第122話〔永久就職とはよい言葉です〕⑥
山なりに伏せて手足を垂らしたままペガサスの背に乗せられ上昇後、降り立ったホリは命の恩人である少女に深々と縦線の入った頭を下げて礼を言う。
「ありがとうゴザイマス! ――マルセラさまっ」
そして同じく馬から降り、地上から亭々たる高さの地に足を下ろしたマルセラは額の上部から後頭部ら辺までの毛を駆け抜けた様に失っている相手を見て戸惑う。
「だ、――大丈夫……?」
「え。――なにがですか?」
キョトンと状況を理解できていない様子で聞き返すホリ。それを見て、言うべきかを悩むマルセラのそばに降りた時から近くに居たフェッタが歩み寄る。
「如何なされましたか?」
「ぁ、フェッタ様――、……どうして、居るの……?」
「居ては不都合と言う事でしょうか?」
「ぇ。ぅ、ううん、違うよっ」
「さすれば逆に、なに故マルセラ様はこちらにお出向きを? 私の記憶違いでなければ、後をお任せしたはずなのですが」
「う、うんっ、そう! ――だよ、ね……?」
と察するに余りある相手の覚束無い反応を見、フェッタの口から軽い溜め息が漏れる。
「まァいいでしょう。殊、危険という訳でもございません。それどころか、丁度どうしたものかと思案しあぐねていた事の解決策が来たと心嬉しく処理すると致しましょう」
「……んーと、――……どういうコト?」
「平たく言えば、移動手段が見付かったというコトです」
「そう。――なの?」
無意識に首をひねり、マルセラが口にする。と其処で悶々とした表情のホリがフェッタに近づく。
「あのぉ……、フェッタさま」
「ええ、なにか?」
「ジブンはその……、――どうなったのでしょうか……?」
先ほどから妙に風の通りがよくなった気がする頭部を後ろ手に掻きつつ、落下前後の曖昧な記憶を確かめる為、事の一部始終を見ていたであろう相手にホリは言う。
そして元々短くはあるものの薄皮一枚で過ぎ去った甚だしい痕跡をフェッタは一瞥し。
「――不幸中の幸いと受け入れるべきでしょう」
他に聞こえるかどうかの声量で、呟かれる。
「ぇ、――なにですか? 預言者さま」
「……――いえ、なにも。それより、私は急ぎ次の救出に向かわなければなりません。ホリー、貴方はここに残り、元直属の隊長をお守りなさい」
「ぇ? 残、――でっでもジブンは」
「それと近い内に私は預言者ではなくなります。いい加減その、どっち付かずな半端な呼び方は矯正なさい」
「ぇ。ぁ――、ハイ……?」
そうして困惑するホリを意に介すことなく、当面する疑問に小首を傾げかけていた少女の方を見。
「されば速やかなテイクオフと参りましょう、マルセラ様」
「――て、ていくおふ……?」
*
一時はどうなることかと冷や汗が出た、が完全に運良く助かった事で胸中ほっとする。
にしても、本当に運が良いというのか悪いというべきか……。
ただ見たところ大きな怪我はしていないみたいだし、一先ずは良し。と、落ち着いた現場の様子から一旦目を離して再度、安堵する。
「む。動き出したの」
――釣られて、ムと今下ろしたばかりの視線を上空へ向ける。
と音声の無い下方の個別枠内でペガサスに跨る銀髪の少女、に次いで白いローブを着た小柄な体が後ろに。
結果、遠目に見ても分かる直撃を免れた痕跡を頭皮上に残す騎士へ顔を向け何かを告げる預言者を乗せた二人乗りの馬が翼を広げてから地を蹴り、塔の外縁を跳び出して空を滑る様に画面外へと消えていく。
そして唯でさえ背丈の違う大男が座っている自分を、ほぼ垂直に見下ろす角度で、ぎょろっと見て。
「で、どうするのだ?」
ム……。
何を言いたいのかは間も無く分かる。
「許可を得る必要があると言うのであれば、追って聞いてくるが」
まぁそうなるか。
「……分かりました。それなら、自分が行って聞いてきます」
二人は参加者ではないので映像としての行動は見えていない。――が。
行き先は、なんとなくでは無く、予想が付く。
「何故だ? ワシが自ら行くほうが早いであろう」
だからです。
多少渋りはしたものの、ようやく理解を得て。
「それではちょっと、行ってきますんで」
と向かい合う大男の顔を仰ぎ見る。
「本当にワシが行かんでいいのか?」
「……――はい。そっちの方が問題はないと思います」
「ふむ、そうか。であれば」
何をするにも仰々しく、デカい図体が優に三人分を占領し本人との比較で子供用にしか見えない即席の場に円形会場の中央を向き腰を下ろす。
「期待して、もう暫く幼稚な剣劇を観、待つとするか」
ようち……、――いや。それよりも、念の為。
「はい。なんで、許可が出るまでは絶対に、ここで……」
「分かっておる。子の喧嘩に親がしゃしゃり出ても仕方なかろう」
だとしても正直、疑いは晴らせない。
と疑念を抱いた矢先に何気ない表情をした大きな顔が突として向けられる。
「ところで、其方はどうやってフェッタの後を追うのだ?」
ム。
「ええと、行き先は分かるんで、これから向かいます」
「走ってか?」
「そうですね……」
たぶん、というか確実に途中歩きながらにはなると思うけども。
「……その脚、遅いだろ?」
その場合それ以前の問題だと思うが。
「速くは、ないですね……」
「うむ。ワシの馬を貸してやろう」
「ゥ、ウマ……?」
「うむ、白馬だ」
イヤ色はどうでもいい。それより――。
「――……乗れませんよ?」
「何。――まあしかし、問題はなかろう」
イヤあるでしょ。
「賢い馬だからの。それに真っ直ぐ走る事こそ馬の本質、其方は乗っておるだけでよい」
仮にそうだとしても降りる時の事を考えてほしい。
「ところで、だ」
不意に大男が心身落ち着いたご老人の方を見る。
「ニンジン持っとるか? できれば竿と、糸もあれば申し分ない」
ちょ。
「主……――貴様は阿呆か」
***
二人がペガサスに乗って飛び去った後、未だ意識の戻らないマリア――元ベネット隊長を遥か下方に大地が見える外縁から少し離して寝かし、それを背にして再び両膝を抱えるホリの視界で繰り広げられる剣戟と増え続ける激闘の跡。
一応、残された状況として背後の知人を守らなければイケない立場ではある。しかし万が一の時はまるで役に立てる気がしない本人の心境は二週回り、今はおおらかな態度で過去に経験した事のない高い位置での空を楽しんでいた。
いつも以上に伸ばせば届きそう。
けれど、かなわない。
そう分かっていても、ふとした時、手が――気持ちが近付こうとしてしまう。
だけど届かない。
届きそうもない。
いつも躊躇いが勝つジブン。向こうだって動いているのだから、届く訳もない。
と、視界を下げたホリの目に白い靄の様なモノが映る。
むむ……? これは――、もしや。
それは紛れもなく小さな雲だった。
今にも、風で靡いただけでも掻き消えそうな程の僅かな形状と存在感。
しかし如何に小さな内容でも、触れてみたかったモノに変わりはない。
故に突然の機会、逸る期待を抑え気味にするホリの指が大気を浮遊する白い気体へ。
「てどわッ」
――不意な驚きと衝撃の波で思わずホリの体が後ろへとひっくり返る。
そして顔を上げるホリの視界に幾度目かの光景が遠ざかっていくのが見え、次いで自身の手が掴んだはずのモノを確認する。と、その掌には何も無く空手のまま、笑う。
途端――。
「ごどわッっしゃ!」
――反射的に下げた顔の上、目前を飛んできた土塊が通り――見るだけでも目が眩む遠き大地の崖下へ落ちていく。
そこから恐る恐る起き上がり、周囲の安全を確認してから。
……ベネット隊長。
直ぐ近くで横たわったままの元上司の安否を視認する。
その結果――。
一緒に逃げるしかない。と、――真面目になるホリの声すら出ないほど怖気付く心で決定した。




