第20話〔女神杯って なんですか?〕③
忘れていた。
異世界の暦が、いくら同じだといっても。季節、すなわち環境まで同じだとは限らない事を。
さむっ。
久しぶりに帰ってきた自宅で。震えながら二の腕を擦り。こっちの状況を理解する。
と、とにかく、ナニか上に。
動こうとした途端、服の肘が軽く引かれる。
ム。
「ヨウ。……何か、燃やし、たい」
無表情、というより凍り付いた顔と声、で魔導少女が言う。
気持ちは分かるけど、ホームセキュリティが動き出すからヤメて。
「どうですか? 少しは寒いの、マシになりましたか」
元から長めだった為、着た本人の膝下まで隠れるダウンコートを羽織った少女に聞く。
「暖かい」
コートと一緒に渡した手袋をつけた手で帽子を持つ相手が、徐に答える。
「それはよかったです」
自分もまた、出したコートを着て窮地を脱した。
「ヨウの、においがする」
着ているコートに鼻を近づけ、少女がそう言う。
「え。――あ、すみません。ちゃんと外に干してからしまったんですけど……。他のを、出しますね」
「ううん。これでいい」
「いや、でも」
「これがいい。暖かい」
ムム。
「――分かりました。もし気になるなら新しいのを買いますので、言ってくださいね」
「大丈夫」
着てる本人が気にしないというのなら問題はないが。一応こっちで行動する服をどうするかは考えていた。ただ、この分だと見た目的には問題なさそうだ。
「――それでは、こっちに居る間はさっき預言者様に貰った物を肌身離さず、持っていてくださいね」
「分かった」
しかし、新作のアンクレット。性能は指輪やネックレスと同じって言ってたけど。文字を読む時が大変そうだ。まあ外せば済む話だし。普段から着飾らない妹さんの性格とかを考えれば、最善かもしれないな。
「――では、行きましょう」
目的地へ向かう電車の中で、渡された紙に書かれていた住所を再度、見る。
自宅の最寄り駅から乗り継ぎなしで行ける場所に、まさか異世界から来た人が居たとは。
いま思えば、ジャグネスさんと初めて会った時に見せてもらった紙に書かれていた文字が、こちらのモノだったのも、これで頷ける。
あれから、直に二ヶ月。こっちは今、クリスマス前で――。
「そうだ。向こうにも、クリスマスってあるんですか?」
――しかし返事は、なかった。
ム?
見ると、隣の席で膝立ちして車内に背を向ける少女が物珍しそうに窓の外を眺めていた。
咄嗟に注意するか悩む。けれども自分達以外の乗客を数え、保留する。
すると、不意に少女が窓の外へ向けていた視線を切って、座り直す。
「あれ。もういいんですか?」
「うん」
「楽しくなかったですか」
「違う。見ても、よく分からない」
なるほど。
「――そういえば、前から聞きたかったんですけど。妹さんて口数少ない方なのに、どうして初めて会った時は沢山話してくれたんですか?」
「さ、あ。忘れた」
口振りからして、嘘っぽい。
「俺に、気は遣わないでくださいね」
「大丈夫。つかってない」
本当なら、いいけど。
「ヨウは、アタシに気をつかってる?」
ム。
「どっちかっていうと、気楽です」
「――そっか」
ぬ。
何故か、相手は嬉しそうにした。
うーん。
紙に書かれている住所を見直す。
間違いなく、ここだ。
しかし表札の名が。
田中……。
ありふれた名に異世界感は全く無し。その上――。
ボロッボロだな。
――お化けでも出てきそうなくらいに古びた、木造のアパート。
チャイムを押して、ちゃんちゃんこを着た浪人生が出てきたらどうしよう……。――あ。
そもそも玄関にチャイムが無かった。
「はい。――どちらさまですか?」
扉をノックした後、顔を出した部屋の住人が、黒縁丸メガネのつるを指で押さえ持って言う。
本当に出てきたッ。
「用件は……?」
一部分でも見て直ぐに分かる赤いちゃんちゃんこを着て、黒い髪を左右の後ろで括る。まさに苦労人を代表としたその姿に、思わず言葉を失う。
「新聞だったら間に合ってます」
「え? ぁ、いや。――そう、そういうのではないですっ」
「じゃぁなんですか」
自分達が来る事を知らない……?
「――よ、預言者様から手紙を」
「預言者? なんですかそれ」
最初から気づいてはいたけど。喋り方が関西よりだ。
「預言者の、フェッタ様を知りませんか?」
と言ったところで、相手が察した様な素振りを見せる。
「うち、仏教なんで」
ちがッ。
「そういう勧誘でもないですっ」
「――……、変な人?」
もしかしたら訪問するお宅を間違えたのかもしれない。
などと困惑していると後ろにいた少女が自分の隣へ移動して、住人とも目が合う。
「エ、エリアル様……? どうして」
急に口調が関西弁ではなくなった。
「ダレ?」
「――あっ。しょ、少々お待ちくださいっ」
言って、住人が扉を閉めて部屋の中に引っ込む。そして外まで聞こえてくるほど騒がしくした後に扉から出てきた、セミロングの髪をゆるふわパーマにしたばっちりメイクのオシャレな女性。
「どないですか? これで」
誰ッ。
「ユーリア、だ」
「そうですそうです、うちです」
「でも話し方が、違う」
「あっ」
ツッコミどころ満載や!
入って早々、足の踏み場もない部屋の状況に、とまどう。
「どうぞ、このへんに」
床に散乱している物を手で押しやって、できた空間に相手が自分達を招く。
片付けるのが苦手な人の典型的なワンルームだ。
「おじゃまします」
細心の注意で、一歩ずつ、歩を進める。途中、衣類に交ざった下着を見付けてやや困りつつも目的の空間には数歩で辿り着く。
「どうぞ、お座りください」
「はい」
腰をおろす。とテーブルを挟んで向かいに居る相手の顔が台の上の物で若干隠れて見えない。
「ええと。はじめまして、水内洋治です」
「うち、じゃなくて。ワタシは、ユーリア・タルナートです。異世界では田中ゆりあと名乗っています」
「なるほど。――……ところで、さっきの恰好は?」
「異世界では、目立たないようにしております」
逆効果な気もするのだが。
「それで用件は?」
「あ。はい、預言者様から手紙を渡すようにと」
て待てよ。今更だけど、このゆるふわパーマの人が、本当に王国聖騎士団の……?
「さようでしたか。週末には向こうへ帰る予定だったのですが、些か込み入った事情もあり、なかなか帰りたくても帰れない状況になっていたのです。――しかし、どうしてエリアル様が。そして貴方は」
「あの。いちお確認だけしても、いいですか」
「なんです?」
不意に関西弁が入るな。
「タルナートさんは、王国聖騎士団の総長さん、ですよね?」
「はい、うち、じゃなくて。そうです」
「ちなみに、手紙と交換で石を貰うように言われているのですが」
「あっ」
ム。
「なにか?」
「袋は、仕事場に……」
「手元にはないってことですか?」
「はい……――あっ」
度々なに。
「出勤時間やっ」
「え。これから仕事なんですか?」
「そうです、すぐに行かんと遅刻するっ」
「え、え。ど、どう」
「せや!」
言って、相手がテーブルの上を引っ掻き回す。
「ほな、またのちほど」
相手が自分達を残して走り去って行く。
目立たないよう。って言ってたわりに、出勤する時はゆるふわパーマなんだな。
渡された紙を見る。
これは――。
紙に書かれた内容は走り書きで、名高いアプリを使う連絡先と辛うじて分かる住所や休憩時間らしきもの、そして読み取れないが店の名前っぽいものも記してあった。
ムム。――困った。
「妹さん。たぶん知らないと思うんですけど、聞いてみてもいいですか?」
「うん、いいよ」
「ええと。無料通話アプリというものの使い方って、ごぞんじですか?」
「知らない」
だよねー。
【補足】
作中に出た≪アンクレット≫は、足首につける装飾品です。m(_ _)m




