第35話〔乙女の心をなめないで〕②
そして女神杯、四日目の、午前の部が始まった。
盤上では、密集した青の騎馬隊が前日の最後と同じ様に戦場を駆け回っている。
――よし。
「ジャグネスさん、いま来た道を戻ってください」
テーブルの上に置いたブローチに向かって声を発して、相手に指示を送る。
『分かりました』
すると今日は直ぐ隣に立って見ていた短髪の騎士が、こちらへ顔を向けて、口を開く。
「どうして戻るのですか?」
ム。
「ホリーさんは、何故こんなコトをしてると思いますか」
「えっ――んーと、気分転換ですか?」
「なワケないでしょ」
ジトっとした目で、少女が言う。
「それなら士気を高めている、とか」
「まあ関係なくはないですけど。違います」
「残念ガンです」
久しぶりなのに、新しい。
「ではどのような意図で、このようなコトを?」
盤を眺めたまま、預言者が聞いてくる。
「実は、よく分かってません」
と言った自分に、ほぼ全員の顔がエッとなって向く。
「ただ間違いなく。ソコに何かあります」
盤に映し出されている、小さな丘が近くにある平地を指差す。
「根拠を、お聞かせ願えますか」
「はい。昨日は、突然の出来事で相手も動揺したと思いますが。引き続き行った今日も、その辺りに居る人達は全く動こうとしません。他は多少なりとも反応を示しているのに」
「なるほど。それを確かめるのが目的で、戦場を走らせていたのですね。旗を持たせたのは、相手に意図を悟らせない為でしょうか?」
「それもあります。というか、旗はお願いしてません。自分はできるだけ人目を引いてほしいと言っただけですから」
「では旗は、ユーリアの案で?」
預言者の隣に立つ、オールバックの騎士が頷く。
「はい、ワタシの独断です。何か、問題でも?」
「いえ寧ろ助かってます」
「助かるとは?」
騎士と代わり、預言者が言う。
「向こうからすれば、からかわれてるようなモノですからね。そろそろ耐えかねて、出てくるかと」
「――ん。挑発にしては、安っぽくない?」
「その安っぽい挑発に乗りそうな人が、居るじゃないですか」
事実初日からずっと、ちょっかいを出してくる性格。
「なるほどね。人をからかうのが好きなヤツほど、からかわれると怒る、てコトね」
「そういうコトです」
と言ってるそばから、初日を彷彿とさせる光景が、盤上に突然現れる。
***
最も適した瞬間に飛び出したペガサス隊の前に突如として燃え上がる炎の壁が立ち塞がる。そして寸前のところで踏み止まった部隊の行き先を――。
「飛び越えるわよッ!」
――マルセラは上と決めた。
*
「奇襲というのは、不意を突くから効果があるんです。だから失敗しても強行するような精神状態で選択する道は、体に染み込んだ感覚の寄る方向です。つまり普段空から見ているのなら咄嗟の判断は、上です」
映し出される結果は、案の定。
***
「次はエリアルちゅわんの番だよぉん」
人差し指に残った小さな火を吹き消し、隣の馬上で同じローブを羽織る同士にリャマは声を掛ける。
「煩い。気が散る」
姉の後ろに座り、馬上で魔力を風に変質させている少女が無情な物言いで言う。
「エリアルちゅわん、ひどぃ」
しかしそう言う本人は悲しみよりも嬉しさが勝った表情をして、馬上で狂おしく悶える。
「エリアル」
名を呼ぶ姉の言わんとする事を容易く理解した妹が、燃え上がる炎の壁よりも高い所に向けて、圧縮した風の魔力を集中させる手の平を差し出す。
「名付けて――エリアルコンペイド」
*
盤上の様子から結果は察していたものの、現地報告を受け、周りに気づかれない程度に胸を撫で下ろす。
「ジャグネスさんは予定通り、妹さん達に任せて、隊の半分を連れて行ってください」
『はい。分かりました』
さて問題は――。
***
空での自由を奪われ、他の隊員や馬と共に地に落ちて上から網をかけられたマルセラが誰と相手は決めずに声を張り上げて言う。
「ちょっとッなによ、これ! バカにしてんのッなんのつもり、よ!」
網の中で手足を動かすマルセラに、一人の少女が近づいてくる。
「え、――エリアル?」
「うん」
「その恰好は……?」
見慣れぬ衣を羽織る見知った相手に、怒っていた事を忘れて、マルセラは問う。
「これは魔導団のローブ」
「そ、そう。なんていうか、暑苦しそう、ね」
「うん。嫌い」
「脱いじゃダメなの?」
「駄目」
「どうして?」
「お願いされたから」
「そう……。あ、――エリアル、お願いしてもいい?」
「なに」
「この網とって、――ダメ?」
「駄目」
「どうして?」
「お願いされたから」
「そう。あ、――もしかしてエリアルにお願いした人って、指揮官みたいな人?」
「……――うん。そう」
「誰?」
「……――言わない」
「じゃあ、直接文句を言いたいから会わせてっ」
「……――捕虜になる?」
「なったら会わせてくれる?」
「うん。いいよ」
「なるっ」
*
「まだ午前の部は終わっていないので、気をつけて帰ってきてくださいね」
『うん。分かった』
そして交信が終わり。ちらりと盤上の様子をうかがう。
――凄いな。
予想した場所にいた予想外の数を物ともしない活躍ぶりに、思わず手を貸す必要があるのかを疑ってしまう。
「まことに洋治さまの、手際のよさには感嘆いたします」
「褒めるなら俺ではなく、戦っている人達ですよ」
「では全員を褒めましょう」
「――え。でもワタシは本当に何もしていませんよ?」
「だったら。サバ読みもでしょ。じっさいアンタ、なにやってたわけ?」
「鈴木さん」
「でも本当のコトでしょ」
少女にそう言われ、オールバックの騎士が顔をしかめる。
「――救世主様、ユーリアは指揮官ですので、そう簡単に本陣を離れることは出来ません」
「ですね。けど午後からはお願いしますね、タルナートさん」
「お任せください。聖騎士団の名に恥じぬ戦いをお見せいたします」
「にゃん」
コラ。




