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アルカ  作者: 試作439
第一章 ~アルカ・ソフ・オウル~
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第三節 10話 世界の改変

 中国国旗の由来


 熊猫旗は一九四九年、中華人民共和国の建国時に、中華人民政治経済青年連合会の多数決により可決された。第二次世界大戦終結後の中国は深刻な食糧不足により大量の餓死者を出していた。国旗制定時の願いとして、ありふれた植物である笹を食しているのに丸々と太ることができるパンダのように、中国国民も頑健で力強い肉体を持つようにとの想いが込められた。また、白と黒の体毛は太極図の色と共通しており、万物生成を示すシンボルと国家再生を願う意図を掛け合わせたとも考えられている。


 一九六二年 中印熊猫紛争 通称パンダ侵攻


 中国とインドの国境付近で、一部少数民族が中国の軍拡主義に反発。パンダの皮を剥ぎ旗に加工して抗議した。国獣であり国旗にもなっているパンダに対する虐待阻止を名目に中国共産党軍がインド国境を越えて侵攻。これにインド東北辺境部隊が応戦。争いは他の国境地帯にも拡大し、双方合わせて一万人以上の死傷者を出す事態となった。戦いは中国が勝利し一方的停戦を宣言したが、インド側は現在も謝罪を要求している。また、この紛争はインドが核兵器開発を行うきっかけとなった。


 一九六九年 中ソ熊猫紛争 通称赤いパンダ事件


 当時、アメリカと急速に接近しつつある中国を警戒したソビエト連邦が、対中強硬姿勢を強めた。『中国の国旗は共産主義国家であることを示していない』と主張して、中国国境に大規模部隊を派遣。熊猫旗の黒い部分を、共産主義を示す赤い色に染めた旗を掲げ、対アメリカ政策の転換を要求した。これに中国側が反発。北部方面人民解放軍部隊との睨み合いが半年近く続き、一部で武力衝突も発生。双方に多数の死傷者が発生したと思われるが、両国政府は公式に武力衝突の存在を認めていない。


「ふう」あたしはパソコンから目を落とし目頭を揉んでから、両手の指でこめかみをマッサージした。

 パンダ侵攻も赤いパンダ事件も、以前にテレビのドキュメンタリー番組で見た覚えがある。共通しているのは、パンダの国旗が引き金になっている歴史上の事件だ。

 これらが元々の記憶にある、赤地に星の中国国旗だったら起きなかっただろうか。

 おそらく、起きたはず。さほど変わらないような気がする。第二次大戦後の中国がソ連、現在のロシアやインドと武力衝突した話も何かの番組で見た。それはパンダの国旗だろうとそうでなかろうと無関係な気がする。そう願いたい。

 そう。パンダの国旗は、たしかにあたしがふざけて夢で見た国旗である。

 だが、あたしが夢で見た事により歴史が改変されて人が死んでるだなんて、そんな馬鹿なことあるわけない。たしかに、あたしの記憶には赤地に星が入った中国国旗と、白黒のパンダの国旗がある。だからといって、あたしの夢が世界史を改変しただなんて。おかしすぎて。

「ちょっと、広瀬?」

 ありえない。

 だがこの二つある記憶はどっちが正しいのだろう? 当然、赤い国旗が正しいはず。パンダの国旗ってふざけすぎ。

「広瀬って」

 肩を揺すられて顔を上げると、同じクラスの女子がいた。レンに次いで頭の良い子だったはず。名前はたしか、安上あんじょうさん。

「あんた大丈夫? なんか下見てずっと空笑してたけど」

 空笑。うん。笑うでしょうこんなの。

 あたしは安上に尋ねた。「問題です。日中国交正常化の前段階として、日本国内の政府要人の訪中が活発化した年は何年でしょう」

「一九六八年。ひとくろうだよパンダの旗は!」

「正解」

 安上のガッツポーズが目の前のモニターを覆い隠す。

 六十八年からパンダの旗を持った日本の政治家が中国を頻繁に訪れるようになり、七十二年に国交が回復した。

 年号暗記の語呂合わせまで、一般常識化している。中学生時代に社会の授業で習うことだ。

 だが、この語呂合わせは、パンダ国旗特有の語呂合わせだ。赤い星の中国国旗ではこんな語呂合わせは存在しなかった。

 インターネットだけじゃなくて、目の前の女生徒を含む全世界がおそらく、中国国旗がパンダだと認識している。

「広瀬って中国史が好きなの?」

「うん? いや、中国史っていうか国旗が気になってね」

「なにが?」

「国旗にパンダって変じゃない?」

「別に変じゃないでしょ」安上はアルカの前のパソコンに『国旗』『動物』と入力して検索した。「国旗に動物を使っている国は結構あるよ」

 たくさんの国旗が画面に表示されていく。

 たしかに彼女の言う通りだ。剣を持ったライオンの国旗。真ん中にラマが書かれている国旗。ユーラシア大陸中央にある国では、動物とはいえないが竜が国旗の絵になっている。南米中央の国に至ってはアルパカが政府旗に書かれていた。

「平成二十八年の三月には、ニュージーランドで国旗変更の国民投票が行われて、国鳥のキウイが描かれたものがネット投票で大人気になり、新国旗になりかけたこともあったね」検索して出てきたキウイは、目からレーザービームを出していた。

 おお。これと比べたら、中国のパンダがかなりまともに見える。

「まあ、中国じゃ白黒は縁起が悪いらしいけど、白黒が混ざった国旗もたくさんあることだし」

「うん。まあ、そうだね……。ありがとう」

 立ち去りかけた安上の背中に「あ、ちょっと待って」と声をかけた。

「なに?」

「最後にお願いがあるんだけど。あたしの頬をつねってくれない?」

 彼女は眉間に皺を作ると、苦笑いを浮かべた。「ごめん。無理」



 お風呂に入り、自室での義務自習時間となった。就寝時間まで勉強しなければならない時間だが、大抵の生徒は試験前でもない限り真面目に勉強しない。時々寮母さんが見回りに来るが、大騒ぎしてなければ怒られることも無い。あたしは二年になって以降は一人部屋状態だから、何も言われたことが無かった。

 あたしが机に向かい座っていると、ドアがコンコンと叩かれた。返事をすると間もなくドアが開き、寮母さんが顔を覗かせた。

「あら、珍しい。広瀬さんがお勉強なんて」

「復習をちょっと」

「ふうん。感心感心」寮母さんは部屋の中に入ってきた。

 復習といっても、他に見落としている歴史の改変が起きていないかを探してただけだ。世界史の教科書をパラパラとめくり、国旗がパンダになる以前の中国史をさっと調べたり、元国家元帥の落書きを謝罪しながら消しただけ。消しゴムで消すと、その下から頭髪がフサフサになったイケメンが現れるようなことも無く、見憶えあるおじいちゃんの写真が現れただけだった。

「これは、英語のテスト?」

「はい」

「四十六点。広瀬さんなら、頑張ったらもう少し良い点が取れるかもしれないわね」

 またまたあ。思ってもいないことを。ツッコミを入れたくなったが、励まし上手の寮母さんを傷つけたくない。

「ええ。次は頑張ります」

 正直、英語はしばらく見たくもないが、念のため先ほどもう一度だけ確認した。やはり選択問題の多いテストだったし、文字がブレる幻覚も無かった。

 一人にしてほしい雰囲気をかもしだしたけど、それでも寮母さんは部屋から出て行かない。それどころか窓を開けて外を眺め始めた。長居する空気だ。

「あの、何か用事ですか?」あたしはストレートに尋ねてみた。

「うん。広瀬さんのとこは、たしか親御さんが離婚されてたよね」

「ええ」

「どう? 寂しさとか無い?」

「いえ。別に。大人ってそういうものですし」

「そう。広瀬さんは強いのね。あたしがあなたくらいの頃なら、親が離婚するとなったら毎日泣いちゃってたかも」寮母さんは手で涙をぬぐう仕草をした。

 この人は評判の良いおばちゃんだが、おせっかいというか、スキンシップが激しいきらいがある。しばらく前にも怪我で部活の大会に出られなくなった女子の寮生を目に涙を浮かべつつ抱きしめながら慰めていた。一言でいうと熱血系泣き虫寮母。

「なんだったら、寮長さんの金庫からこっそり広瀬さんの携帯持ってきてあげようか? 一晩くらい貸してあげてもいいわよ」

「いえ。結構ですよ。本当に」

「じゃあ、テストの事で悩んでるとか? 成績が伸びなくて不安とか」

 寮母さんは窓を閉めると手を握ってきた。「あたしで良かったらどんどん頼って。寮母とは女子の寮生全員の母親でもあるの。あたしで不満なら校医の先生でもいいし。二十四時間呼んでいいのよ?」

 寮母さんの過剰な優しさに違和感を感じて、すぐに察することができた。誰かがあたしの様子がおかしいと告げ口したのだろう。自習室で会った生徒かもしれないが、階段ですれ違った生徒かもしれない。気持ちはありがたいけど少しだけ迷惑だ。

「わかりました。本当に困ったら頼りにします。心配させてごめんなさい」

「気にしなくていいのよ。何かしてほしいことある?」

「とりあえずは、もう少し勉強したいので、一人で集中したいです」

 あたしが遠まわしに突っぱねると、寮母さんもそれ以上強引に迫っては来なかった。

「わかった。夜中でも不安になったら、遠慮しないで寮母室まで来なさいね」

 寮母さんはあたしの頭を撫でると部屋を出て行った。

 あたしは溜息をついて机の上を片付けた。二段ベットの下段に飛び込み、頭の下に手を組んで上を見つめた。

「頼れと言われてもねえ」

 しばらくベット上段の底板をじっと見つめていると、また幻覚が始まった。板の継ぎ目がうぞうぞと動き、それはやがて生命維持装置の波形みたいに波が大きくなり、板が何十枚にも増えていって、やがて揺れが小さくなり収まった。

「これをどうにかしてくれるんですか?」

 頭の中に慌てて手を振る寮母さんが浮かび「無理です」と言われた。

「中国の国旗は赤くて星があるんですよ?」

 今度は自習室で会った安上さんが出てきて「そんなの変」と言い切られた。

「変ねえ。あたしから見たら、皆さんを含めたこの世界が変なんですよ? なんなんですかパンダの国旗って。ふざけた世界にもほどがありますよ。ミコがクラスで英語がトップになったのだって、ちょっと考えたらおかしいって分かるじゃない。いつも赤点取るかギリギリセーフだったのに。なんで気付かないかなあ」

 どうしても耐えきれず、あたしは枕を口に押し付けて「あーーっ!」と叫んだ。肺の空気を全て出しきり、むせて少しだけ咳をすると、ちょっとだけ心が晴れた気がした。

 夢を見ると、世界が変わる。

 いや、正確には、夢の中で変な感覚があると、世界が変わり、記憶が増える。

 一度目の夢では、レンが君爺にテストの誤記を指摘した世界から、選択問題が多くてミコがトップになるテストの世界に移った。

 二度目の夢では、中国の国旗が赤い国旗からパンダの国旗である世界へ。

 どちらの夢も、見た直後は冷や汗が止まらなくなり、強い幻覚を伴う。あの冷や汗はおそらく落下する時の恐怖の感覚だと思う。強烈なめまいとふらつきが目覚めた後もしばらく残る。乗り物酔いを数倍強烈にしたような不快感だ。吐き気が無いだけましかもしれない。

 うわん、うわんという、トンネルの中を車で走っていると聞こえる反響音。あれが夢を見ている時に聞こえるとまずい。あの音は世界が切り替わる合図のように思える。あんな音の鳴る夢は、今まで見た事が無かった。

 なんで突然こんなことになったんだろう。

 あたしはベッドの上で横になり、両手を胸の前に投げ出した。ここにミコが泊まりに来たのも今となっては懐かしい……。

 ……。

 そうだ。あのうわんうわんを聞いたのは二回じゃない。三回だ。

 ミコが泊まりに来た日。一緒にこのベッドで眠った時、あの日にも聞いた覚えがある。あの時も夢を見ていた。

 あたしは何度も寝返りを打って思い出そうと努力する。どんな夢だったかなあ。

 うーん。うーーん。ううーーん。

「だあっ!」ダメだ。思い出せない。あたしはもどかしくて勢いをつけ上半身を起こした。上段ベッドの底板に頭を擦ってしまい、髪留めが外れて髪がはらりと胸の前に垂れる。

 そういえば、ミコもここで寝た時は髪を解いていた。いつものお団子じゃなくてさらさらと長く美しい黒髪。レンやあたしも長いほうだと思うけど、ミコの髪はもっと長かった。


「ミコは髪を誰にも触らせない。僕だって触ったことが無いんだよ?」

「斐氏教の教義にあるらしいんだ。女性は髪をできるだけ固く結んで入浴時と修行時以外は解くなって。寝る時も髪をまとめて、乱れ箱に入れるとか」


 レンの言っていた言葉をふいに思い出した。

 あたしはあの日、ミコの髪に触れるどころか、包まれて寝ていたと言える。一緒のベッドで何時間も。

 ミコの母親は、自分の一族は神の末裔だと主張しているとか。

 もしも、ミコにも神の一族とやらの能力が何かあるのだとしたら。

 今のこの奇妙な現象は、全てミコのせい?

 あたしの胸の中に重く暗い気持ちがわきあがったが、すぐに追い払った。親友を疑うなんて酷すぎる。自身の醜い気持ちに悲しくなってくる。

 だが、いくら考えても心当たりがミコ以外に思い浮かばない。


「彼女と親しくするのは慎重なほうがいいよ」


 いつか誰かから受けたアドバイスが聞こえてきた。

「ああ、もううるさい!」あたしは枕で耳を塞ぎ、怯える兎のようにうずくまる。

 混乱と困惑は就寝時間が過ぎてもずっと収まらなかった。


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