第146話〔ジャグネスさっ〕⑦
*
何回か土壁のない左右に皆を揺すったのち。
「それでは皆さん、――おたっしゃで!」
ぶわっと体が浮かぶ。と直ぐに急激な加重、落下の感覚が加わり。
「ヨウジどのぉ、運が悪ければまた会いましょうー!」
そして風切り音が遠ざかる声を遮る。
実に、笑えない冗談だ。
***
安全ではないが、歪む土塊の塔からやや離れて馬から降りたヘレンの視界に次々と崩壊する大地の破片、元の規模からすれば欠片程度の物が落ち、着地と同時に壊れ飛散していく。
「フィロ様……クリア」
視線を向けた先に居るはずの、不安ながらも置いてきた二人の存在を心配する。
しかし、何かがあったと思うよりかは限界を来したと判断する方が無難な解釈。
なにより今から戻ったところで有用な事はない。
再びヘレンの関心が空高く見えない先へと向けられる。
「……フェッタ様」
既に自分達が仕える主人が“預言者”でない事は知らされている。
されども己が望む奉仕に準ずる。
無論この場でそれは関係のない話ではあるが、気掛かりなのはその心持ち。
見るからに気を損失していた状態を、どれだけ持ち直せたのか。
その上で現状どの様な状況かが知りたい。
例え何も。
「エ?」
これといった焦点を定めずに上方を見ていたヘレンが咄嗟の気配を感じ取る。
「儲かりまっかー!」
次いで見るよりも先にあらぬ方向から突っ込んできたユーリアの着地に巻き込まれた。
「――助かりました。感謝します」
片膝をつき、抱えていた身体の安否を確認した後ユーリアが白馬の状態を見ているヘレンに顔を向け告げる。
「ぁ、いえっ。皆が無事で、何よりです……」
と気になる身体にヘレンの目が行く。
「アリエル様はご無事です。心配はなく」
「……わかりました」
それならと、話題を切り替えて後ろになで上げた髪形を所々ハネさせる相手に聞こうと思っていた事を口にする。
「タ、タルナート騎士総長は、何故こちらに……?」
知っている限りでは皆と遥か上空、行きたくてもいけない空の舞台に居たはず。
しかし次第に変化する局面を完全に理解する事など不可能。
だからこそ知り得たいと思う気持ちに遠慮は無用の気取り。
それで正しいと踏み込んだものの、普段滅多に顔を合わせることのない、まして騎士団でもない身分で、それを統轄する人物と向かい合う気持ちが急に萎縮する。
片膝をつく姿勢から立ち上がり、正面を見せた堂々とする凄味で――。
「――貴方はたしか、フェッタ様の?」
「ハ、ハイっ。若輩ではありますが身辺警護を仰せ付かりましたっ」
ユーリアの眉がピクッと動く。
すると唐突に歩み寄り、ヘレンの肩にそっと手を置く。
「若輩言ってられるのも今のうちだけ。気付いた頃には、右に出る者など次から次へと居なくなり、自己を背負う強さを体験する事になるでしょう」
「ぇ……? ぁ――ハイ、ありがとうございますっ」
次いで年若い相手に前を歩く者の力強さでもってユーリアは頷き返す。
場の雰囲気を改め、再びヘレンは問い掛ける。
「ぁの、それで……総長は、何故ここに……?」
そして、ああと相手が応答する。
「途中まではなんとか下りてきましたが、最後の最後で完全に魔力の底がつき、一か八かの賭けで跳んだ所にイイ馬体があったので利用したまでです。――感謝」
「いえっ。私にと言うか、フィロ様に許可をいただいた、王様の馬ですのでっ」
「王の? ああ、そういえば見覚えがあると。――それは?」
ぇ、とヘレンが自分の足元を見る。そこに先刻の突撃が原因で皺の集まった規格的に見ても随分大きな外衣が落ちていた。
次いで、あっと布を手に取って拾い上げるもあらゆる面で大きく差のあるヘレンではその殆どが地に落ちたまま。
「……――見覚えがありますね」
「ハイ、王様の物ではないかと」
「それをナゼ貴方が?」
「わ、私が持ち運んだと言うか、ここに来てから偶然拾い、馬に括り付けて保管していた物ですっ」
「そうですか、不運ですね」
「……不運?」
しかし答える気配なく、ユーリアの顔が意識のない身体に向く。
「うちはアリエル様をもう少し安全な場所までお連れします」
「……うち?」
意に介す事なく、キリッとした騎士の全体を総べる者の表情で――。
「――貴方も早々に離れたほうが、身のため」
途端二人の耳に上空から折り重なる騒がしい叫びが、声を上げて近場に墜落した。
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本当に、笑えない。
中身もないのではなかったのか。と。
「このまま貴方に魔力を注ぎ続けます」
空を落ちる自分の前で、同様に落下する白いローブを激しくバタつかせる元預言者が同じく空中に身を置く赤い少女の肩付近に手を押し当てる。
次いで自分には見えない魔力で遣り取りをする二人が、決して手が放れない力を込めて前面を防ぐ体勢をつくる。
途端降下中にもかかわらず落下速度が一気に和らぐ。
その最中、何ら命を保護する用具を持たぬ危機的状況に陥ってもソレを欲さない念い。
自分は、こんなにも空っぽなのに――。
***
「さすがに今回ばかりはって覚悟したけど、日頃の行いって、本当なのね」
誰に言うでもなく、奇跡的に助かった命が確かなことであるのを実感し少女は呟く。
そして共に助かり偶然危害を及ぼした相手を見。
「そっちはどう?」
と、心配そうに自身の愛馬を確認している具合を尋ねる。
「ん……――酷くはないけど。羽根を痛めたみたいだから、しばらくは飛ばないほうがいいかも……」
「ぇ。まじ?」
げっといった顔をして、草原に腹を下ろすペガサスと飼い主に近づく。
「水内さん達を助けには行けないの?」
「ぅん……行けても、そんな高い所まではムリ」
「じゃ」
他に何か。と思い遣ろうとした其処に、ズルズルと何かを引き摺る音が来て、止まり。
二人が振り向く。
一通り相手を見て。
「アンタ、ダレよ?」
とぶっきらぼうに問い掛ける。
「わ、私はっ、フェッタ様の――……魔火の時にお会いしたのを、覚えていらっしゃいますか……?」
「まび?」
少女が記憶の過去を巡る。と。
「ぁぁ、売り子の娘ね? 何してんの、迷子?」
無論迷う所ではない。が。
「いえっ。居場所なら、確かに……」
「そ。なら、さっさと避難しなさい。ここ、危ないわよ」
「……ハィ。あの、救……貴女は?」
「わたしはちょっと、コレと知り合いを助けなきゃイケないから、後にするわ」
こう然と親指を立てて告げられる。
しかしその意味がヘレンには分からず、何と無しに応じた後。
「その知り合いというのは、フェッタ様もご同行でしょうか……?」
「そね。一緒よ、ツイでだけど」
「そっそうしましたら、私もお手伝いを――何でも致しますっ!」
「ぇ。そう……? 助かるけど」
「ハイっ。では――何を行えば宜しいですかっ?」
急き立てる勢いで来た相手に、思わず少女の気持ちが怯む。と同時に知った騎士の陰が一瞬掠める。も、それより気になっていた。
「……ところで。アンタが持ってたソレは、なによ?」
今しがた迫る勢いで手を放してしまった大きな外套、規格ゆえに手を離しても一部が巻き付いて来た――のを少女が指で示す。
「ぇ、ぁっ。これはっ王様の物ではないかと思い」
そして訳を聞き、ふーん。と興味なさげに少女は呟く。が次の瞬間、ある考えが思い浮かぶとその直感を元に、確かめる。
「ね。さっきサバ読みっぽいの見かけたんだけど、知らない?」
「サバ読み……?」
まるで見当がつかない。しかし、他に見た者と言えば――。
「――タルナート騎士総長の、ことでしょうか……?」
「ぁぁ、それそれ。見た?」
「……ハイ、先ほどまで一緒に。今はアリエル様を安全な所に運ぶと告げられて」
「直ぐに呼んできて」
えっと反応するヘレン。すると有無を言わさぬ少女の働き掛けが尻を叩く。
「ほら、早く行きなさいよ。なんでもするんでしょ」
と急かされて訳も分からずユーリアの向かった方へ、駆け出す。
その際、脚に引っ掛かっていた物をヘレンが手で除いた為、落ちた布を少女は凝視する。
――そして。
「ま。なんとかなるでしょ」
特に根拠もないのに、呟いた。




