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アルカ  作者: 試作439
第一章 ~アルカ・ソフ・オウル~
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第四節 13話 憔悴と恐慌

 森崎家の通夜は二日間続けられた。

 現職の県議会議員の事故死は全国区の報道番組でも伝えられ、他県のナンバープレートをつけた高級車がレンの邸宅に次々と吸い込まれる姿がテレビに映る。その脇でテレビ局のロゴの入ったワゴン車が堂々と違法駐車をしていた。普段なら森崎家の警備員や地域課の巡査がすぐにどかせるのだろうが、今は手が回らないらしい。

 学校や寮でもこの話題でもちきりだった。できるだけ耳に入れたくなかったが、教室、食堂、トイレや玄関。あらゆる場所で会話が聞こえてきてしまう。

 事故の状況そのものは至って単純だった。深夜、公務を終えて帰宅途中の森崎議員の乗った車が、大手運送会社のトラックに追突されて炎上。運転手の秘書は直前に逃げて無事だったが、後部座席の森崎議員は脱出することが出来ずに焼死。既に逮捕されている運転手は「前をよくみていなかった」と供述。前方不注意による追突事故。不審な点は全く無いそうだ。

 ただ、あたしだけは事件の真相を知っていた。それは他人に話しても決して理解されない、妄言として片づけられる真実だ。

 間違い無く、あたしが森崎議員を死なせてしまった。

 ここは、レンが嘆き悲しむ世界。

 頭脳明晰で常に冷静沈着。だからといって決して傲慢に振る舞わず、友達を大切にして、意外と笑い上戸。そんな彼女が泣き叫ぶ運命にある世界なのだろう。あたしが夢で見た。

 あれから以前のように上書きされた記憶が無いかを必死で思い出そうとしたが、何も思い浮かばなかった。

 あたしは考え尽くした結果、今回の改変はレンが悲しむ出来事が起きる改変と結論づけた。

 あたしは、望んだわけではない。望んでレンが悲しむ夢を見たわけではない。それだけは自信を持って言える。だからといって、罪は消えない。消せる罪ではない。あたしは、夢を通じて人を殺した。あたしが殺した。親友の父親を。

 夢が怖い。眠ることが怖い。



 翌日。学校の制服に身を包み、数人の寮生と共に告別式会場へと徒歩で向かっていた。

 式への参列者は全国から訪れる。地元の名士であり学校で目立つ存在のレンの父親ということもあり、生徒全員が参列可能かが検討された。駅前にある最大の葬儀場だが、入場できない者が多数出てしまうということで、一部教職員及びレンと同じクラスの希望者だけが参列可能となった。

 肩に衝撃が走り、「うわっ」という声が聞こえた。道を歩いていたあたしは何もない所で躓き、横にいた同じクラスの寮生に体重をかけてしまった。

「ちょっと、大丈夫? 広瀬」

 大丈夫、と口にしようとしたが、喉に力が入らない。あたしは金魚のようにパクパクと口を開け閉めしながら「ごめん」と声帯を振り絞り、再び歩み始めた。

 その姿を見たクラスメート達は、不安な視線をあたしに向けたが、誰も何も言わない。親友の家族が死んでショックを受けているだけだろうと勝手に解釈してくれたのかもしれない。

 寮から葬儀場までは二キロ弱ほどの距離だ。自転車を使えばすぐの距離だが、駐輪場に空きが少ないらしくて、徒歩で向かえと学校側から通達されていた。

 レンの父親の死を知って以降ろくに睡眠を取れないあたしにとって、二キロの距離は遠すぎる。それでもクラスメートと共に歩いて向かっているのは、普通に振る舞わなければ、あたしがレンの父親を殺した事実に気付かれてしまうと考えているためだった。

 自分でもそれが妄想だと理解している。だが、精神的に疲労の極みにある今のあたしは、もはや正常な思考すら困難な状態に陥っていた。

「タクシー使おうか? それか戻って寮で休んだほうが良いんじゃないか?」

「いや。いい。本当に大丈夫だから。ごめんね」

 二年に進学して以降会話をした覚えの無い男子が気遣って声をかけてきたが、あたしはそれを断った。

 行かなければならない。行って謝らなければならない。あたしが殺した親友の父親に。

 映画に出てくるゾンビのように、あたしは歩き続けた。



 告別式を行う葬儀会場に着くと、先に来ていた君爺とミコがあたし達に近寄ってきた。

「皆さん、裏手から入場しましょう。正面はテレビやマスコミ関係者が多いので」

「アルカちゃん、大丈夫?」ミコがあたしの横に立ち、肩を支えようとした。

「ごめん。平気だから」あたしはミコから目を逸らして、そのまま進んだ。「ミコだってずっとお手伝いしてて疲れてるでしょ?」斐氏神社の関係者として、通夜から参加して手伝っていると噂で聞いている。

「気にしないで。親友でしょ」そう言うと、ミコはあたしの手を掴んで強引に自分の小さな肩の上に乗せた。力強く見えるが、短い髪が額に貼り付き、疲労が溜まっているのが顔に出ている。

「……ありがとう」

 あたしがお礼を言うと、ミコは頷いた。本当に頼もしくなった。ここ数日、おそらくこの調子でレンの事もかなり助けていたのだろう。

 その時、目の前でカメラのシャッター音が鳴り、フラッシュが焚かれた。手をかざしてよく見ると、数人のマスコミ関係者と思われる男が先回りして、あたし達やクラスメートを撮影している。中には良いポジションで写真を撮ろうと、フェンスによじ登る者まで現れた。

「ちょっとあなた達、止めて下さい!」

「森崎氏のご息女のクラスメートの方ですよね、一言お願いします!」

 制止する君爺を突き飛ばして、殺気だったヒゲの男がマイクを突き出してきた。彼らの目には今のあたしがさぞ憔悴して見えることだろう。

「や、やめ……」あたしは既に限界だった。フラッシュの光が二つから四つ、十六と増えて、前後左右どころか上下からも照らされ始めた。

 ああ、また始まった。幻覚だ。

 光の海に包まれて意識が遠のく。

 目が回る。落ちる……

「やめろバカ野郎!」

 ミコの怒鳴り声がカメラの光を光で切り裂いた。肩に乗せていた手の平から強烈な熱が伝わり、一瞬で心臓に炎が灯る。力が湧き上がり、眠気が吹き飛び、頭が冴えて視界が広がった。

 幻覚が幻覚によって真っ二つになる幻覚。いや、全部一つの幻覚だけどね。

 冷静になったあたしは何が起きたのかすぐに理解した。ミコの叫びで目が覚めた。マスコミのカメラマン達は茫然と口を開けて佇み、クラスメート達もびっくりして硬直している。一番近くで聞いたあたしも耳がキンキンしているが、脳天から足先まで熱い血が巡っている。

「今だ、ほらみんな走って。君爺も!」あ、君爺って言っちゃった。まあいいか。

 後ろのクラスメート達に声をかけると、制服のみんなも走り出した。あたしは君爺、もとい君島先生の背中を押しながら、ミコと手を繋いで葬儀会場の裏口に駆け込んだ。



「大丈夫ですか!」

 ミコの裂帛の怒声を聞きつけたのだろう。マルが裏口前の廊下に駆け込んだミコに近寄ってきた。久しぶりにこの顔を見た。ていうかミコだけに声をかけんな。斐氏教信者ってこと少しは隠せよ。

「大丈夫です丸上先生」ミコが熊を落ち着かせるように、マルに優しく声をかけた。

「ご苦労様です丸上さん。生徒達も疲れております。すぐに席まで案内をお願いできますか?」

 ミコと君爺に声をかけられると、マルの肩から警戒色が抜けた。

 あたしとミコの新旧担任そろい踏みは今まで見た事が無かった。レアな絵面だ。二年に進級した時に担任が変わり、それ以降マルは柔道の顧問と体育関連以外に仕事が無く、クラスを受け持っていると聞かない。例のビンタ事件以降、まともに向き合ったのは久しぶりだった。

「全員こっちだ。君島先生だけ前の方に席を用意してあります」

 マルはてきぱきと道案内を始めた。筋肉質だから喪服を着てるとまともな大人に見える。君爺に対しても丁寧で、二年になってクラス担任を外された嫉妬や逆恨みのようなものは無いみたいだ。『俺はミコ様のため頑張ったのに、俺の代わりに担任になりやがって』なんて思っていないようで安心したわー。

「じゃあね。アルカちゃん。私はもう少し手伝いがあるから」

「うん。さっきはありがとね」

 通路の分かれ道でミコと離れ、あたしとクラスメート達は参列者用の席の最後方に案内された。前方は三分の二以上がほぼ埋まっている。今も新しい参列者が次々と席を埋めていて、人の流れは途切れない。

 あたしは正面の祭壇を真っすぐ見た。そこには、あたしが死なせてしまった人の大きな遺影があった。テレビで何度も見た顔だ。白髪交じりのオールバックで精悍な雰囲気の顔。『休日に時々スカッシュをやるんだ』とレンが言っていた通りの爽やかなイメージだ。

 あたしはこの人の顔を生涯忘れてはいけない。

 すると、遺影の前を横切る制服が見えた。ミコだ。ミコが足早に遺族が座っていると思わしき所を歩き、同じ制服の前で立ち止まり口を動かした。ミコの前にいるポニーテールの少女が立ち上がってこっちを見た。レンだ。

 レンは眼鏡をくいと上げると真剣な表情になり、遺族席を横切って歩き出した。あたしの所に来るつもりだろうか?

 あたしもレンの所に向かおうと立ち上がった時、肩に手が置かれた。振り向くとそこには見覚えのある美人がいた。ミコの母親、喪服姿の二宮那美だった。

「あなた、たしか広瀬さんだったわね」

 唐突に出現した二宮那美に聞かれて、あたしはとっさに声が出ず、ただコクコクと頷いた。

「森崎さんと同じくらいミコと仲が良い」

 そう言われても、それはあたしの目線から答えられない。レンとミコの距離感をあたしが評価できないためだ。ミコはあたしよりもレンのほうをずっと大事にしているとも考えられる。

 あたしが返答できずに言い淀むと、二宮那美はあたしの周りにいる生徒達に目線を向けた。『どうなの?』と目力のこもった視線で射抜かれた生徒達は、全員が頭を上下に振った。

 二宮那美の目が据わった。「あなたは最近、おかしな夢を見る」

 自分でも目が泳いだのが分かった。

 あたしは今、見定められている。頭の芯が急速に茹で上がる。

「その夢により、困り果てている。誰かに助けを求めたい」

「あ……あの……」

 彼女は何かを知っている。夢や世界の改変の謎を。

 やはり斐氏教とミコが関係していたのだ。だが咄嗟の事で声が出ない。

 しかし、あたしが返事をする前に、二宮那美はあたしの態度だけで確信を得たようだ。ちょいと指を動かすと、喪服姿の細身の男が足音も無く側に立った。たしか、以前に見かけた運転手の男。

大江おおえが名代に立つよう伝えて。風間かざまは私と共に彼女を」

「はい」

 風間と呼ばれた男は、葬儀場の前方に歩いて行った。

「あなたのお悩みを解決させる智慧がある。と言えば解るな?」

 二宮那美の言葉にあたしは唾を飲み込んだ。

 彼女の視線は冷たい。だが知性と深い洞察力が感じ取れる。一部か、あるいは全てか。二宮那美は事情を把握している。

 ミコを部屋に泊めて、おかしな夢を見た。その日以降、夢の中で妙な感覚を体験すると、世界が変わり記憶が二つに増えるようになった。一度目が君爺のテスト。二度目がパンダの国旗。そして三度目が森崎議員の死。それら世界の改変直後は、冷や汗が流れて手足の感覚が鈍り、眩暈が頻発して幻覚や幻聴まで起こる始末だ。いくらあたしが居眠りの達人だとしても、ここまで酷くて長く続く悪夢は見た事が無い。

 彼女の話を聞かなければならない。あたしは「行きます」と返事をした。

 二宮那美はただ頷き、葬儀場の前方を見た。あたしも彼女の目線を追うと、風間という男が女性と話をしていた。すぐにその場を離れてこっちに向かい歩いて来る。女性もこちらをじっと見ており、そのすぐ横には以前にも見かけた秘書っぽい眼鏡の女性がいた。横の女性と背の高さや頭の形が完全に一致している。親子や親族同士なのかもしれない。周りにいるのは全て斐氏教の信徒なのだろう。数人がこっちを見ている。中にはイケメンの白人までいた。髪が淡い金髪で目が青い。

「車を裏口に用意して参ります。少々お待ちを」

 風間が駐車場のある出入り口に消えた。二宮那美が何も言わず、裏口に続く通路の入り口に向かい、あたしもその後に続く。背中にクラスメートの視線をビシビシと感じる。

「あの、これからどこに行くんですか?」

「とりあえず、広瀬さんはぐっすりと眠って体力を回復させたほうが宜しいのでは? 今は眠ることが恐ろしくて仕方ないでしょう」

「は、はい」

 たしかに二宮那美の言う通り、今のあたしの精神状態は悪い。森崎議員の死を知って以降はろくに眠れず、体力も尽きかけている。

 やがて風間が裏口から現れて、それを見た二宮那美は無言で歩き出した。足音が全くしない。気配が全く無いのに背中のオーラが半端じゃなく感じる、不思議で奇妙な存在感だ。

 あたしはレン達のほうを見た。ミコとレンは立ったままじっとあたしを見ている。遠いけど確かに目が合った気がした。「ごめん。レンのお父さんの式に出れなくて」心の中で謝ると、それに答えるかのようにレンの眼鏡がキラリと光った。

 あたしはそのまま踵を返し、二宮那美の後を追った。

 後日、あたしはこの瞬間を後悔することになる。せめて告別式が終わるまで待ってもらうように強く出ておけば、最後に見たレンの顔が眼鏡の光る姿ではなかったはずだ。別れの最後に見る顔として実にふさわしくなかった。


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