第41話〔乙女の心をなめないで〕⑧
翼を広げ、勢いよくペガサスが飛び立つ。その際の衝撃を鞍に掴まって耐えた後、眼下に先ほどまで居たテントを見る。
おお……。
一瞬の内に上昇した距離を見て、思わず純粋な感動が湧く。
「どう、初めてペガサスに乗った感想は?」
相手が銀の髪を揺らして振り返り、聞いてくる。
ム。
上体が動いた事で髪の隙間から見えた背の開いた服に目がいく。
「……ようじ?」
「え。あ、……――ええと、慣れないうちはゆっくりめで、お願いします」
「うん、――分かった」
そして何故か、相手が含みのある顔でにかっと笑う。
***
森を抜けてフィルマメント側の本陣に入ったフェッタは、予想以上に体内の魔力を消費するローブのフードに手をかけ、周囲に人影がない事を確認してから、脱いで一息をつく。そして物の正確な位置を知るため通信を行おうとした矢先に――。
「お待ちしておりました、フェッタ様。新しいローブの調子は、どうでしょうか?」
――物陰から輝く盃を持って現れた薄緑の髪を垂らす人物に声を掛けられる。
「倹約家の私には少々似合わないかもしれませんねェ」
そう皮肉っぽく言う預言者にリエースの魔導団長は、近づいて、持っていた盃を渡す。
「何故このようなコトを?」
「メェイデンに加担してはイケないという規則はありませんので。それに、次の女神杯で勝利した際の、リエースの褒賞を、フィルマメントに譲る訳にはいきませんので」
薄緑の髪色をした相手がフェッタに、小首を傾げ、綺麗な肌を和らげて言う。
「おやおや」
と、やや楽しげに預言者フェッタは呟いた。
*
降下した後、木々の上を擦れ擦れで飛行するペガサスの馬上で必死になって鞍を掴む手が今にも離れそうに。
「マ、ママ、マルセラ――さんっ。ちょ、と待っ」
このままだと落ちるっそして死ぬっ。
「え、――に? ――ない、よ?」
風を切る音が相手の声を一部掻き消す。
マズい。
盃を持っている所為で使えない手の分まで体を支えている方の指が、徐々に外れていく。
そもそも持っている物的にも限界だった。
「ぬわ」
鞍に掛けていた指が完全に外れ、足だけで支える体が後方へ風に靡く様に泳ぐ。
「マ、マル、マルセ、らさ――待っ」
ああ駄目だ、死ぬ。
最後の希望を探して伸ばした指先が、さらさらとこそばゆいモノの向こうで、すべっとした何かに触れる。
「ひゃッ? 待っ待って背中はヤ、ぁ――んっ」
そして頭を下にして体がほぼ垂直になって空へと昇ってゆく。
あああ落ちるぅぅうううう。
結果、奇跡的な九死に一生を得た自分に相手が顔を赤らめて言う。
「ようじって、意外に大胆なんだね……」
いやなにが。
***
『では万一の備え、宜しくお願い致します』
「ん。分かったわ」
交信を終えて、少女が短髪の騎士に顔を向ける。
「ほら。行くわよ」
「ハ、ハイ」
今にも圧し潰されそうな表情で返事をするホリ。そして動こうとした途端に――。
「ピカピカ、忘れてるわよ」
――と言われ、慌ててテーブルに置いてあった盃を手に取る。
「しっかりしなさいよ」
「はい……」
「惚れた男のためでしょ」
「へ?」
「アンタ、バレてないとでも、思ってんの?」
「えーと……」
「心配しなくても。わたしは、なにもしないわよ」
「……どうして?」
「誰が誰を好きになるかは、自由でしょ。ただ――」
「ただ?」
「――一番は、わたしよ」
と小柄なわりに豊かな胸を張って言う少女に、頭の後ろを掻きながら騎士は述べる。
「あ。ジブンは二番以降で、全然構わないので」
「……――ダメ騎士」
「はいッ」
***
普段は素っ気なく口数の少ない相手が大切な人の為に動く時だけは積極的になる事を知っていたリャマは、人形の様な物を握り締め、飛び去るペガサスを黙って見詰める少女の不安そうな顔を見て気づく。
「エリアルちゅわん……」
そして拳を作り、リャマは密かに友の恋路を応援する決意を固めるのだった。
***
フェッタが戻ると剣を持ったまま休憩をしている女騎士の周りに数体の敵兵が転がっていた。
「おや。どうやら私の居ない間にちょっとした、いざこざがあったようですね」
そう言ってフードを脱ぐ預言者の片手に盃を見て、アリエルは喜びを押し殺し剣をしまう。
「ご無事で何よりです、預言者様」
寄ってくる騎士を尻目に、倒れている敵兵を観察して、預言者は気づく。
「死んではいませんね」
「はい。腕章は斬りましたが、一人も、殺してはおりません」
ただ全員、意識は失っている。
「何故です?」
「え、……と。沢山死ぬと、ヨウが悲しむからです……」
「洋治さまに、お願いをされたのですか?」
「い、いえ。私が勝手にやっている事ですっ」
両手を振って否定する相手の話を聞き、フェッタは思い至る。
「もしや、初日からずっと?」
「はい」
「道理でフィルマメントの敵兵が減らない訳です」
「すみません……」
「恋する乙女というのは厄介なものですねェ。しかし、かくいう私も、悪い気はしませんが」
「預言者様……?」
「さあ急ぎますよ。ローブを着替えたら、直ぐに出発です」
「は、はいっ」
*
「空は冷えます。寒ければ高度を下げますので、言ってください」
戦場を避けた場所を飛んでいる馬の上で、背に触れた事にどんな意味があったのかを考えていた自分に、近くを飛ぶフィルマメントの騎士っぽい人が、言う。
「あ、ありがとうございます。けど俺よりも皆さんの方が寒そうな服を着てる気が……」
「お気遣いなく。我々は何ともありませんので」
顔を綻ばせて相手が答える。
「ようじは寒いの苦手?」
自分の乗っている馬の手綱を握る銀髪の姫が振り返って聞く。
「得意って程ではないです」
「そう。フィルマメントは寒い、よ」
「どれくらい寒いですか?」
「そう、ね。怒った時のお姉ちゃんが静かになるくらい、かな?」
「まったく分かりません……」
というか、お姉さんが居るのか。
「あ、――なんだろ?」
相手が自分ではなく。もっと遠くを見るようにして、言う。
ム。
そしてその視線を追った先に――平地を駆ける一頭の馬を見付ける。




