第30話〔ちょっと寝違えました〕③
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二日目の戦いを終えて――無事に帰ってきた姉妹の騎士が、砂埃をかぶった姿を恥じらいながら自分に言う。
「夕食の前に……」
「はい。入ってきてください」
「ハイ」
返事をして微笑み。そして相手は、妹と共に風呂場へと向かった。
夕食後、三人で談話するリビングルームに時間を知らせる時報が響き渡る。
「そろそろ寝ましょう」
自室のベッドに入り、二時間。何故か寝付けない体を起こし、水を飲もうと部屋を出た。
「あれ」
廊下に出た途端、階段を上がってきた相手と出会う。
「ジャグネスさん」
「ヨウも、起きていたのですか?」
「も?」
「あ、はい。どうしてか私、今晩は目がさえてしまって」
「なるほど。じつは、俺もなんです」
「ヨウもですか」
「はい、なので水でも飲もうかと」
「でしたら。すぐ用意を」
「え。あ、いや。自分でします。ジャグネスさんは気にせず、部屋で寝てください」
「ですが」
「女神杯は明日もありますんで。横になって、少しでも休んでください」
「――……分かりました。では」
「はい、おやすみなさい」
軽く頭を下げ、相手が自室の方へと歩き出す、が直ぐに足を止めて――。
「あの。よければ少しお話をしませんか?」
――こちらに振り返り、そう言った。
相手の希望で、自分の部屋で話をする事となり。互いの顔が見れるよう、ベッドと一つしかない椅子を使って準備を整える。
「それで。お話というのは?」
話す姿勢ができた事を報せる意図も含めて、ベッドに座る相手に、聞く。
「え、っと。話す内容をまとめたいので、少しだけ時間をください」
「分かりました。まとまったら、教えてくださいね」
「はい」
そして――沈黙――暇を持て余し、無意識に相手を眺める。
日中に上げている後ろ髪を解き、垂れる糸の様に細い金色の毛。柔らかな寝衣を着るその体は華奢で、弱々しくさえ感じる。しかし実際は初めて会った日のように力強い――。
「あ、あの」
ム。
「どうして、その……私を、まじまじと、見るのでしょうか……?」
相手が伏し目がちに顔を赤らめて聞いてくる。
「ぇ」
しまった。シチュエーション的に、誤解を招いたかもしれない。
「す、スイマセン。深い意味は――ただ、その……」
「……はい?」
「綺麗、だなぁと」
と言った自分の言葉に何故か相手は不満げな表情をして、口を開く。
「それは、マルセラ様と同じ意味で、でしょうか」
ム。
「もちろん違いますよ。マルセラさんの時は髪を見て、そう思ったんです」
「つまり私の髪は、マルセラ様に負けていると」
「勝ち負けではないと思うんですが……」
「それは、そうなのですけど……」
あ、そっか。
「俺の、一番に、ですか」
「はぃ」
「ジャグネスさんはどうして、俺の一番に、なりたいんですか?」
「だって好きな人にはっ、自分だけを見ていて、ほしいのです……」
「……――ジャグネスさんは、俺のコトを、いつも見ているんですか?」
「はいっ、いつも見てますっ」
――まあいいか。
「マルセラさんの言葉を借りて、ではありませんが――なら、ジャグネスさんに俺はどう見えていますか?」
「それはヨウの、どこが好きかという質問でしょうか?」
「んー、――そうですね。それで構いません」
「でしたら」
相手が自身の胸に手を当て。
「優しいところだと」
と言った――が。
「はじめの頃は、思っていました」
「――いまは?」
「正直に言うと、ここ最近になって、分からなくなってしまいました」
そう言って、相手が手を膝の上におろす。
「要するに気持ちが冷めたってことですか?」
この場合は、目が覚めた、かも。
「前に断言しましたが、それだけは、ありえません」
「どうして分かるんですか……」
「だってあの時よりも、私はヨウのコトを、好きになっています」
「分かるんですか」
「はい分かります。ヨウは、どうでしょう?」
「どう、というのは」
「ヨウは私のコトを、好きと……まだ、言い難くとも。前と比べて、何も変わらないままなのでしょうか……?」
「なるほど」
んー、うーん、んん……――あれ。
「分からないです」
「……分からない?」
「なんと表現すればいいのかが、分かりません」
「私のコト、前よりも、嫌いに……?」
「なってないです。というか、そっち方面での伸びはないです」
「では好きに……?」
「それが、分からないんです」
「何故でしょう?」
「ジャグネスさんは、失礼ですが――俺以外と交際した事は?」
「ありません。ヨウが初めてです」
それはそれで意外……――でもないか。
「なら、誰かを好きになったコトは?」
「苦手な人を他と区別するコトはあります。実際に、私は父が苦手です」
訳を詳しく聞きたいところだが――いまは、ヤメておこう。
「ただ好きになる、という意味で異性に好意を持ったのは、ヨウが初めてです」
「初めてなのに、好きだと分かるんですか?」
「……実は、分からなくなってしまった。というのは、その好きだと思う理由なのです。優しくされた事で好意を持ったというのなら、ヨウの優しさは私だけに向けられているものではありません」
「優しいかどうかは……」
「はい。ですが人を好きになる根拠は、必ず何処かにあるはずです」
「確かに」
「それが最近になって、分からなくなってしまったのです」
「やっぱりそれは」
「ありえません」
言い切る前に。
「――けど、理由が無いのに。好きとハッキリ言えるんですね?」
「無いのではありません。分からないのです」
「……どういう意味ですか」
「好きなところが沢山ありすぎて、一番が、分からないのです。それ故に、どこを好きかという質問に、どう答えていいのかが分かりません」
そして相手は深く目をつむり。一呼吸を入れた後、ゆっくりと目を開く。
「すみません。よく分からない事を言ってしまって……」
「え。いや、そんなことは」
「でも信じてください。私は、ヨウのコトが好きです。明確な理由が分からなくとも、私の心はヨウを……」
言い難そうにして一度口を閉じ。再び決意した顔で、相手が真っ直ぐに、こちらを見て。
「――愛しています」
と告げた。
ムム。
「ジャグネスさん」
「ハハイっ」
「困ります」
「えっ。ぁ――スミマセンっ。ヨウの気持ちも考えずに」
「そうではないです」
「……え?」
「こういう事に性別は関係ないと思いますが。それは、というか――先に言い過ぎると、いつか俺が言う時に、安っぽく聞こえてしまいます」
「ぇ。ですが昨日は、まだ分からないと……」
「分からないからこそ、俺の分もおいといてください」
「――……はぃ」
それはそれと、して。
「ところで、お話というのは? まとまりましたか」
「――あれ。そういえば私、何のお話をしようと思ったのでしょうか?」
「知りません……」
「困りました。全く、思い出せません」
「なら思い出した時にでも、また話してください」
「そう、ですね。そうします」
言って相手が微笑む。
「あ。ヨウ」
「はい、思い出したんですか?」
「いえそうではなくて。一つ、お願いをしてもいいでしょうか……」
「できることなら」
「えと、……私を」
「ジャグネスさんを?」
「抱きしめてください」
「ふぇ?」
「私達は恋人同士ですし、偶にでもいいので……、ヨウからも」
ム。
「したことないので、加減が」
「大丈夫です。私、頑丈ですから」
そういう意味での心配はしていないのだが。
「なら、ちょっとだけ……」
「はい」
相手が両手を広げて、笑顔で迎え入れる体勢をつくる。
なんだろう。この不安は、なんだろう。
女神杯、三日目の朝。テント内で、隣に座った少女が聞いてくる。
「……どうしたの、水内さん」
「ちょっと寝違えました」




