第102話〔ちゃんとワタシ達の責任とってね〕③
ダイニングの隣りにあるリビングルームで二人掛けのソファに座り、赤く腫れた額にそと絆創膏を貼る。
すると痛みがあったのか瞬間的に身を震わせる相手の様子を見つつ、怪我の処置に使用した道具を傍のテーブルに置いた箱の中に戻し。
「痛かったですか?」
と心配して聞く自分に、衣服の至る所に食材らしき物を付着させた少女が首を横に振って答える。
ふム。
――まぁ、状況を見るからに、軽い怪我で幸いだ。
と、台所の惨状に目を向ける。
「ごめんなさい……」
ムっと視界を手前に戻し、同じソファに座る少女の顔に焦点を合わせる。
「いや、べつにそんな――無事で、何よりです」
ただ何をしたのかは気になるところ。
「ちなみに、何が……?」
夕食を作っていたはずだが。
「ちょっと、失敗した」
さながら砂糖と塩を間違えたみたいな調子で告げる。
そのわりに化学反応でも起きたのかと言いたくなる、見るも無残なしくじり。
――というかこれはもう事件でしょ。
しかし差し当たって、細かく追究している時間帯ではないので。
「……――と、とりあえずっ、できる範囲で後片付けはしておきますんで。着替え、と言うか――そのまま風呂に行って、入ってきてください」
「分かった……」
頷き、そして立ち上がる。次いで背を向けて部屋を出て行く姿は寂しげではあったが、声を掛ける暇はなさそうなので、黙って見送る。
さて、出てくるまでに片付ける――コトは無理でも、せめて今晩の内にやれるだけのことはやっておこう……。
とはいえ、元通りになるのだろうかコレ。と思案に余る視界で、棚から外れた戸が台所の床に落ちる。
――何か忘れている。
そんな気がしながらも、目に見えて危険な破片を優先して拾い集め掃除をする過程で見つけた食品、主に保存食を確保しつつ大まかな床上を清掃し終えたところで。
ガチャリと扉が開く。
そしてバスタオルを適当な感じで肩や首に巻いた少女が髪にまだ多くの水分を含んだ状態でダイニングに足を踏み入れ、キッチンに居る自分の方へと向く。
いったんこのくらいで、先に――乾かそう。
赤みの強い髪に触れて水気が飛んだのを確かめた後、よし。と送風を止め、目の前のダイニングテーブルに乾燥器を置く。次いで――。
「大丈夫そうですか?」
――こくんと座っている本人の確認を得て、日常的に行っている乾かし作業が終了する。
そして、さて。と、一人目を終えた流れで隣りの席を見、あっ。と重大な事を思い出す。
マ、マルセラさん……。
ここ数日で家族同等となった存在――それを、完全に忘れていた。
……あれから、どうなったんだ。
日中の一件があるから顔を合わせるのは正直、抵抗がある。とはいえ帰ってこないというのは単純に心配で面目を勝る。
ただ本人の意思で来る手段はいくらでもある以上、意図的に帰ってないとすると。
その理由は明瞭としている。
どうすれば……。
「ヨウ?」
――ム。
ふとした呼びかけに顔の向きを戻す。
と気掛かりな様子で、椅子の後ろに立っている自分を真っ直ぐに整った赤黒い毛をぴんとさせる少女が座ったまま振り返り見ていた。
「はい、何ですか?」
「……――マルセラが、気になる?」
ム……。
「分かるんですか……?」
頷き返る、小さな返事。
ムム。
「まぁその……、いろいろとあったんで。どうなったのかが心配で」
「いろいろ?」
「ええと、ですね。今日の予選で、協力してほしいと言われたんですけど。ウマく期待に応えることができなくて……」
というより、必要以上の余計な傷を付けた。
「だからその……今更とは思いますが、謝罪というか申し訳ない気持ちもあるので何か、せめて現状と何処に居るのかだけでも確認しに行ったほうがいいんじゃないか」
「問題ない」
すっと前を向き、やんわりとした態度で目の前の椅子に座る少女が断言する。
「……問題ない? どうしてですか」
「マルセラはオトナ、コドモじゃない」
もっともだ。
「ヨウは、上辺ばかりを見過ぎてる」
ム。
「うわべ……ですか?」
「うん。大切なのは表面じゃなく、中に入ってるモノだよ」
「――そうですね。確かに、その通りです」
「外見だけで本質を調べないのはクソつまらない」
「……――それはそうかもしれませんね。けど、クソなんて言葉を使ったら、ジャグネスさんに怒られますよ」
するとハっとなり自分を見る少女が自身の口に細く小さな指を縦にして当てる。
「鬼の居ぬ間」
それも駄目だと――というか、異世界にも鬼は居るんだな。
夕食を大雑把な掃除中に発見した保存食で済ませたのち目に付く範囲で床に落ちた物を二人で収拾、分別してから入浴。
そして隣接する他人宅が無かった事を幸いと元居た世界の住居事情に心馳せながら浴室を出、今夜は然ることながら、直ぐの復旧は目処が立ちそうにないので――。
「アタシの勝ち」
ぁ、しまった。
――日常の一環として行われる盤上のゲームに負ける。
次いで次戦の準備に着手する相手を横目で見ながら時刻を確認し。
「そろそろ寝ませんか?」
興の乗った顔が、ぇ。と言った感じの反応を示す。
「……ええと。ほら、明日も女神杯ですし」
結果、後悔する。
しまった。
持っていた駒を盤に置き、悲しげな表情で寝間着姿の少女が下を向く。
ふと日中預言者から言われた事を思い出す。
乙女に対する礼儀はともかく、相手の状況を知った上でデリカシーに欠けていたのは確かだ。
「ス、スミマセン……」
「――どうして謝るの?」
ム……。
「……何で、だと思いますか……?」
てナニを聞いて。
「ぷ」
――……ぷ?
何故か一瞬息を吐き出した相手の様子を注意して見守る。
と次の瞬間、普段はゆったりとした行動を主とする口がカパっと大きく開き。
「――ぷ、ぷぷっ、ぷはッ。あは、あはははハっ」
これまでに一度も、瞬刻たりとも見たことのない速度で腹を抱える口腔が音を吐き出しながら対面する向かいのソファで揺れ動く。
い……妹さん?
リビングにて、背が低めの長机を間に挟み向かい合う二人掛けのソファ。
其処で日常的な取り留めのない時間を過ごす内、重大な事件が起きる。
自分が座る、対面したソファの前で声だけでなく顔までも全開に使い笑い尽くす。
正直なにがそんなに面白いのかと聞きたくなる気持ちを抑え、ようやく落ち着きだした相手に――声を掛けてみる。
「……大丈夫ですか?」
まぁ、どちらかといえば、動揺しているのは自分の方だが。
「ぅ、うん。マシになった。――っ」
痛そうな表情をして、未だ目に笑い涙を浮かべる少女が手で横腹を押さえる。
「妹さん……?」
「ダ、大丈夫っ。久しぶりにたくさん笑ったから」
だとしたら相当だな。
「……そんなに、面白かったですか?」
一体なににウケたのかも分からないけど。
「おもしろいって言うか、ヨウらしくて良かった」
なんだそれは。
「で如何して謝ったのか、分かったの?」
ム。
ぶっちゃけ考えれる状況ではなかった。――けれども。
「……たぶん、妹さんに対して可哀想と言うか、同情の気持ちがあったからだと」
「同情。敗けた事?」
「そうですね。ただ、どういう内容だったのかは知りませんし……――そういえば、何をしたんですか?」
「最強の料理対決」
ぁ。――察し。




