第141話〔ジャグネスさっ〕②
円形舞台の中央。外縁に居る相手との距離は凡そ百メートル以上も離れ、通常の刃渡りでは届く見込みは到底あるはずもない。
されど未だ両手を前方へ押し出す形で後退を要求してくる。
それを見て、呆れる女騎士の口から吐息が漏れた。
視界の中で小さくなった対象との距離。もはや反対側の端にまで遣った相手に、まだ脅威を感じるのは何故かと。
しかし求めれるだけ求めた以上、それより先はもう無い。
こちらが仕方なしと手を下ろしたのに合わせて、相手の腕が上がる。
途端足下からゾクっと頭の天辺へ、胸の内からざわっと末端に冷たい何かが奔る。
違う。それは何かなどではなく、明らかによく知った――死の直感。
あ、――ダメだ。と即座に、ホリは摩訶不思議な色の転移空間へと相手に背を向けて逃げる――が入る直前、踏み止まる。
またやってしまった。
ワタシはもう、逃げないと決めた。
ダメなジブンよりも果敢ない人のため、ずっとダメでも騎士で居たいと思ったのだ。
それはワタシが初めて願った生きたい姿勢。
死んでも心を折ったりはしたくない。と振り向きざま膝を伸ばして正面に構えるホリの目に遠くても分かる大きなヒトの姿が飛び込む。
高く上げた刃を持つ手の甲が更に上から厚みのある掌で制しを促される。
そして柄を握る拳を包まれたまま最初から気付いていたデカい存在に女騎士の顔が向く。
「珍しいわね、随分と大人しくしてたじゃない?」
途端自身を見上げる相手にニカッと大男の笑みが開く。
「おうよ、いい加減に相手をしてくれんか」
「……――変わったわね。いつも勝手に入ってたのに」
「まあワシも歳だからの、――若い者を立てる立場だ」
ふっと女騎士の口から息が吹き出す。
「相変わらず嘘が下手なのね、変わってなくて安心したわ。それと不器用な父親っぷりも褒めてあげる、――偉いわよ」
体格で遥かに優る相手を透かし見る、その懐かしい眼差し――に大男の期待が膨らむ。
「世辞は要らん、からさっさと遊んでくれんか?」
玩具をせがむ子供の様な必死な形相で大男が言う。
それを見、思わず騎士としてではない感情が頬にこぼれる。――が。
「ごめんなさい、あなたの相手をしてる暇ないわ」
「なにィッ? どういう訳だッ?」
「もう頃合いなのよ。早くしないと泣いちゃう可哀想なのも居るから、それに――この子の身体だとあなたと遊ぶのはまだ無理ね」
「そっそれはないだろ! ワシはちゃんと我慢をしたのだぞッ?」
「……ほんと、ごめんなさい」
女騎士が申し訳なさそうな顔をして、告げる。
すると甲を放す太い指先が僅かな空間を挟み。
「ちびっともか……?」
結果くすりと笑う女が、見慣れない布を解放されて下ろす腕とは反対の手で指差す。
「どうしたの、それ」
「ぬ……? おおこれか、なかなか様になっておるだろ?」
「ええほんと、王様みたいね」
ウムと誇らしげに大男が頷く。
「けど随分立派な作りね?」
「うむ、二度と破けぬよう此度のは強靭に作らせたからの」
「そう。――なら、安心ね」
微笑んで告げる女騎士が靡くマントの根部に近い端を掴む。
「む、……なんだ?」
途端優しかった表情に暗い影が差す。
「ところで、随分と再婚には熱心だったみたいね?」
急遽血行が良かった大男の顔から血の気が引く。
「な、――なんのコトだ……?」
巨漢の身体を被う布に、着用する本人が傾くほどの力がギュッと加わる。
「本当に嘘がヘタね」
女が笑む。と次の瞬間――デカイ図体が地表を離れ、浮かび上がる。
「のわぁぁあああああああっ!」
野太い声を出し、すっぽ抜けた先へと大男が飛んでいく。
それを余所目にして手元に残った大きな外套の壊れた留め具を見た女騎士の口からひょんな出来事と装った声が発せられる。
よって仕方ないわねと言った感じで手から布を落とし。再び、騎士は刃を掲げた。
「待たせて、ごめんなさいね。じゃ行くわよ」
告げて振り下ろす――刃の切っ先が数百メートル離れた対象目掛け――空間を貫く。
会場の在る方へ、遠ざかる大きい人物を見送る。
離れていたのに加えて一瞬の出来事でハッキリとは分からなかった。が胸中何故か嫌な過去を掘り返された様な不快な感覚。
それはそれとして――前を向く。
瞬間ゾッとする。
束の間、判断する余裕はなく。
咄嗟に、頭を抱え屈み込む。
――頭上でブスリと奇妙な音がした。
*
平生とは違い、徐々に加熱する二人の会話。
「だいたいね、いい歳して色目使ってんじゃないわよ」
「何のことでしょう? 私はただ生来の動作にしたがっているにすぎませんが」
「なにが生来よ、年増が垂れた身体を引き摺ってるだけでしょ」
「重く乗りかかるほどあるゆえに、仕方のないコトです」
いつしか自分を先頭にし直ぐ背後で行われている。
そして当面は関わらずと傍目にしていたものの。
何度見ても、やっぱり少しだけ慣れない、彩られた光景が目の前に迫り。
「――……ええと、着きましたよ……?」
若干まだ距離があるので歩みは止めずに後ろを見、報告する。
「多ければイイってモノじゃないわよっ。要は――量より質よ」
「数となれば同じですが」
ハイ全く聞いてない。
まぁ、雰囲気的にいつも通り入ればいいのだろうけど。
色とりどり摩訶不思議にうねるコントラストに手を伸ばす。
最初は遠くに見える小さな光だったのが、なんだかんだと歩き続けて現在に至る。
不思議と疲れてはいない。
そういえば、微かに聞こえていた――人の、声の様なものも混ざった音がいつの間にか止んでいる。
おそらくはこの先、外で起きている出来事とかに関係しているとは思うが確証はない。
たしか中と外で多少時間の流れには差があるとか何とか言ってたな。
けれども取り敢えず、出てみないことには分からない。
一体どうなっているのか……。
なんだろう。――急に不安になってきた。
指先が少し入った手を一旦止める。
が次の瞬間、突如その腕を下から掴む小さな手が現れ。そして――。
「行きましょ、あんな年増はほっといて」
ぇ。
――体が前方へ引っ張られ、視界が色取られる。
で直ぐに見慣れた世界が開けた刹那ぶすりと内側に衝撃が加わる。
ハイ?
「……水内さん?」
まだ若干グラデーションに下肢が入ったままの視界で振り返る少女が、自分との間にある頭上を掠めた物体とこちらを交互に見るうち、瞬く間に。
あれ……? なんか、ふわっと――。
***
枝の様な細い杖を持つ痩せた手。
老骨が自らを鞭打つ辛さで、壮大な魔力が地表を伝う。
その力が幾里も離れた場所に立つ大地の断片を支え保つ。
しかし、幾度かの凄まじい直撃で既に芯は崩壊を始めており、かろうじて原形を留めているのは大導師と呼ばれる所以の衰えた実力のみ。
今にも眉間に皺を寄せるフィロの静脈が吹き出しそうなほど、堪える全身が震えていた。
「ほッッ年寄りを扱き使いよってからにっ、早う終わらんか!」
すっと隣に居るクリアが空を指差す。
次いで、ほ? と見る老齢の身を大きな影が覆う。
「ほなッ?」
途端砲弾が炸裂するかの如く、飛んできた巨躯が二人の居る場に突っ込み。
辺りは一瞬にして、巻き上がった土煙に包まれた。
***
「ちょっと、ねぇ――水内さんっ!」
仰向けに寝る、その左胸には剣が突き立ったまま、顔色からは血の気が失われていく。
そうして倒れた一人の男を囲む彼女達の目には想像を超えた絶望が映っていた。




