第121話〔永久就職とはよい言葉です〕⑤
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マンホールの蓋を侮るなかれと言う気は毛頭ない。
ただ以前と比べ軽量化された物の重量は軽くなったものの、その強度――耐重は言うまでもなく。
戦闘、攻守の護りに於いては守備の概念をあまり持たなかった異世界の歴史に衝撃奔る。
――タルナート後日談より引用。
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投げた。
一見して盾にも使えそうな円形、鋳鉄の蓋を――全身の伸張反射を余すことなく使用しユーリアは剣と持ち替えた右のオーバースローで投げる。
その速力は縦に回転する鉄の円盤を僅かに浮き上がらせ標的へと一直線に、凄まじい風圧を帯びて尚も伸びていく。
と――瞬く間に接触する盤と金色の毛先、その隙間が。接する摩擦によって細かい熱を飛び散らせる。
***
背後でなにやら凄まじい、布越しに肌をビリビリ叩く衝撃とその音が放たれる。
ただホリは気にせず。少し前に自身が出てきた空間の前で、思い悩むのは見た目だけの末に安直な意を決する。
次いで、ここから。と、色具合の異なった前方へ手を――更にすっと腕を差し込む。
手応えは全く無い。
そのまま、入れた腕がこちら側に出ないよう立ち位置を変えて歪んだ空間の後ろを覗く。
が其処に自身の腕は無かった。
「ぉぉ……」
ホリの口から思わず声が漏れる。
と同時にいけると確信し。
――ここからなら戻れるかもしれない。
そう、思った矢先の唐突な衝撃――もとい、感触が中にあるホリの手の平を押す。
「むむ?」
硬い。それでいて、所々がさらっとしている。のに布地みたいな分厚い肌触りもある。
「むむむ?」
現状の姿勢を保ったまま、手が届く範囲で触れる何かを弄る。
結果直ぐ、最初に接触した場所から少し下げた方で、ホリの腕がナニかを発見した様に止まる。
「これは……?」
恐る恐る指を動かして、伝わってくる手触り。
おお……柔らかい?
しかし何か厚みのある、生地の様な物に覆われていて奥の本質には届いていないのが手堅く分かる。
それならと、ふむふむ頷くホリの手先が見えない中の様子を触れる当たりの良い柔らかさを頼りに探ろうとした矢先――突如、押し返される。
「おおっ?」
ぐいぐいと、ホリの身体をも押し退ける勢いで来る予想外の進行にあわや姿勢が傾きかける、が咄嗟の判断で抵抗し易い位置に手を持っていく対処を――も時遅く、倒れるまではいかなかったものの進入していた腕ごと歪む空間の前に後退させられる。
そして――。
「え?」
ホリは出てきた朝方振りの超上司と指の間から目を合わせ。――面を食らう。
「……一刻も早く、この手を放しなさい」
「ェ? ぁ。す、すスゥ、スミマセンっスミマセンッ!」
しかし混乱するが余り指先に気持ちとは裏腹の力が入ってしまい、結果として鷲掴む相手の面に指は更に食い込む事となった。
「っ。……更に締めるとは、よい度胸ですね」
自身の脳天を締める指の隙間から、薄い緑色の瞳が確かな憤りを窺わせホリを睨む。
「どわッッ?」
そうして生きた心地がしないまま、ただただ上司の行動を何も言えずに見守っていたホリが気付く。
「隊――マリアさん?」
現れた時から背に負っていた人をフェッタが地面に下ろす傍ら、ホリが仰向けに寝かされるその人物の名を口にする。
「おや。覚えていましたか」
「ぁ、はい……」
いくら何でも忘れる事はない互いの元関係。しかし今は部署も変わり、日常的に接する機会は以前とは比べものにならない位。――にも関わらず、ひょんな所で出会ってしまう事を、前々から秘かにホリは気にしていた。
「……あのぉ。た――マリアさんは、どうかされたのでしょうか……?」
「どうも致しません。少々手荒く連行したゆえ、気を失っているだけに過ぎません」
「連行……」
言われて見れば仰向けになったその姿は所々で裂けた着衣の穴から赤くなって腫れた皮膚が窺え、普段隠している口元も覆う襟が損傷している。
「今月一杯で辞職する報告は受けておりましたが、さすがは隊長と名の付く席に居ただけの事はあるでしょう」
そう言って、荷を下ろしたばかりのフェッタが自身の切れかかったローブの片袖をホリの前に出し、見せる。
「え、……お二人は争われたのですか?」
「よもや。私ほどか弱き者が、刃を携えた騎士と争い勝てる訳は奇跡とて無いでしょう」
「ぇ……でも」
「そのようなコトよりもホリー――手を、貸していただけますか?」
今し方寝かした者の足側に回り、膝を折ってしゃがんだ後、ホリへ顔を向けるフェッタが程よく落ち着いた様子で言う。
「ぇ? あ――ハイ、なにですか?」
「そちらに回り、彼女の身体を私と持ち上げなさい」
頭部側の外縁を指差してフェッタは告げる。
「わっ、――分かりました」
呼応し直ぐに移動を開始するホリ。そして横たわる元上司の頭側で膝をつき、そっと肩に手を添えた後、顔を上げ。
「どちらに運ぶのでしょうか?」
「そうですねェ。安全な場所がないのであれば、いっそ地上に放り投げるという案は、妙となりますか……」
意味深に微笑しつつ、ホリの顔を正面から見据えてフェッタは答える。
「よげ――フェ、フェッタさま……?」
*
主枠を見上げ、思わず息を呑んだ状況が一転。
捉えようのない一瞬の出来事は、投げられた蓋を気付けば二本の指先で摘まみ取っていた女騎士の手に保持される。
なんと言うか……。――相も変わらず、どうなっているのかは訳も分からない。
といっても、自分は見えたまんまを、その時々を驚く事だけ、だが。
そういった意味では確かな事が見えていない分、他とは違う、ちょっとした事に気付けたりはする。
例えば、受け止めた際に起きた衝撃か何かで着ている礼装版の鎧、その布地部分――主に青いマントが散り散りになってしまっている事や、声を発さずとも険悪なムードである事は少し見ただけでも目に付く。
しかも、自分レベルの異世界人では到底理解できない投てきを受け止めて。尚、投げ返すという荒々しい遣り取りの、行き着く先に――。
――あ。
***
「どわぁぁあああぁあぁぁぁぁぁ」
上空高く、身一つで巨大な舞台から放り出されたホリの叫びが尾を引き連れ落下する。
当初背から回転を始めた視界も直ぐに前後を失い、最早天地のどちらに自身が向かっているのかも分からない動乱を声を伴う軌跡が落ちていく。
その最中に於いて、数秒後の身の上、訪れる久方振りの死を確信するホリ。
ああ――願わくば、蘇生したジブンにも居場所が残っていますように。と、急激な加速の所為か涙ながらに祈る、ホリの腹部に凄まじい一撃が食い込んだ。
「ゲボちゅッ」
瞬間的に加わる激しい衝撃で肺にあった酸素が体外へと全て放出され、次いで最も強く打ち付けた腹部の痛みに耐えながらも呼吸を求めるホリは力無く山なりに曲がった身体で苦しむ。
そして、落下中であった事を思い出し。
「ね、――大丈夫……?」
息苦しいまま顔を上げるホリの視界に白い羽毛が折り重なった翼、そして太陽の光を背に輝く銀色の髪や褐色の肌でもって不安気にジブンを見る少女が映る。
「め――……女神さまですか?」
「ううん、違うよ」




