やってみよう。
あたしはアルベドから肉体に戻りかけていた彼女の魂を枝で引き留めて、その頭に自分の頭を押し付けた。そして今聞いたばかりの彼女が作った歌を歌い始めた。
かけがえのない思い出は 永遠に消えない
それは時を超え 世界を越えて
ずっとそばにある ずっとあり続ける
たとえ忘れたとしても たとえ思い出せなくても
魂の偲ぶ想いは 時を超え巡り続ける
歌を伝え終えると、あたしは彼女の魂を離した。彼女の魂はそのまま肉体にゆっくりと戻って行く。
さて、どうなるだろ?
あたしは枝をニグレドにちょっとだけ伸ばして、彼女の様子を覗いた。
魂が肉体に戻った直後、彼女の目がくわっと開いた。すごい勢いでベッドから起き上がると、足をもつれさせながら明かりを点けて机に向かった。楽譜を取り出し、ガリガリと何かを書きこんでいく。
「ちょっとお、何なの?」別の二段ベッドに寝ていた女子生徒が目を覚ました。どうやらここは四人部屋を二人で使っているらしい。
「ごめん。ちょっとだけだから!」
「もう。今更勉強したってそれほど変わんないよ」
もう一人の女子生徒は、歌の彼女がテスト前の一夜漬けをしていると勘違いしたようだ。
「寝る時は電気消してね」
「うん。すまぬ!」
後から起きた女子生徒が布団を頭から被った。歌の彼女は机に目を近づけてペンを動かし続けている。ちょっとだけ楽譜を覗くと、さっきの歌の歌詞がちらりと見えた。
うむ。良い仕事した。どうやら作戦は成功したらしい。
あたしは「がんばってね」と声をかけると、枝を肉体に戻した。
「今回の世界史のトップは、広瀬亜瑠香さんの九十三点でした」
「えっ?」
世界史の担当教師の言葉を聞いて、あたしはおもわず声が出た。教室のあちこちからも、どよめきがあがっている。
あたしはミコをちらりと見たが、ミコは壊れたおもちゃのように満面の笑顔で拍手を続けている。ミコに釣られて、やがて周りも拍手を始めた。
世界史のテストはテスト期間最終日だったため、返ってくるのが一番最後だった。
これまでのあたしのテストは枝の力を駆使することにより、全て赤点さえ取らなければ良いという狙い通りに、四十点から五十点の範囲に収まっていた。
狙った点数よりも若干上下にバラけているのは、夢で学んだ内容を本番で思い出せなかったり、予測に若干のズレがあったり。いずれにせよ、枝の能力も完璧ではないことが証明された。
そして、最終日だけガチンコで挑んだ世界史。いや、世界史しかまともに勉強していないから、厳密にはガチじゃないけどね。
とにかく、自分の実力だけで挑戦した世界史のテストは、高校生活初のクラスで一番という栄誉に輝いたのであった。
「やったね。アルカちゃん」
「うん。ありがとう。ついにミコに追いついたね」
「お互い一回きりだけどね。トップ賞」
放課後になり、部活動を何もやっていないクラスの女子が集まって、今日返されたテストの見せあいをしていた。
結局ミコの全教科プラス十点宣言は未達成に終わった。だが、英語以外の全ての教科でプラス十五点以上を達成したので、十分にすばらしい結果だったと言えるだろう。その英語のテストも、今回は君爺が作ったテストではなくマリウス先生が作ったやや難しいテストだ。それでも九十点という胸を張って良い点数。クラスでも二位の高得点だった。
「二宮も今回絶好調だったな」
「英語なんてよく九十点取れたよね」
「へへへ。毎日家で六時間は勉強したから」
おお、と、周囲からざわめきが漏れる。
どうやら、以前に実家でのお勤めと言っていた、妖の枝を制御するための修行は、一切やっていないらしい。
これがミコの本来の実力なのかもしれない。寮に入って勉学に励めば、普通にもっと上を狙えるんじゃないだろうか。
その時、教室に女子生徒が入ってきた。安上さんだ。
「あれ? 安上さん、部活はどうしたの?」
「ああ。うん。部活ね……。多分やめる」
「ええ?」
周囲が一気にざわつく。たしか、安上さんは地学部に入っていたはずだ。
彼女は鞄の中に机の中の物を無造作に突っ込んで、あたしたちのほうに来た。
「どうしたの急に」「別の部活やるの?」
「ちょっと待って。多分辞めるって、まだ辞めてないんでしょ? どうしたの? 急にもったいない」
あたしが尋ねると、安上さんは頭をがしがしと掻いた。「何か、バカらしくなっちゃったんだ。あたし何やってんだろ。こんなのあたしのやりたいことじゃないって。色々と考えてるうちに、何もかもどうでも良くなっちゃった」
突然どうしたんだろう。ミコや周りの生徒も困惑している。
だが、安上さんの雰囲気は悩んでいるようには見えない。むしろ晴れやかな感じだ。
「あたしは元々、父さんの通った都内の大学を志望しててね。そこの学部の推薦貰うために箔を付けたくて地学部なんかやってたんだ。けどね、これは違うなって思えたんだ。あたし本当は古着屋をやりたいの。あたしだけのカジュアルブランドを立ち上げて、世界一のアパレルショップを作りたい」
彼女の父親っていうと弁護士だそうだ。テレビにも時々ゲストとして出演しており、かなりの有名大学を卒業していたはず。都心の一等地に事務所があるらしいから、離婚してるのか単身赴任かのどちらかだろう。
レンが留学してから、このクラスで一番頭が良いのは彼女になった。実際、英語のテストではミコを抑えてトップだったし、その他のテストも半分近くがクラスのトップで、中には学年で唯一百点だった教科もあった。
「広瀬を見ててさ、考えたんだ」
はい? あたし?
「広瀬って時々変なこと言ったりやったりするけど、いつも自然体のままでいるよね。森崎も飾らない奴だったけど、広瀬は森崎の上を行ってる。そういう所がなんていうかさ、尊敬してるんだよ」
話がよく分からない。なんであたしが褒められてるの?
「あたしは森崎の事を勝手にライバル視してた。スポーツはともかく、勉強で常に上を行かれるのが許せなくてね。けど、そんなあいつは広瀬や二宮とつるんでて、常にくつろいだ感じだった。あいつがおまえら二人を連れまわしていると思ってたんだけど、違ったんだね。広瀬が二人を引き付けていたんだ。あいつはやっぱり賢かったよ。広瀬はなんていうか、人を癒す。二宮を明るくさせたのも広瀬が頑張ったからな気がする」
安上さんの真剣な独白を受けて、あたしは硬直したまま動けない。
あたしが二人を引きつけていた?
考えたことも無かったが、安上さんの目にはそう映っていたのか。けど、なんで突然そんなことを言い出すのか。
「この前、夢に広瀬が出てきたんだよね」
! 言われてすぐに思い出した。あたしが持ち上げた、澱みに苦しんでいた魂だ。あれは彼女だったのか。
安上さんは頬を赤らめながらも話を続ける。「勉強のことで悩んでいたあたしを、広瀬が助けてくれる。そんな夢でね。その夢を見た後に広瀬や今までのあたしについてを考え直したら、今までの自分がすごく小さな存在だったって気付いて。恥ずかしくなっちゃったんだよね。で、あたしも広瀬みたく自然体になろうかなと」安上さんは照れているのか早口になっている。
「二宮。おまえもそうは思わないか?」
突然話を振られたミコは、すぐ反応した。
「うん。アルカちゃんはね、信用できる人。癒しの効果があるっていうとこ、すごく同意する」
二人に褒められてあたしも反応に困った。よくわからないうちに評価が上がってる。
「分かる?」「さあ」「時々笑わせてくれる癒しはあるけど」
だが、二人以外からの評価は極めて低かった!
「随分興味深い話をしてるね」
その時、マリウス先生が教室に入ってきた。あたし以外の女子の空気がさっとピンク色に変わる。
「広瀬さんに癒しの効果があるねえ。僕としては、授業中あまり話を聞いてくれないので、少し傷つけられているんだけどね」
「うっく」言えない。あたしには睡眠学習機能が備わっているなんて。
「それに、夢に広瀬さんが出てきたっていう話はとても面白い。安上さん、夢の中の広瀬さんはどんな様子だったのかな?」
「なんていうか……らしくないほど頑張ってる感じ。広瀬が頑張ってる所なんて滅多に見ないから覚えてました」
うん。反論できない。たしかに学校で何かを頑張った記憶がほとんど無い。
実際には斐氏神社で死にかけるほど頑張ったりしてるんだけどね。
「そういえばこの前、宍戸さんも夢に広瀬が出てきたって言ってたなあ」
「あ、言ってた言ってた!」
家庭の授業中のことだ。言いふらしちゃったか宍戸さん。
本人が目の前にいるのに、女生徒達は夢に出る広瀬亜瑠香の話を面白おかしく膨らませていく。それをミコとあたしは困惑して眺め、マリウス先生は顎に手を当てて聞き入っている。
「あの、先生。職員会議終わったんですよね。そろそろ……」安上がマリウスに声をかけた。
「ああ。うん。待たせてすまなかった。じゃあ行こうか」
「え? 二人でどこ行くの?」「告白? 告白?」周りの女生徒が色めき立つ。ミコの目もギラリと光り、耳がピンと立った。
「そんなんじゃないって。ちょっと先生に話すことがあって呼び出してたの。職員会議が終わるまで教室で待ってただけ。さ、行きましょ」
安上が背中を向けて鞄を持ち、すたすたと歩き教室から出て行った。彼女の後をマリウスも追いかけて「君たち、あまり遅くならないように帰りなさいね」と言い、残すと廊下に消えた。
後日、安上の無期停学処分が確定した。理由はカンニングだった。
勉強のストレスに悩んでいた安上は、複数の電子機器を使い、テスト最終日以外の全ての教科でカンニングしていたことを告白した。
マリウスと彼女の母親も含めた面談が行われ、自主退学を望んだ彼女を引き留めることに成功。七月はずっと欠席となり、夏休み明けから通い続けるように説得することができた。
彼女の期末テストは全教科点数がゼロ点となり、ミコは二期連続で英語のテストがクラスでトップの栄誉を勝ち取った。
それは、あたしだけではなくミコにとっても後味の悪い栄誉となった。