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アルカ  作者: 試作439
第一章 ~アルカ・ソフ・オウル~
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第一節 1話 五月の学校にて

 今。

 わらわの手の平には、無量大数の命がある。

 小の指をつつと動かしただけで、多くの者が、消えるであろう。

 そして、わらわを通り、流転する。


 かつて、わらわがヒトであった頃に聞いた、ヤドリギの話。

 

 それは、他の樹木に宿り生育する。

 複数の種類があり、それぞれ宿主が異なる。

 クリスマスの飾りとしても有名で、ヤドリギの下ではキスをしても良いと伝えられており、オークの木に宿ったヤドリギは特に神聖視されている。

 また、北欧神話において、女神フリッグが世界と交わした契りから外れ、その息子である神バルドルを殺した凶器としても知られている。……と。


 ヤドリギが世界の流転から外れた存在であるならば。

 わらわもまた、世界の外にいるべき存在なのであろう。

 ヤドリギが凶器であるならば。

 わらわの存在は、咎そのものなのであろう。

 小春日和とは春ではなく、秋のことを指すらしい。おかしな話だ。だったら小秋日和とでも呼べばいいのに。

『小秋日和』英文の下に書いてみたけど、しっくりこない。やっぱり秋の一文字があるだけで、穏やかな気配が消えて肌寒さがイメージされるかな。

 春眠暁を覚えず。これもなかなか。だが漢字が固いかな。中国のことわざだから仕方なしか。

 春はあけぼの。うん。素晴らしい響きだ。語感がしっとりして、まったり感が美しい。あけぼのという平仮名は角が無く、書いただけで心が丸くなる。

 枕草子って名前が安眠を連想させてくれるのもグッドだ。

 あけぼのあけぼの。

 一学期の中間テストが終わった翌日の午後。気だるい空気に包まれた教室に、君爺きみじいの英語が響いている。痩せぎすな体型に似合わず、声はドラマで見る老刑事のように渋い。

 窓から吹き込むそよ風が、船をこいでいるあたしの頬を撫でる。五月末の風は迫力が無くて、眠気を飛ばすほどの冷たさは無い。

 高校二年に進級してクラス替えがあり、四階から三階の教室になった。視点が低くなり、樫の木が南に広がる海を見えなくしている。

 上級性になるほど教室が下の階になるのは、景色をつまらなくして勉強に集中させる狙いでもあるのかな? 

 などとぼんやり邪推してみる。

 猫背になったあたしの髪が、はらりとノートに落ちる。そろそろ切りに行こうかな。

 毛先を指で擦っていると、いよいよ眠気を耐えられなくなってきた。春の陽気、いと手強し。

 君爺が板書を始めたのを見て、遂にあたしは机に突っ伏した。

五秒。いや、三秒だけ。

 目を瞑っていると、体から力が抜けていく……。

 zzz。

 トントン。

 背中をつつかれる感触で、うっすらと覚醒した。あれ? どこだっけここ。

 顔を上げて確認したい。だが気力が不足しているのですよ。

 仕方ないので動きません。

「アルカ。ああ、もう」

 後ろの席の生徒から少し強く背中を叩かれ、あたしは顔を上げた。

 すると、黒板の前で両手の指を揉みながら立っている君爺、もとい君島きみしま先生と目が合った。

広瀬ひろせさん。暖かいし、テストが終わって気が抜けるのも分かりますが、もうちょっとだけ頑張ってくださいね」

 その一言で、自分が完全に寝入っていたことに気付いた。「あ、すいません」むにゃむにゃとした声で謝罪して、目を擦りながら頭を下げる。

 隣の席の男子生徒にフフンと鼻で笑われた。斜め前の離れた席に座っているレンも、振り返ってニヤつきながら、眼鏡をくいと上げた。

 しょうがないじゃん、この席暖かいんだし。と、心の中で言い訳を口に出す。

 君爺は迫力の無いカミナリをあたしに落とすと、背を向けて黒板消しを手に取り板書した英訳文を消し始めた。

「ごめん。あたしどのくらい寝てた?」振り返り、後ろの席の女生徒に尋ねた。

「死んでたのは三分くらいね」

「そっか。ごめんね、なんか気を使わせて」

「いいよ。それに半分寝てるのアルカだけじゃないし」

 シャープペンで示された方向を見ると、たしかに半分目を閉じているような生徒がちらほら。

 そこで気付いた。君爺は出席番号で生徒に質問するタイプだ。今日の日付はあたしの番号だった。何か問題を出されたのだろう。迂闊。

 前を向き少しだけ反省して、教科書に書いた春に関する落書きを消した。

「テストの採点はもう少し待って下さいね。次の授業だから、あさっての三限目には返しますので」

 テストという単語を聞き、教室を緊張した空気が包んだが、すぐに霧散した。採点の早い先生ならば、テストの翌日には答案用紙を返してくれることもあるが、君爺は遅いほうだ。

「そうですねえ、今日は皆さんテストが終わったばかりで疲れてるだろうから、後の時間は自習にしましょう。僕もここで英語のテストの採点をしてるので、何かわからないことがあったら質問に来て下さい」

 君爺が言うと、ため息と同時にペンや消しゴムを片付ける者が現れた。教科書をカバンにしまい、帰る準備を始める者までいる。今日は英語の授業が終わった後は、ホームルームを残すのみ。このクラスの担任は君爺だから、待つ必要が無くすぐに終わる。

 寝ちゃダメな空気なら眠たくなるが、寝ても良い空気ならば眠くならない。なんでだろうね。

 徐々に目が冴えてきたあたしの目端に、教卓にいる君爺の元へ向かうレンが見えた。ポニーテールが左右に揺れ、右手には紙が一枚。君爺の前に紙を見せて言葉を交わしている。すると君爺の顔がやや真剣になった。一言二言何かを言うと、レンは頷き席に戻り座った。

「ああ皆さん注目。今、森崎もりさきさんに指摘されて気付きましたが、昨日のテストの最終問題文に誤記が見つかりました。答案用紙を持っている人は周りに見せてあげてください。最終問題二段目末尾のinですが、そこはfromの間違いです。inでは問題の意味が、用紙を得たから用紙を与えたに変わり、意味がおかしくなってしまいます。ですので、この問題は全員正解とします」

 ラッキー。たしか、あたしは全く解らず適当に答えた問題だ。

「ナイスだ森崎」「れんちゃんすごい」「よく解ったなこんなの」

 周囲の生徒達が称賛の言葉をかけ、レンはVサインで返している。

 さすが学年トップの秀才。親友として実に誇らしい。

 軽い喧噪も君爺の咳払いでやがて静まった。

 教室を静寂とわずかにペンの走る音が支配する。教室の正面にかけてある壁時計の秒針の音が聞き取れるほどひっそりしている。

 授業時間が残りわずかとなった時、

「きゃああああっ!」

 くびり殺される小鳥の断末魔のような悲鳴が教室に響いた。

 廊下の後ろ側の席にいるミコが、机を押し倒しながら床に倒れた。

「待ってっ! あああっ、ぐぅあっ」獣のように吠えると足を二度三度とバタつかせながら、前の席に座る生徒の椅子を蹴りつける。

「お、おい二宮にのみや?」隣の席の大柄な男子生徒が手を伸ばすと、片手でどんと突き飛ばした。押された生徒は軽くよろめき、寄りかかられた別の席の女子生徒が軽い悲鳴をあげた。

 直後、ミコは急に夢から覚めたかのように上半身を起こすと、両目を見開き動かなくなった。

 突然の異様な行動に、誰も声をあげることができない。

「二宮さん! 大丈夫ですか?」君爺があわててミコに駆け寄った。

「あ、ああ。えっと、君島先生」ミコの顔色はとても悪いが、口調はしっかりしている。「はい、大丈夫です。その、寝ぼけてしまいまして」早口に言いきると、スカートについたホコリを払いながら、ミコは引きつった愛想笑いを浮かべた。

「悪い夢でも見たのですか? 保健室に行ったほうが良いのでは?」

「いえ、本当にすいません。大丈夫ですので。騒いじゃってごめんなさい」

 机を元に戻し、前の席の生徒に謝罪を済ませると、ミコは椅子に座って反省している素振りを見せた。

 君爺はそれでも不安な目をミコに向けていたが、ミコが拒絶的な態度を崩さない様子を見て「痛い所があったら後で良いから教えて下さいね」と声をかけ、教卓へと戻った。

 周りの席の生徒達はひそひそと話をしているが、誰もミコに声をかけようとはしない。あたしがそれでもミコを見つめていると、ミコはこっちに気付き苦笑いを浮かべた。

 あたしは「あとで」と声を出さずに口パクすると、意味が伝わったようだ。ミコはコクリと頷き、教科書に顔をうずめた。



 美子みこに奇行癖があることは有名だ。

 自宅から離れた鰐丘わにおか高校に入学して初日。あたし、広瀬ひろせ亜瑠香あるかの隣の席には二宮美子がいた。

 周りの席が男子に囲まれていたため、自然に美子と親しくなっていく。学校の寮に入ったばかりでクラスに友達がいない寂しさもあった上に、美子はとても小さくて幼く見えるので話しかけやすい。あたしのほうから美子に依存したと思う。

 そんなあたしに、地元からの進学組であり、美子を昔からよく知る者たちから「彼女と親しくするのは慎重なほうがいいよ」と、やんわり助言を受けた。地元組曰く、美子の実家は神社で、神道の大家であり、教祖の母親は自分の一族は神の末裔であると自称しているとかなんとか。要塞のような施設があり、敷地には山が複数あるとかかんとか。

 土地鑑が無く旧友もいない高校。郷に入っては郷に従うべきなのだろうけど、あたしもそれほど周りの空気を読んで行動するタイプではない。容姿平凡、無趣味無芸。唯一の特技はどこでもすぐに眠れること。いや、これは特技といえないか。

 そんなわけで、あたしは孤立しがちな美子と親しくなった。

 美子はたしかに変わり者だった。花壇で花に向かって話しかける。グラウンドでの授業中、いきなり地面を素手で掘る。水を大量に飲み、吐いて倒れた事もあった。突然の金切り声。突然泣き出す。人がいる場所だろうとお構いなしに奇行は突然始まる。周りはまたかといった感じでスルーするが、見慣れていないあたしはやはり心配になる。「大丈夫?」と声をかけるのだが、返事は常に「ごめん。大丈夫」だった。

 行動のおかしい小さな娘と、遠くから入学してきたぼんやり娘。これだけなら美子とあたしはイジメのターゲットにでもなって当然だったはず。ところがそうはならなかった。



 スピーカーから響く終業のチャイムが、ぼんやりしていたあたしの意識を引き戻した。

「はい、じゃあ授業終わります。誰か報告する事はありますか?」

 君爺が教卓の上にあるテストを束にまとめながら言ったが、誰も声をあげない。ミコのほうに目を向けてじっと観察しているようだが、ミコはというと俯きながら勉強道具を片付けている。その様子を見て、君爺は問題無いと判断したようだ。「ええ、では、これでホームルームも終わりにします」

 もうじき定年でゆっくりと歩く君爺よりも素早く、体育系の部活をやっている生徒達が廊下に駆け出していく。部室に一番乗りしたいのだろう。元気でなにより。 

 英語の授業が最後にある日のホームルームは、この調子でどのクラスよりも早く終わる。

 あたしも帰る準備を済ませると、そのままミコの元へ向かい、隣に空いている運動部の男子の席に座った。

「大丈夫? さっきのすごかったけど」

「うん。ありがと。ごめんね、ちょっと寝てて悪い夢見ちゃって」ミコは肩を縮めて目を合わせない。

 ふと、彼女の頭のお団子が崩れかけている事に気付いた。さっき暴れた時に乱れたのだろう。ミコはいつも長めの黒髪を後頭部にかっちりとまとめていて、別の髪型を見せたことが無い。

「後ろ、ほどけかけてる」あたしは自分の後頭部をトントンと指で叩いた。「まとめてあげよっか?」

 手を伸ばしたら、ミコが後ずさった。「いや、いいのこのままで。ごめん」

 過敏な反応で拒絶された。あたしは少しだけムッとしたけど、顔には出さないよう我慢した。

「ミコは髪を誰にも触らせない。僕だって触ったことが無いんだよ」帰り支度を済ませたレンが、ニヤニヤしながら寄ってきた。「アルカや僕よりも髪が長くて綺麗なのにねえ」

 レンはポニーテールの髪留めを外し、自分の髪を胸の前で摘んだ。

「へえ。小さくまとめてるから、そこまで長そうには見えないね」

「ミコの家で一緒にお風呂に入った時に一度見ただけだがね」レンは髪を再び後ろで留めた。「斐氏あやるし教の教義にあるらしいんだ。女性は髪をできるだけ固く結んで入浴時と修行時以外は解くなって。寝る時も髪をまとめて、乱れ箱に入れるとか」

「乱れ箱。なにそれ」

「昔の髪が長い女性は、寝る時は着物を入れる箱に髪を入れて寝てたんだって。その箱が乱れ箱」

「ふうん。手間がかかってるんだ」

 斐氏あやるし教。ミコの実家だ。この町では有名だが、他所の街から来たあたしのような学生なら、まだ知らない人もいるかもしれない。

 デリケートな問題のはず。それなのにオーバーアクション気味に話すレンの姿は目立つ。あたしは周りをちらりと見たが、誰もこちらを見ていない。だが聞き耳を立てられているのは察することができた。教室全体がしんとしている。

 レンの存在が、ミコとあたしの平和な生活を守ってくれている。というのも、彼女の父親は県議会の議員であると同時に、斐氏教の信者でもあるためだ。表立って公表してはいないが、町では周知の事実なんだとか。その他親族も地元の名士揃いらしくて、レンは学校の成績トップでミコと高校までずっと一緒の幼馴染。そりゃあ周りも警戒する。この個性的な二人に近づいて平気でいられるのは、遠くからやってきた何も知らない者、つまりあたしくらいだった。

「それにしてもミコ。さっきの悲鳴すごかったね。どんな夢を見たんだい?」

 ミコは小さく首を振り、レンから目を逸らした。「覚えてない」

「体調は悪くないかい? 風邪とかひいてない?」レンは突然、ミコの頬を両手で包み、額を合わせた。

 途端に百合の花が二人をハート型に包んだ。

「ひっ」ミコは小さな悲鳴をあげたが、レンがキスをするわけではなく熱を測るつもりだと気付くと、頬を赤らめておとなしくなった。

 少女漫画じゃないんだからさ。この方法で熱を測る人間をリアルで初めて見たよ。さすがレン。色男だ。女だけど。

「うん。大丈夫みたいだね。最近は暖かいし、風邪だとしてもすぐに回復するだろう」

 ニヤリと笑みをミコに向けるレン。その背後に男子が立った。

「森崎、そろそろ掃除始めていいか?」

「ああ。うんわかった。ミコ、すまないが校門あたりで待っててくれないか。僕は今日の当番だから、ちゃちゃっと終わらせてすぐ行くよ」

「うん。ごめん」ミコは鞄を手に立ち上がった。

 すっかりごめんが口癖になっていて、意味も無く誰にでも頭を下げる。

 良くないなあ。

「あたしも校門まで付き合うよ」寮生のあたしは、学校が終わったら裏側にある寮へと戻るだけだが、体調の悪そうなミコを一人にさせるのも不安だ。

 レンに手を振り、ミコと共に玄関へと向かった。


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