第128話〔其処を暈かしたら駄目でしょ〕②
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観戦客の集まる会場地から離れ、天高く屹立する陸上の地面との中間で射出機の役割を担った一瞥して大砲の様に見えた筒状の土、その最後の原形が砂となり崩れ落ちる。
そして舞う粉塵を吸い込み。
「ゲホゴボゲッホゴホカボっ」
と、今にも血反吐を出しそうなほど咳をする老いて丸くなった背中を咄嗟後ろに居たヘレンは近寄りゆったりとした着衣越し肩に手を添えてさする。
「フィロ様……?」
「ゲホッほっほ――ボッ、ほ――、……心配無用じゃボッ」
「ご、ご無理はなさらずに……一旦、お座りになってください」
そう言ってヘレンは撫でる手を止めずに見渡せる範囲、今居る整地されていない草原で腰を下ろせる岩などを探す。
「ほ、っほ……。――よいよい、主らもやらねばならない仕事があるじゃろ。そちを優先しなさい」
「……ですが」
「恩を返す機会とて早々ある事態ではないぞ。踏み迷えば失うどころか、かえって害ともなろう。じゃから――ほれ、急ぎなされ」
「……――承知いたしました。ですが、妹を近くに置いて行く事をお許しください」
「ほっほ、好きにするがよい」
「はい、ありがとうございます。それではフィロ様、のちほど」
そして走り出そうとしたヘレンの視界に老齢の持つ細い杖、その先端が示すは――。
「――あの馬を頼めるかの?」
次いで相手が何を意図して告げたのかをヘレンは理解する。
「そ、そこまでしていただく訳には。この程度の距離、大して消耗は……」
「ほほ、若いのう。じゃがそういう気遣いで言ったのではないぞ。わしはの、馬が苦手なんじゃ。昔からの」
顎の白髭を伸ばす様に触って告げる。併せて過ぎた時が一瞬垣間見えた年配者の瞳が、自身の力で作り出し原形なく砂の山となった跡形へと向けられ。
昔は何も残らんかったんじゃがの。
と、誰かに知られる由もない思い出を懐かしむ。
「……フィロ様?」
「ほ? ――誰じゃったかの?」
「フィっフィロ様ッ?」
「冗談じゃよ、ほっほ」
即言葉を失うヘレン。
「ともかく主はあの馬鹿が置いていった馬に乗り、フェッタちゃんとの約束を果たしなされ。わしはわしで、馬鹿から押し付けられた用事があるからの」
「は、はい……」
次いで老齢の目に悶々とした表情が入る。
「ほ? なんぞ、悩み事かの?」
「……悩み、と言うほどでは……」
「言うてみるがよい。若い者の悩みを聞くのも、歳を取った者の楽しみの一つじゃよ。遠慮せんで、よいよい」
「……はい。その、フィロ様ほど高名かつ年長である方が王に対して陳腐な罵り言葉を連発するというのは先達した印象に違和感が……」
「なほッ?」
そうして白馬に乗り、聳え立つ塔を目指し駆けていった姉の姿を見送るクリアに高名な魔導師が声を掛ける。
「心配なら後を追いかけても、よいのじゃぞ?」
次いで少しの間が空いたのち、頭が横に振られる。
「ほむ。まあ追うたところで主らには上へ登る術はないじゃろうが、あの姫君の様には」
――暫しして、頷きが返る。
「出来れば手を貸してやりたかったが、この歳じゃと一つ支えるのがやっとじゃわ。すまんの」
やや置き――返事はなかった。
「……にしても主は相も変わらず物静かな」
「コんニチわ」
「――ほ?」
そして、二人になんとも言えない合間が流れる。
***
会場内を通り、外に出てきたルシンダは改めて地上から目的地付近へと向かおうとする事情を問い掛ける。
「このままでは、癪なので……」
「癪ですか。それはどのような?」
「……――アレとは可能な限り接点を持ちたくはありませんので」
「それを繋がりと捉えるかどうかは、貴女次第だと思われますが?」
「分かっています」
――重々に。
勝手、知らぬ間に起きた事と理解は出来ていても気持ちの上で処理が出来ない。
「どんな形であれ、アレに身を預けた時間は私の人生の妨げになり兼ねません。迅速に処分する機を窺いたいのです」
「左様ですか。いずれにしろ止めようとは思っていませんが」
言いつつルシンダはスカートに付いたポケットを探り、取り出した物を差し出す。
それは普段、首から鼻までを覆う形で相手が使っている日焼け止めの防護布だった。
「こっ、これは……?」
「今使っているのはボロボロですからね、必要だと思いまして。要りませんか?」
「ぇ、ぁ、なん――何故……?」
「こう見えて、日中は結構な頻度で外回りをしていますからね。ただ最近は極度に機会が減り、これは使用前の物です。それで気にしないのなら、どうぞあげますね」
そしてぱさっと、無意識にだろう開いていた手の上に所有権を渡す。
「……ありがとうございます、副団長」
「いえ補佐です。あと退職する予定のままなら、呼び方は別のに変えてもらってもいいですよ」
すると渡した布を咄嗟の勢いで握るほどの吃驚した様子を見せ、次いで慄いた目で相手がルシンダを見直す。と。
「――どっこまでッ?」
悲鳴とも取れる高ぶった反応が返ってくる。
ただそれには特に反応は示さず、さりげなく後ろに回した手の腕輪から出現させる一枚の用紙を相手に見せて。
「もしも行く末でお悩みでしたら、今後発足する国の活動に貢献する選択もご検討してみてくださいね」
すっと、そして場の雰囲気的に貰ってしまう相手が受け取った紙に目を向ける。
「……新規雇用、盛大に募集……」
明白なまでの求人募集、その宣伝紙だった。
「公にはまだお配りする前の段階です。もしも参加するのなら一番乗りですね」
「ぇ、えと……、私が求めているのは働き口とかではなく」
「騎士団長のご主人さんが主導で行う予定なのですが、最終的な規模を考えると人手は常に欲しい内容です」
用紙を持つ聞き手の指先が僅かに動く――のを、ルシンダは見逃さずに確認する。
「――立場を計算に加え打算すれば、いずれ重要な政策に変わる事は間違いありません。そうなれば第一人者として貴女の努力は報われます。しかも業務内容は貴女向けだと思いませんか?」
「それは……」
何故それも知っているのか、と思う。疑問が先にくる。
「最初は当然、突発的な問題の山積みになると思われますが、主導する以上はお二人での会議――相談は必須。場合によっては夜遅くまでを二人で過ごし解決案を模索するのも仕事の一環です」
「し、仕事……」
「はい、誰に負い目を感じる事もありません。だって仕事ですから」
「……負い目」
相手の脳裏を過る気掛かり、それを敢えて表立たせ一方の測りに乗せる事で揺れ出す決断の狭間――を見逃さず、追い打つ積もりで。
「ただ貴女にはこれからの人生を選ぶ権利がまだ多く残されています。無理強いはしません。その一方で政策を一人の為に滞らせる事は出来ませんので、ご了承くださいね」
次いで、それでは。と、ルシンダは相手に背を向ける。
「え。ぁ、あの……?」
「――はい?」
「直ぐ……でないと」
「いいえ、まさか。さきほど告げた通り広く募集するのはこれからです。そしてその時になって参加を表明するのも自由です。ただそうなってからの初回特典はあまり期待しないでくださいね」
「しょ、承知しましたっ。そ、それならア――後でっ直ぐに、用事を済ませたら直ぐに戻り、ます、ので――もう少し具体的な話を後で、詳しく……!」
「はい、いいですよ。それではまた後で」
「ハ、ハイ、後でっ、お願いします!」
そして直ぐさま動き出し途端に――足を止め、振り返って一礼――再び走り、去る。
見送るルシンダは静かな情緒でポケットから手帳を取り出し、平然とした表情で帳面にレ点を書き足した。
*
何故か急にくしゃみが出た。
「どうかされましたか?」
「いえ……」
なんだろう。――よくはない事、なのは何となく分かるのだが……。




