第8話〔気を取り直して行きましょう〕①
前回より日数は掛かったものの、ようやく自由になった左腕の感触を確かめながら出勤した日の朝一、預言者の部屋で揃ったいつもの顔ぶれに、白のローブを着る相手が手の平を合わせて言う。
「本日は洋治さまの全快祝いと題して、私から細やかな提案がございます」
ム。
「どんな提案ですか?」
祝ってもらう事にさほど興味はないが、内容は気になる。
「はい、以前お話をした大浴場の件です」
「……それって、皆で一緒に入るってやつですか……?」
「おや。ご希望でしょうか?」
「しません」
「おや残念。――でしたら洋治さまは男湯の方に入っていただきましょう」
「あるんですか? 男湯」
「勿論ございます。ただ――」
「ただ?」
「――めったに使用しないので、少々清掃する必要があるかと」
「なるほど。要するに、掃除をすればいいんですね?」
「仰るとおりです」
「ならします。――……もしかして、今日の仕事って?」
「はい。流石のお察しです」
と相手が、手を打ち合わせ、柔らかな表情を見せる。
「いいんですか? かなり個人的な内容ですよ」
「いえいえ、城の設備を整える事は重要な業務です」
ものは言いようだな。
と思う自分の隣で、短髪の騎士が小さく手を上げる。そして――。
「――ジブンとエリアル導師も、ヨウジどのと一緒に風呂の掃除ですか?」
「いいえ、貴方達は女湯の方を担当していただきます」
「え。でもヨウジどのは怪我が治ったばかりなので、無理はしないほうが……」
「無論、無理をしていただくつもりはございません。――大した汚れの無い女湯を早々に終わらせ、途中で合流すればよいのです」
「なるほど、分かりました」
「では早速と向かいましょうか」
「分かりました」
言って、姉同様に器用な寝方をする妹を背で担ぐ姿勢をとろうとした矢先。
「あ、それならジブンが」
「いや、これくらいは平気ですよ」
「い、いえ。大丈夫です」
そして相手が気持ち強引に背負う役目を担う。
ふム。
――ふと日常的に寝る妹を担ごうとした時、すかさず間に入る姉の事を思い出す。
「ふふ。青いですねェ」
どういう意味だろうか。
で、やって来た大浴場。その内装はどこをどう見ても――昔ながらの銭湯だった。
富士山まで描いてある。
「す凄い……」
魔導少女を背に、短髪の騎士が呟くように言う。
「……――預言者様、根源は?」
「此度はユーリアです」
なるほど。
「洋治さまであれば既にお気付きかと思いますが。主題は異世界です」
世界というか、国まで限定しているのだが。
「ええと。ステキな浴場ですね」
「おお、やはり洋治さまにはこの良さが分かりますか」
と嬉しそうに言って、頬を緩ませる預言者を余所に置かれていた掃除用具を見たあと。
「一つ質問をしてもいいですか?」
「ええ、どうぞ」
「脱衣所の扉が襖なのは、何故ですか?」
「おや、洋治さまは大和魂というものをご存じではないのでしょうか?」
――納得した。
そうして自分を残し他が女湯に向かってから小一時間ほどモップで浴場の床を洗い続け、一旦休憩をする。
ふぅ。――まだまだ先は長いな。というか、自分以外に誰か入るのだろうか?
などと思いつつ、開いていない天井に目を遣る。
話し声も聞こえないとなると、さすがに寂しいな。――まぁ言ってても仕方ないか。
と、モップを持ち直して振り向いた途端に何かとぶつかり、足がつるりと滑る。
***
「おや、思っていたよりも進行が遅いですねェ」
暫くの間を空け、様子を見に戻った預言者が開口一番に女湯で床を磨く短い髪の騎士に向けて述べる。と、額に汗を滲ませ作業に励んでいた騎士が来訪に気づき、手を止めて、口を開く。
「全速でやっているのですが。正直、広すぎます……」
「ええ、それはもう自慢の大浴場ですから」
と言いつつ預言者は浴場内を見渡す。
「おや? エリアルの姿が見当たりませんね」
「エリアル導師なら脱衣所のほうで寝ていませんでしたか?」
「なるほど、見落としておりました」
しからば進行が遅いとはいえない範囲に収まると、預言者は内心で訂正をする。
「――あの、預言者さま。ジブン、掃除をしながら思っていたのですが……」
「ほう、いったいナニを?」
「ヨウジどのの全快祝いには、ワタシも参加するのですか……?」
「勿論そのつもりです。――私って、そこまでの意地悪に見えますか?」
「へ、どういった意味で?」
「……――では貴方はナゼ、そのような質問を?」
「ジブンは、ジャグネス騎士団長が来るのか気になって」
「ええ、当然のように。先ほど声を掛けてきました。――ナニか、困りごとでも?」
「困るというか……――この間、剣を突き付けられてから一度も会っていないので……」
「おや。それはまた物騒な話で」
「ヨウジどのは気にしないでいいと言ってくれたのですが。そもそも怒っていた理由が分からないままなので、会うのが気まずいです……」
「――そういうコトなら、是が非でも湯につかるべきでしょう」
「え。どうしてですか……?」
「古来より、過去のいざこざなど世迷言を帳消しにする時は同じ湯に身を投じる事が最も手っ取り早いのです」
「そうなのですか……?」
「風呂とはそういうものです。特に私が手掛けた、この大浴場であれば効果は絶大です」
「す凄い、さすがは預言者さまですっ」
と手に拳を作り絶賛する相手を見て、やや複雑な心境になりながらも預言者は――。
「では私は洋治さまの様子を見てきますので、引き続き、宜しくお願いしますよ」
「はいっお任せください!」
――自らの興に準じて去ることにした。
そして、男湯の脱衣所から浴室の状況を見た預言者は、モップを立てて休憩をしている相手を驚かすつもりでフードを被り、後ろから歩み寄って行った。
*
足を滑らせて尻もちをつく形で地面に打ちつけた体の痛みに耐え、目の前の状況を把握していく。
――あれ?
一瞬、何か分からなかったが直ぐに理解した、現状で脚の上に乗っている、見覚えのある後頭部を見て。
「預言者様……?」
と聞いた自分に、珍しく慌てた様子で、相手が顔を向ける。
ム。
で大体を解釈し先の言葉に繋げる。
「どこか、ぶつけたりしてませんか? 痛いところとかは」
「い、いえ……私は、なんとも……」
しかし精神的にも動揺しているのは明らかだった。
「すみません。ぼうっとしていて、驚かせてしまいました。――ええと、立てますか?」
「ええ、問題ありません」
そして意図せず見る相手の脚――は裾がはだけ、真っ白な肌が露出していた。
ムム。
次いで、それに気づいた相手がすかさず裾を引っ張って肌を隠す。と恥ずかしそうに顔色を染めて俯き、黙る。
ム、ムム。
沈黙の間を越え。互いに立ち上がった後、やや乱れを残した白のローブを着る相手が。
「この事は内密に……」
と言って、去って行く。
え、なにが。
そう思いつつ、知らぬ間にまた異世界的な地雷を踏んでしまったのかと悩む。
というか、預言者様はなにをしに来たのだろうか……。




