第25話〔そもそも死んでませんよ〕⑩
「こら、おいっ! しっかりしろって、ヨウジっ」
頭から流れ出た血は徐々に固まりつつあるものの、気を失ったまま意識の戻らない相手を腕の中で揺する体格のいい男が、最後の手段と自らに称し、頬を叩く為の形を作った手を振り上げる。と――。
「アニキっ」
――突然の呼び声に、頬を打たんとした手が止まる。
「おおヤスッ、来てくれっ」
言いながら来いと願う前から駈け寄って来ていた細めの男を体格のいい男が手を振って招く。
「――どう、ぅわ! 血が出てるじゃないですか、なにやったんですッアニキっ」
「バカっオレじゃねぇよ! 上から箱が落ちてきてヨウジに当たったんだっ。それより救急車だッ救急車を呼べ、ヤスっ」
「えっ、あ、ああ――そ、そうですねっ」
「――ところで、あきひろはどうした?」
「え、あ――あきひろは、まだ途中だったんで、俺だけ様子を見に――てッしまったっ。上に、スマホを置いてきてしまいました……」
「なにイ」
「ス、スイマセンっ。佐藤のアニキに電話をしようとしてたところだったんで、咄嗟にっ」
「……――よし。なら、ちょっとヨウジをもて」
「え。あ、はい――」
と細めの男が、体格のいい男が腕で抱えている体の下に腕を入れ。
「――……い、いいですよっ」
「よし、はなすぞ」
そして相手に体を託した体格のいい男は立ち上がり、ズボンの後ろポケットに手を入れる。
「ん? あれ? ないっ、ないぞ!」
「……どうしたんですか? アニキ」
交代で膝をついて怪我人を抱えた細めの男が、慌てた素振りで何度も着ている服のポケットを確認する、相手に聞く。
「オレの電話がないんだ。――なんでだ?」
「車の中で、落としたんじゃ……」
「なにィイ、いつだ。――あっ、あの時かッ」
「……――それで、どうしますか? アニキ」
「どうって、そりゃあ救急車だろ。電話だ電話」
「じゃ俺、上に行って電話してくるんで、持つの交代してください」
「いやまて。そうだ、手当てだ。キズの手当ても、先だ」
「モって、同時には無理です。それに、手当てをしようにも道具がないです」
「そ、それは……――おっ、そうだ。ヤス、前ここに来た時、手を洗いに行ったよな?」
「はい行きました」
「水は出たのか?」
「出ました」
「なら、その水をくんできてくれ。電話は、その間にオレが取ってきてやる」
「どうしてアニキが……、俺が行ったほうが」
「オレは水がある場所、分かんねぇだろ」
「……――どうして水を?」
「そりゃキズを洗うためだ。バイキンが入ったら大変だからな」
「……水を入れる、入れ物は?」
「どっか探せばあるだろ」
「汚いですよ……」
「それも洗えばいいだろ。とにかく、くんできてくれ。こういう時は、もたもたしてるとダメなんだぞ」
「……――分かりました。ところで怪我人は? ここに、残して?」
「心配するな、オレが背負って連れて行く」
「それはやめといたほうがいいですよ、アニキ」
「なんでだ?」
「頭を怪我した時は下手に動かさないほうがいいって、医者が言ってました」
「そ、そうか。医者が言ったのなら間違いないな」
「やっぱり先に電話を」
「いやダメだ。バイキンが入らないようにするのが先だ」
「……じゃどうすれば?」
「よし。オレはここでヨウジをみとく。ヤスは水をくんでから電話を取りに行く、でどうだ」
「俺だけ苦労してませんか……?」
「つべこべ言うな。こういう時は、そう、あれだ。イッコクで争うんだ」
それを聞いて、訂正したい気持ちを抑えつつ、細めの男が言う。
「……水、汲んできます」
「おう。――で、ちょっとなら、動かしてもいいのか?」
「ああ床に寝かしておくよりかは、どっか、もたれかからせておくほうがいいかもです」
「そうか。――よし。水は頼んだぞ、ヤス」
「はい。じゃ交代してください、アニキ」
「ん? ――あ、そうか」
「……」
そして体格のいい男に怪我人を預け、細めの男は立ち上がる。
***
倉庫の裏に放置してあった木箱の陰に隠れて暫く様子を見ていた少女が警戒しながら物陰から出て、開きっぱなしの扉へと一歩ずつ近づいて行く。
そして何事もなく扉の近くまで来ると、少女は慎重に倉庫内の様子を覗き見る。
――ふーん、裏からも入れるんだ。
と思いつつ、今しがた忙しなく階段をおりてきて中に入った男が戻ってこないかを心配する。
――きっと、さっきのを見に行ったのね。
そして直ぐには帰ってこないだろうとも思い。少女が階段の方へ振り向こうとした時――。
「う動くなっ」
――しまった、と振り返って見る少女の視界に小さな刃物が入る。
***
抱えていた怪我人を床に置いて近場の柱にもたせかけた後、手頃な箱で横に倒れないようにした体格のいい男が、そっと体から手を放し、静かに立ち上がる。
「よし」
手が空いて、心に生まれた余裕から出るアクビで体格のいい男が大きく背を反らす。その途中に。
「ア、アニキ……」
「ん? ヤスか、――もう水をくんで」
そして声がした方へ振り向いた体格のいい男は、目を疑った。
「オ、オマ、オマエ、なん、で」
驚きのあまり動揺して言葉を失う相手を余所に、冷ややかな目と声が告げる。
「少しでもおかしな真似をすれば直ちに、この者を斬ります」
そう言う女騎士の手に握られた剣の先が、もう片方の手で掴む細めの男の喉元を斜め下から狙う。
「ま、まて。オレは、オレは絶対なにもしない。だから、だからヤスを放してやってくれ」
太い腕を前に出し、体格のいい男は訴える。それは体躯で二回り以上大きく、身長すらも勝る相手との間に壁を作る自覚のない防衛本能だった。
「た、頼む」
沈黙する騎士が放つ雰囲気が場の空気を、重苦しく、渇かす。
「……アニキ」
細めの男が、呼吸をする度に感じる刃で喉の皮膚が裂けて血が出るのではないかという不安に駆られ、声を出す。
――本来なら、来た時と同様に裏から出ていれば鉢合わせる事のなかった相手に自由を一瞬で奪われた男の不運。
それがこのまま膠着した状態で続くと思われた矢先、突如としてあらぬ方から重なった二人分の人影が出てくる。
「――う動くなっ。動いたら、この女がどうなっても、し知らないぞ……」
出てきた人影の一人――見た目弱々しい男が、その手に小型のナイフを持って、言う。
そしてもう一人は――そのナイフを持った男に左肩を後ろから掴まれた、顔に刃を突き付けられ両手の平を小さく上げて降参の意思を表示している、身長の低い少女だった。
「救世主様っ」
「動くなっ!」
咄嗟に動こうとした女騎士を、ナイフを持った弱々しい男が、声を張り上げて止める。
「あ、あにきを、放せっ」
「……――あきひろ、オマエ、どうしたんだ、ソレ」
直ぐに刃物だと分かったソレを見て体格のいい男が、弱々しい男に、問う。
「こ、これは、いつも、持ち歩いてて……」
「バカやろうッ兄貴が知ったらオマエっ」
「で、でも、今はこうするしかっ」
「――……とにかく、バカなマネはするな。はやく鈴木を解放してやれ。そんなやり方は兄貴の下で働くオレらのすることじゃねえ。だろ?」
「だ、だったら。――先に、そっちがあにきを解放しろ!」
同じく人質を取る相手に、ナイフを持った手に力を入れ、弱々しい男は言う。
「――分かりました。ではこちらから先に解放しましょう。そうしたら、救世主様を放してくださるのですね?」
「……救世主様? よ、よく分からないけど。あにきを解放すれば、この女は返してやるっ」
「そう、ですか。では」
と言って女騎士は刃を下ろした後、掴んでいた手を放し、人質を解放する。そうして自由となった細めの男は、痛みの伴う腕をさすりながら、体格のいい男が居る所へと向かう。
「――よ、よし。――あきひろ、約束だ。鈴木を解放してやれ……」
そう言う兄貴分である体格のいい男。しかしそれに対する返事は。
「ダメです。この女は解放しません。このまま人質にして、こっちの言うことを聞かせます」
「なっ、それでは約束と違うではありませんかッ」
「そうだぞっなに言ってんだッ、あきひろっ」
「じゃあ、じゃあにきたちは、人質なしで、ここから、どうするつもりなんですかっ?」
「そ、それは……――だ、だからといって、そんなやり方はっ」
「――ね、あのさ。わたしのコトはどうでもいいんだけどさ。水内さん、どこなの?」
と今の今まで黙って人質になっていた少女が、徐に質問する。
「ミナウチ……? ああ――ヨウジだったら、ここに居るぞ」
そして大部分が体の陰に入り見えていなかった場所が、体格のいい男が動いた事で公となる。
「え。ちょっと、ケガしてない……? それ、血でしょ。しかも意識、ない?」
「これはオレらがしたんじゃ――」
――音は無かった。しかし全員が、引き寄せられる様に、其処を見る。
「……この、外道め。よくも、よくも私の」




