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アルカ  作者: 試作439
第一章 ~アルカ・ソフ・オウル~
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第四節 16話 強制修行

「はぶぶぶぶぶぶっ」冷たい。息できない。死ぬ! 死ぬってほんと!

「ほら、顔が出てるぞ」那美が檜の桶に足元の水を汲み、あたしの顔にぶっかけた。

「ぶふっ」

「髪の一本一本から足の指の爪の先まで、神気を浸透させなさい。水の清めを肉体の隅々まで受け入れ、精神の澱みを全て落とすのだ」

 那美に連れられ、二宮家の裏山にやって来た。ここは霊山と呼ばれており滝があるのだが、説明されること無く白装束を着せられ髪を解かれると、いきなり滝つぼに放り込まれてみそぎが始まった。六月だから水はまだまだ冷たい。その上朝からストゥさんに貰ったゼリー一個しか食べてない。これは立ってるだけでもつらい。

「ほら、精神集中! 心を乱さない!」

 那美も着物を捲って膝まで滝つぼに入り、あたしの耳元で怒声を上げ続けている。冷たいはずなのだがそんな様子は全く顔に出さない。

 このひと絶対ドSだよ。そうとしか思えない。

「宗師様。そろそろよろしいかと」

「む。そうですか。水から上がり髪をまとめろ。もう少し登るぞ」

 あたしが滝つぼから上がると、大江さんがすかさずタオルを渡してきた。これで拭けってことだろう。

 ちなみに、近くの小屋で靴を脱いで以降はずっと裸足だ。このまま裸足で山も登らせるつもりらしい。

「ちょっと待ってくださいよ、ミコのお母さん。あたし昨日からろくに食べてなくて、そろそろお昼ごはんを」

「何を言ってる。今日は一日一食。明日は食べず明後日に一食。三日後からは三日に一食のペースを維持して頂く」

 那美の目は真剣で、冗談を言っているようには見えない。

「断食は精神統一の基本。これから禊と瞑想を繰り返す。半覚醒を体得して妖の枝を視認し、末那識界で別の世界に落ちないようになるまで、家には帰さないぞ」

「いや、帰さないって、学校とか寮とか色々と」

「学校には倒れて一時的に親元へ戻っていると、丸山先生を通して話を伝えてある。美子にもここにいることを知らせていない。敷地はとても広いので、あなた一人が泊まっていても気づかれることは無い。他所の事は気にしないで、修行に専念しろ」

 え。本当に帰してもらえないの?

 これって拉致というのでは?

 宗教施設に監禁されている……。誰にも知られていない……。うそん。

「それとも、またうっかり枝の力で別世界に落ちたいのか?」

「う」それを言われると弱い。

「安心しろ。半覚醒にそれほど長い時間がかかるとは思えない。今のあなたは、走り方を知っているのに歩き方を知らない子供のようなもの。生涯を費やして修行に取り組み、段階を踏んで身に付けなければならない末那識界の知覚を、数段飛ばしでいきなり会得してしまった状態だ。このままでは身を亡ぼすので、順番通りに一から学び始めるだけのことよ。要領は掴んでいるので、かなり簡単に事は運ぶ……はず」

「今少し間が空きませんでした?」

 あたしが尋ねても、那美は聞こえないフリをしてどんどん山を登って行った。

 本当に信用して大丈夫なんだろうね、この人。

 足の裏を痛めながら二分ほど山を登ると、小高い丘のような場所に出た。地面は短く芝が刈られており、明らかに手入れが行き届いた感じだ。寝るとすごく気持ち良さそうな眺めで、周りをヤシの木みたいなのが円形に囲んでいる。

「これって何の木ですか?」

棕櫚しゅろだ。古くから伝わる簡易結界のようなもので、ここで魂が抜けても決して枝の力により別世界には落ちない。今日からここでずっと瞑想をしてもらう。さあ、真ん中で足を組み力を抜きなさい」

 お寺のお坊さんが座禅を組む時の座り方だろうか。あたしは言われた通りに足を組もうとしたが、膝が固くて曲がらなかったので、仕方なく胡坐あぐらをかいた。足の裏が汚いけど気にしていられない。

「そこで、意識を保ちながら寝てた時の感覚を思い出せ。魂が体から出る姿をイメージしなさい」

「魂……」イメージしろと言われても困る。

「肉体から心が浮き出ると信じるのだ。世界では鳥や蝶といった空を飛ぶ生き物で例えられることが多い。日本では人魂が一般的かな。江戸時代の医師が記した辞典には、地上一・二メートルを浮遊すると書かれている。当時の墓穴の平均は四十センチ程度だから、ちょうどあなた自身が立ち上がったくらいの高さにトウが開くはずだ」

 おお。さすが教祖様。具体的で分かりやすい。あたしは集中して、頭の上に夢の世界が開くのをイメージした。

 目線の高さあたりで夢が始まる。寝ている感覚……。

 ……。

「ほへっ」

 頬に芝がチクチクと刺さり、地面に横たわっていたあたしは目を覚ました。太陽が赤く揺れて西日になっている。いつの間にか眠っていたらしい。

 すぐ目の前には那美がいて、じっとあたしを見つめている。棕櫚の木の円の外には大江さんが相変わらずの直立不動で立っていた。あたしが眠っている間ずっとあの姿勢だったのだろうか。

「今日はここまでかな。そこの寝所で休みなさい。烏さんが食事を用意する。明日も今日の修行を繰り返すので、ゆっくり休みなさい」

 那美の声にも若干の疲れが滲んでいる。ほぼ一日あたしに付きっきりだったのだから当然かもしれない。

 ていうか、大江さん、カラスって名前なんだ。すごいな。


 棕櫚の木の側にある小屋はそれなりに快適だった。無駄な飾りは一切無くて、天井から床まで木が黄金色に薄く輝いている。布団も学校寮の布団とは比べものにならないような柔らかさで、ここで寝たらさぞ良い夢を見られそうだなと思った。

 しばらく待つと戸が叩かれ、烏さんがぜんに乗せた料理と薬を持ってきた。

「その料理、下の家から持ってきたんですか?」

「はい。ここでも簡単な炊事はできますが、設備は下の調理場のほうが充実しているので」

 膳の上にはお椀が五つほど乗っている。これを抱えてここまで来るのはかなり大変だっただろう。

 烏さんがテーブルを用意している間に、あたしは薬袋を手に取った。表面には睡眠薬と書いてあり、昨日一日だけ入院した病院の名前が書かれてある。中には液状の飲み薬が入っていた。

「あの、これは?」

「広瀬様に付き添った娘の珠理しゅりが病院から貰ってきたものです。アルベドを認識されるようになるまでは、眠る前は必ず飲むようにして下さい。夢を決して見なくなるほど深く眠れるようになります」

「アルベド?」

「夢の世界や末那識界の別名です。斐氏教は歴史が古いため独特の呼称を使いますが、神秘学問では錬金術用語を使用します。そっちのほうが簡単で普及しておりますので。ちなみに現世や前五識界のことをニグレドと呼び、憧罷のことは『共時性の吻合(シンクロシニティ・タイ』と呼びます」

「シンクロシニティ・タイ?」

「運命の結合、とでも覚えれば良いでしょうか。広瀬様のようにお若い方は、片仮名言葉のほうがすんなりと頭に入りやすいでしょう。世界的にも一般化しておりますので」

 なるほど。たしかに斐氏の使う仏教用語っぽい単語よりは覚えやすい。トウを開き末那識まなしき界に行き別の前五識ぜんごしき界に転生して憧罷とうひが起きた、とか言われても混乱する。

 アルベドとニグレド、シンクロシニティ・タイね。

「どうぞ、冷めないうちにお召し上がり下さい」烏さんはテーブルの上に膳を置き、おわんの蓋を取った。食欲をそそる香りと湯気が部屋に広がる。

 空腹のあたしは遠慮なくがっつき始めた。

「あの、烏さん。ミコもこんな修行を繰り返していたんですか?」

「はい。美子様に限らず、那美様も同じ修行を繰り返して参りました」

「烏さんはミコのお母さんの子供の頃も知っているんですか?」

「私の家系は代々斐氏に仕える決まりとなってますので。私は現当主の那美様より十歳以上年上なので、先代当主様が那美様を身籠られた頃の事も知っております。斐氏の者は幼少期から枝を駆使する修行と知識を重ねて、成人までに枝を持って生まれた気配が無い場合は修行を終えます。美子様は明らかに枝を持っていると見受けられました」

「それって、どうやって確認するんですか? 外見とかじゃ分かりませんよね」

「枝でトウを開けた者からは、冷気を感じます」

「冷気?」

「はい。魂しか存在できないアルベドは、時間の流れが遅い上に、とても冷たい空間だそうです。睡眠時に魂が抜けてアルベドに浸かるだけでは体は何も感じません。しかし、妖の枝を持つ者が意識的にトウを開けると、その冷気がニグレドに流れて寒く感じます」

「なるほど。じゃあ、今日あたしが外で寝ていた時は、寒くならなかったと」

「はい」

 背筋が寒くなるとか悪寒が走るなんて言葉も昔からある。

 そういうのを感じた人は、実際に寒かったのかもしれない。


 修行二日目は朝から薄曇りの天候だった。午前中はやや肌寒くて、滝つぼの水も昨日より明らかに冷たい。

「せめて滝に入らないで、桶で汲んでかけるって程度では……」

「それでは意味が無い。肉体を限界まで追い詰めることが目的なのだから」

 朝からびしっと着物を着こんだ那美は、あたしの提案を冷たく跳ねのけた。

 気が進まぬまま昨日と同じく禊を行った。穢れを流すどころか、魂まで流れ出て行く気がしてならない。

 今日は昼前に棕櫚の木の結界に着き、瞑想を始めた。ただ、昨日今日とさすがに寝すぎている。空腹だが目が冴えて気持ちが落ち着かない。

 目の前には那美が身じろぎせずじっとしている。結界の外には烏さん。昨日と同じ光景だ。

 少しコミュニケーションでもとってみようかな。

「あの、ミコのお母さん」

「那美で良い。言い難いだろう。あなたは斐氏教の信者ではないし、二宮だと美子と同じで気持ち悪いはず」

 お、一歩近づいた感じ。「あ、じゃああたしのこともアルカって呼んでいいですよ」

 那美は少し困惑した表情を浮かべたが、何も言わなかった。了承したらしい。

「それで那美さん、妖の枝を出すのに、他に何かコツ無いですか?」

「申し訳ない。私には枝が無いので、昨日口にした以上の助言はできない」那美は肩を落として俯いた。「私は枝どころか霊力すら無い。ただ母から口伝くでんで受け継いだ知識があるだけでね。前に斐氏で枝を持ち生まれたのは私の高祖母こうそぼで、美子は実に五世代ぶりの枝持ちだった。秘伝を書き記した書物もあったが、全て戦争で焼失してしまった。今となっては、そこにいる大江さんの一族のほうが、斐氏の歴史をより正確に理解してると言っても過言ではない」

「私の祖父が、宗師様の高祖母というお方に仕えていたそうです。私の祖父も戦争で死んだので父から聞いた話ですが、戦争で宗師様の高祖母と曾祖父そうそふのお二方が亡くなられて、妊娠されていた御祖母様がただ一人生き延びるも、宗師様のお母様をご出産されてすぐに亡くなられたとか。森崎先生の御一族の方がこの地に新しく斐氏神社の場を設け、宗師様のお母様は九歳の時に当時の斐氏教宗師になられたそうです。このように度重なる苦難の末に、枝に関する秘術は埋もれてしまいました」烏さんは深々と頭を下げた。

「ああ、いえ。悪い事聞いちゃいました。すみません」話が重すぎる。

「ですので、広瀬様」烏さんはあたしの目を見た。「どうか、斐氏の復興にご協力下さりますようお願い申し上げます」

「あはは。大丈夫ですって」場が湿っぽくていけない。あたしは空気を明るくしようと安請け合いした。


「取り消したいでござる……」

 枕を腹に押し当てながら独り言を呟いた。空腹で目が回る。腹の虫がもう何時間も泣きわめいて止まらない状態だ。「こんなのを繰り返して、本当に夢をコントロールできるようになるんですか?」と、布団の上で愚痴る。

 修行二日目も結局空振りだった。

 滝で身を清め、ひたすら瞑想。これをトウが開くまでやるという。

 あたしは無事に元の生活に戻る事ができるのだろうか。

「だあ。もうやめやめ」考えても仕方ない。今は二人を信じて修行するしか無い。睡眠薬を飲んでさっさと寝ようと薬袋に手を伸ばすと、すぐ横に美しい木箱が置かれていた。花がたくさん描かれていて高級そうに見える。

『これは乱れ箱といいます。その中に髪を入れて眠ると髪が霊力を蓄えると言い伝えられております。お眠りの際にお使い下さい 烏』

 達筆な添え書きが箱の中に置かれていた。

 乱れ箱の話はレンからも聞いた。ミコも使っていたとか。斐氏は髪に拘りのある宗教なのだろうか、ミコと那美だけではなく大江さん母娘も髪をきっちりとまとめている。

 ミコ。今もこの敷地内で寝てるんだよね。多分、もう修行はしていないのだろう。先の事はまだ分からないけど、彼女のためにも、今はとにかく枝を使いこなせるようにならなければならない。

 あたしは睡眠薬を飲むと、布団に入り髪を乱れ箱に入れた。


 修行三日目。空腹でちょっとした山の昇り降りすら困難になってきた。小屋から出て滝に移動する下り坂すら足が踏ん張れず倒れそうになり、烏さんに支えられて、少しづつ山を降りる。

 ここに来てからずっと裸足だが、滝の岩場はなめらかだし、道も柔らかい土で小石一粒落ちてないから歩きやすい。瞑想場の結界も短い芝で手入れが行き届いてるし、裸足が徐々に気にならなくなってきた。

 昔の仏教の修行僧なんかもこんな感じだったんだろうね。きっと。

 朝の禊を済ませて再び山を登り、日が暮れるまでの瞑想が始まった。必要な工程だと解っているが、空腹と退屈が苦痛になってくる。それに何時間も胡坐で座り続けるってのも……。

「寝転がっても良いぞ」那美がもぞもぞ動くあたしを見ながら言った。「アルカにとって最も集中できる姿勢が一番良いのだよ。ただ、完全に眠ると夢を見るか否かは運になる。理想は起きたまま夢を見る感覚を体感することなので、アルカが寝転がりながら枝を視認する決意を失わなければ、私は構わない。涅槃仏ねはんぶつという姿勢もあることだし、悪い事ではない」

「はあ……」涅槃仏って。仏様に例えられちゃった。

 まあ、良いというなら遠慮はしない。あたしは自分の腕を枕にして横になった。

 おお、座っているよりもかなり楽だ。よし。今日こそは枝を出して見せる。

 今日こそは。


「がっかりさせてふいまふぇん」

「いえ。アルカ様はよく頑張っていらっしゃいます」

 その日の夜、小屋で二日ぶりの食事を味わいながら烏さんに謝罪した。一応謝ってはいるが、食事がおいしすぎて箸が止まらない。

 ミコの体が小さいのは、栄養失調もあるんじゃないだろうか。こんな厳しい生活を続けていたら体が育たないよ。

「アルベドを認識できなかったミコ様は、おそらく本人が覚えていないだけで、幾度も転生を繰り返したのでしょう。転生酔いが酷かったですから。こうして広瀬様に枝が渡ったことも、何らかの運命によるものかもしれません」

 運命。か。


 四日目の朝。小屋にやって来たのは、烏さん一人だった。いつもきっちり着物を着こんでいる那美の姿が無い。

「今日の付き添いは私一人です。宗師様は森崎先生の初七日の法要で、お戻りは夜になる予定なので」

 初七日。ああ、まだそれしか日が経っていないのか。葬儀会場を出て以降は寝てばかりなので、時間の感覚が狂っている。

 レンにまだ謝ることができてないけど、ここはあたしが夢で見た世界で、あたしがレンの父さんを死なせてしまったなんて説明しても、絶対に理解されないだろう。

 昨日晩ごはんを食べたので、今朝は体力がある。あたしは禊を烏さんの手を借りずに終わらせると、しっかりした足取りで山を登って、棕櫚の木の結界で寝転がり瞑想を始めた。

 今日は那美がいない。いつも正面にいるので気が散って集中できなかったが、いないといないでやはり集中できない。結局、あたしに集中力が足りないのかもしれないが。

「あの、烏さん。例えばですけど、あたしが枝を使って、レンの父さんが死んでない世界に転生して、レンが悲しむ過去をチャラにするってできますか?」

「可能です。しかし、それは絶対にやってはいけない事なのです」烏さんの声が一段低くなった。「アルベドにはシンクロシニティ、共時性きょうじせいと呼ばれるものがあり、精神の欲望を叶えるために転生すると、その影響は転生者にとって身近な他者に大きくなり降り注ぐ、共時性の吻合シンクロシニティ・タイが起こると伝わっております」

 そうだった。シンクロシニティ・タイ。那美も同じことを言っていた。

「枝を持つ者の魂は強大です。広瀬様がそのような目的で転生した場合、最悪、森崎恋さんを含む複数人が死亡する危険があります」

 あたしは唾を飲み込んだ。そんな可能性もあるんだ。葬儀会場で那美と会うまでにそんな世界に落ちたら、とんでもないことになっていた。

「代々斐氏のトウを開いた者は、アルベドでいくつもの世界の可能性を探し、水脈や鉱脈を見つけることを生業なりわいとしておりました。戦争時は吉報がいち早く届く世界を探すことにより、敵の勢力や配置、戦術を読み解いたそうです。それが枝の正しい使い方なのです。転生は決してやってはなりません。確実に身を滅ぼします」


 夜。烏さんから怖い話を聞いたせいか、少し気分が優れない。改めて自分の置かれている状況の危うさが理解できた。

 ここへ泊まるようになってから、お腹は減るが幻覚は全く見なくなった。霊山とか言ってたけど、本当にそういう力が強い場所なのかもしれない。なんだっけこういうの。気場とか龍脈っていうんだっけ。横文字だとパワースポット。ミコの状態が悪かったんだから、それほどあてにはなりそうにないけど。

 腹がぐうぐうと鳴る。海外の魂の修行には水食なんてものもあるらしい。ヨーグルトやバター、果汁しか食べない生活。更にその上には風食、文字通り霞や煙、光を食べる断食修行もあるのだとか。

 まさかあたしもそれをやる事にならないよね。

 ……。那美ならやれと言いそうで怖い。

 まあ、考えても仕方ない。布団に横になり天井を見た。梁は何十本にも増えたりしない。

 嗚呼。学校の授業を受けたいと思える日がくるとは……。はやく開放されて寮に戻りたい……。


 五日目の朝。断食二日目になる。体はかなり限界にきていて、戸を開ける力が入らない。

 烏さんの肩を借りつつ、禊のために滝へと向かう。今朝は那美の姿もあった。

「あの、初七日の法要はどうでしたか?」

「……アルカが気にする事ではない」

「そうはいっても、あたしのせいで」

「森崎先生の死は、アルカの責任では断じてない。全て斐氏教の責任だ」那美は手の平をあたしに向けて言った。「アルカがここ、森崎恋さんの悲しむ世界に落ちる前の世界では、森崎先生は今も生きている。アルカが今できる事は、既に起きてしまった出来事を受け入れた上で、前に進むだけだ。今はただ、枝を使いこなすことだけに集中しなさい。色々なことを考えるべきではない」

 那美の声色には、あたしに対する慰めも若干含まれていた。今の言葉は斐氏神社宗師としての言葉ではなく、純粋な彼女の良心も混ざっていた気がする。

 庇護ひごと情けをかけられているのに、いつまでも結果を出せない自分に対して、怒りを覚えると同時に心が痛んだ。

 前に進み、集中する、か。

 確かに、あたしには意思や信念が足りてない。人の命に係わっているという自覚が足りてない。

 レンは今もまだ悲しみ嘆いているのだろうか。ミコはレンの支えになってるだろうか。

 二人のことを想うと、自然に心臓が熱を持った。これ以上後悔なんてしたくない。

 禊を終えて、いつものように棕櫚しゅろの木の結界に入った。那美に断りを入れて横になると、枝を見るための瞑想を始めた。

 走り方を知ってるのに、歩き方を知らないと、那美に例えられた。

 あたしは頭の中に三度の転生に落ちる直前の夢を思い浮かべ、そこから時間を巻き戻すように歩みを戻し始めた。


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