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アルカ  作者: 試作439
第一章 ~アルカ・ソフ・オウル~
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第五節 19話 枝を使いこなす日常 1

 家庭の授業時間、教室の雰囲気はいつもより緊迫した空気が漂っていた。というのも、月が進んで七月に入り、期末テスト三日前を迎えたためだ。

 今回のテストは百点製造機の別名を持つ帝王がいない。今までは壁が高すぎて無理だったが、今回はクラスどころか学年トップの栄光を得られる可能性が生まれた。教室中に殺気立ったやる気が充満している。

特に女子。金髪碧眼イケメン教師マリウスという餌は、女子限定でやる気を三倍に膨らませている。

 そんな中、あたくし広瀬亜瑠香はというと、堂々と居眠りをしていた。

 というより、勉強をやる気が全く起きない。なぜなら、枝の力で既に完全勝利が確定しているためだ。

 あたしは魂を背伸び(背伸びで正しいのだろうか?)して、トウを開いだ。今回の居眠りで発動した枝はあたしの肩近辺から真横に生えていて、魂が郵便ポストみたいな形になってしまった。今日は窓を開けて授業をしているので、アルベドから流れ込む冷気も目立たないはず。

 アルベドで『次の家庭のテストで、出題される可能性が高い問題の見える世界』を願うと、軽い波動が起きて、目の前に複数の夢が作られた。

 ここで見える問題は、次のテストが絶対この問題になるというわけではないはず。あたしが中間テストで一度受けた、家庭の教師が作成した問題の傾向と対策や、過去のあらゆるテストのパターンから類推した、最も作られることになる可能性が高い問題だ。普段のあたしの脳ではここまで正確に予測はできない。だが、記憶しているのは魂だ。かつてあたしは、ミコでも運次第でトップを取ることができると自然に考えられる、選択問題の多い英語のテストを夢で作った。脳が覚えなくても魂が英語教師級の知識を蓄えているのだ。

 それだけではない。どうやら、家庭の教師がテスト問題作成中に夢を見ることによりアルベドに捨てた記憶が存在していて、それもあたしの世界を引き寄せる願いに反応している。前回のテストには無かったいやらしいひっかけ問題が一問だけ作られていた。

 出題される問題を予測するだけなら、別にズルとは言えないだろう。山を張って人よりも効率的に勉強してるだけだ。テスト中に居眠りして枝を使うと、より正確に回答は可能だが、そこまで枝に頼りすぎるのは、真面目に頑張る皆に申し訳が立たない。そもそもあたしに学業の向上心はそれほど無い。一時期はミコの影響を受けていたが、今は完全に枯れ尽きていた。

 何事も腹八分。あたしはできるだけ四十点台を目指すことにした。これなら赤点にもならないだろうし、皆のやる気を無駄にさせることにもならない。

 まさかどこでも居眠りできる特技が、こんなに役立つとは。

 あたしは教室だけではなく上下階やグラウンドも透過して見た。壁越しでは肉体は見えないが、肉体から飛び出ている魂が視認できた。見えている魂はつまり、あたしと同じく居眠りをしている生徒なのだろう。

 教室内にもあたし以外に居眠りをしている生徒を見つけた。

 というか、家庭の教師にロックオンされている!

 四つ前の席にいる宍戸ししどさんだ。あたしやミコと共にクラスの成績最底辺を争っている女子で、すっかりアルベドに頭を突っ込んで熟睡中だ。パフェをがっつく夢を見ており、とても幸せそうな顔をしている。

 近眼の先生が眼鏡を直して教科書を見た。「では、問五の問題を宍戸さん。答えて下さい」と、熟睡している宍戸さんをわざと指名した。

「やばい。ええと、問五の問題の答えがわかる世界!」集中すると、ニグレドの時間がゆっくり流れ始めた。アルベドに深く入り込むと時間をゆっくり体感できることは既に知っている。目の前に現れた答えを見て、すぐ前で眠っている魂に大声で教えた。だが彼女はちっとも起きない。

 そうか。枝を持つあたしは、アルベドで自在に聴覚を使用できるから分かるけど、枝を持たない彼女には、あたしの声が聞こえるわけがない。

 仕方ない。あたしは枝を伸ばして近付き、居眠りしている宍戸さんの魂に頭突きをしつつ答えを叫んでみた。

「界面活性剤!」

「かいめんかっせいざあいっ!」すると突然、宍戸さんが目を見開き、すごい勢いで答えた!

 家庭の教師はびっくりして後ずさり、かなり引いている。「そそ、その通りです。乳化や分散、再付着防止効果などがある洗剤の成分。ええ。界面活性剤です。よよよよろしい」

 教師もびっくりしているが、それ以上に宍戸さん自身がびっくりしている。

 あたしが魂に頭突きした瞬間、すごい勢いで肉体に魂が戻っていくのが見えた。その様子にあたし自身もびっくりした。

 宍戸さんが目を丸くしながら教室の後ろを覗きこんだ。どうやら居眠りをしているあたしを見つめているようだ。夢であたしに起こされた事を覚えているのだろうか?

 あたしはというと、アルベドから宍戸さんとあたしの本体を見下ろしている。

 残念。あたしはここなのだよ。フッ。

 宍戸さんが首を捻りながら前に向き直った。

 うむ。枝にはまだまだあたしの知らない使い方がある。



 テスト前日の放課後に、あたしは教職員用駐車場の片隅にいた。

 目の前にあるのは君爺の愛車。古いタイプのスポーツカーらしいが、塗装は綺麗だ。車に詳しくないあたしでも、手入れの行き届いている事がよく分かる。人生で唯一の趣味と公言しているだけのことはあって、愛着が外観に溢れていた。

 昼食後の休み時間に、男子生徒達が君爺を見かけたという話を立ち聞きした。クラスメイト達は別れの挨拶を既に済ませているが、あたしは斐氏神社に泊まり込んでいたので顔を合わせていない。最後にきちんと挨拶したいと思い、三十度を超える夏日の夕方、全身に汗を滲ませつつ車の側で待っていた。

 すると、生徒玄関のある正門側からミコがやって来た。手には花の束を持っている。

「来ちゃった」ミコはあたしに手を振りながら言った。

「ミコ、その花どしたの?」

「用務員の先生に頼んで、花壇から数本貰ってきたんだ。アルカちゃん手ぶらだったから」

 ミコに渡された花はガーベラで、七本か八本ほどある。

 放課後に君爺の所へ挨拶に行ってみるとミコに言ってはいたが、プレゼントまで気が回らなかった。ありがたく受け取っておくことにしよう。

「私も付き合うよ。待ってるの退屈でしょ」

「いいの? 明日テストなのに勉強しないで」

「アルカちゃんに言われたくないよ」ミコはくすくすと笑った。「ここのとこ、ずっと居眠りばかりだけど、本当にテスト大丈夫なの?」じとっと疑う目で見つめてきた。

「あたしは本当に大丈夫。ちゃんと勉強してるから」かなりチートな睡眠学習法だけどね。「あたしの事よりも、ミコは大丈夫なの? 全教科十点プラス宣言」

「う……、目下、粉骨砕身の真っ最中であります」

 粉骨砕身は次の国語のテストで出題される四字熟語だ。口をすぼめて若干不安な様子だが、ちゃんと勉強しているらしい。感心感心。

 じりじりと日に照らされていると、やがてミコの後ろの教員玄関から君爺が姿を現した。段ボール箱を胸の前に抱えて、紙袋を右手にぶら下げている。

「君島先生!」

 あたしが手を振ったら、君爺はにっこりと微笑んだ。レンの父親の告別式以来なので、およそ一か月ぶりに顔を合わせたことになる。

「やあ、広瀬さん。お久しぶりです。お体はもう大丈夫ですか?」

「はい。突然休んで迷惑かけてすみません。あの、これミコとあたしから。今までお疲れ様でした」

 あたしが小さな花束を渡すと、君爺はそれを大事そうに紙袋の中に入れた。

「ありがとう。大切にしますよ」

「今日で最後なんですか?」

「いえ。退職手続きは終えているのですが、忘れていた荷物をちょっとね」

「そうだったんですか。びっくりしましたよ。あたしが、その、病気が治って学校に通い始めたら、先生が変わってたんですもん」斐氏神社に居たってことは、ミコだけではなく君爺にも秘密のはずだ。口を滑らせちゃいけない。

「新学年になって中途半端な時期なのに申し訳ありません。色々と私的な事情もあったもので」

「私的な事情?」

 ミコがあたしの制服の裾を引っ張った。「奥さんの体調が悪いんだって」

 そうだった。珠理さんもそう言ってたっけ。

「ええ。家内が肺を長年患っておりましてね。息子が山でペンションをやっているので、退職してそちらを手伝うことにしました。空気も良いし、最近は外国人の旅行者も多いから、私でも役に立つ機会があるとかで」

「へえ。じゃあ、十分納得しての退職だったんですね」

 あたしがもごもごと呟いた一言で、君爺はあたしが不信を抱いていた事を察したようだ。

「広瀬さんは、二宮さんのお母さんがマリウス先生を担任に据えるために私を退職させたとお考えですか?」

「えっ? いや……」

 君爺にずばり言い当てられて、あたしは口ごもった。おじいちゃん意外に鋭い。

 後部座席に荷物を載せた君爺が、ドアを閉めて振り返った。「お察しの通り、鰐丘高校の人事は斐氏神社さんの影響を大きく受けております。寄付金も巨額なのでね。丸山先生が二宮さんの担任になったのは、たしかに斐氏教の関係者だからです。ただ、今回のマリウス先生への担任の変更は、私の家庭の事情も大きく関わっているので、本当に偶然ですよ」

「そう、ですか」

 君爺本人が言うのなら、本当なんだろう。

 レンの留学の件と重なっていたので、どうにも疑い深くなりすぎていた。珠理さんにはいずれきちんと謝ろう。少し言いすぎたと思う。

「広瀬さんは、マリウス先生にご不満ですか?」

「いえ。別に。周りの評判もまあまあみたいだし」

「女子の皆さんは、私の時よりも授業を聞いてくれそうですね」

 君爺が自虐っぽく言うと、ミコがやや赤面してぽりぽりと頭を掻いた。

「彼は教師としてかなり優秀な方だと思います。現在の斐氏教は新しい信者を受け入れていないそうですけど、海外の大学で心理学や神学の博士の学位を受けたことのある彼は、特別に入信を認められたそうですね」

「はい。すごく頭良いし物知りなんですよ。日本語や英語だけじゃなくて、ドイツ語とイタリア語もできるって言ってました。トライリンガルって言うんですよね」

 それはすごいなあ。ドイツは西欧の真ん中、イタリアは地中海にある半島の国家だ。どちらも歴史が古く、言語も複雑なはずだけど。

「そうそう。さっき職員室で最後の挨拶をしたけど、ドイツ語のニュースサイトでスイスのテロのニュースを見てました。次の英語のテストも既に完成していてちらっと見せてもらったけど、気を引き締めたほうがいいよ?」

「私は自信あります。なんてったって前回のトップですから。私よりもアルカちゃんです、ちっとも勉強してる様子が無いんですよ」

「あたしも本当に大丈夫。余裕だって。余裕」

 あたしが自信満々に宣言しても、二人は不安な眼差しを向けるだけだった。そこまで危なっかしく見えてるわけ?

 まあ見えて当然か。しばらく学校も休んだし。

 なにはともあれ、君爺が明るいままで良かった。ずっと心のどこかに刺さっていたトゲが抜け落ちたかのようにスッキリした。

 目の前でミコとマリウスについて話をしている君爺の低くて渋い声には、ストレスや不満の気配が一切無い。

「ペンションのお仕事、頑張ってください」

「奥さんの病気が早く治ると良いですね」

 あたしたちの激励を受けた君爺は、目頭を軽く押さえながら車を発進させた。遠ざかって行く車に手を振り続けていると、やがて車は道を曲がって見えなくなった。

「ね、ミコ。一つ聞きたいんだけど」

「なに?」

「前にあたしの部屋に来た時に言ってたミコの好きな人って、マリウス先生?」

「……うん」

「そっかあ」

 金髪碧眼のイケメン外国人教師。おまけに複数の博士号取得者で、四か国語を話すことができる。

 普通の女子なら虜になって当然だろう。既に告白してフラれた女子も複数いるらしいし。

 ただ、あたしはイマイチ彼のことを好きにはなれなかった。

 レンのメールに注意を促す一文があったこともずっと気にかかっていたが、マリウスがあまりに優秀すぎる点も同じくらい引っかかる。

 あたしはまだナーバスなままなのだろうか。心がざわつきささくれ立つ。親友の恋を素直に応援できない自分に対して、苛立ちに似た何かを感じた。


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