第93話〔まさかワタシが勝つなんて:乙女杯/予選〕①
女神杯当日、朝からオカシナ事が立て続いた。
というのも、普段は決して自分より先に起きるはずのない二人が真っ先に身支度を済ませて待っていたり。
城へと向かう馬車に乗っている間、何故か自分から離れた場所で何かを相談していたりと、敢えて追究はしなかったが、着いてからも二人――もとい城中が、極端な事を言えば一名を除く皆が落ち着きのない様子に思えた。
ただ理由さえ分かれば、それは何て事のないお祭り騒ぎで、前日には影も形も無かった建造物――施設が、複数できあがっていたコトに専ら驚くばかりである。
けれどもそれらを差し置いて、目の前に現れた異常な相手に何があったのかを尋ねなければならなかった。
普段ならアイロンを当てた様に真っ直ぐ伸びた白い衣がシワ立って乱れ、主に胸元だが濃い赤紫色の斑点が長い間なにかで圧し潰していたみたいにヨレて跡のついたフードにまで点々としている。
「だ、大丈夫ですか……?」
おまけに瞳は虚ろで、日常的に姿を見ている自分でも、正直ダレと言いたいくらいだ。
そして声を掛けた事に反応したのか、向き合ってはいるが何処を見ているのか分からなかった目が少しずつ中心に寄っていく。
――にしても、ヘレンさん達は一体なにがしたかったのだろうか。
突然、前回の闘技大会を思わせる建物が一夜にして――しかも複数出来上がっていた事に戸惑いつつも異世界のノリで納得しかかっていたところ、二人が粛然と仕えている女主君の両肩を持って連れて来たや“宜しくお願いします”の一言だけを残し、去った。
加えて、置いて行かれた雇用主は何が何やらの状態だし……。
ただ――。
「……ァ」
――ようやく目が合った。
「大丈夫ですか……? 預言者様」
そう言って軽く膝を折り、互いの身長差を調整してから恐る恐る相手を覗き込む。
「ァ、――ィ」
イ?
そして小刻みに震えながら顔の前にくる両手、白く細い指が――。
ん?
「ィィイヤッアアアアアツッッ!」
――叫び上がる悲鳴と共にプシャァアと水飛沫を迸らせ、鼻先眼前で打ち合わされる。
のわッっ、何ッッ?
一度帰ったほうがいいかな……。
手持ちのハンカチで顔周辺は拭けたが、髪と上着まではどうしようもない。
と思案していると背後で人の気配がして、ムっと振り返る。
其処に、先と同じ服装ではあるものの、普段通りに整った――。
「――……預言者様?」
着替えた……、――にしては早いな。それに。
「さ、先ほどは……非常に、お手数をおかけいたしまして……」
「ぁ――イヤ、それは何にも……大丈夫です。けど……――」
よし、一旦。
「――すみません、一度着替えに戻ります。ので、また後で」
そして戻ったら何があったのかを是非聞きたい。
と、多くの人々が集まってきている広原で建ち並ぶ施設を背に城の方へと預言者の横を通り向かおうとした矢先すっと細長い指がその平で自分の胸部を押し止める。
ム?
「しばし、お待ちください」
そう言って、もう一方の手の平が濡れた服の上に押し当てられる。
おお。――これは。
服に手を当てた直後から見る見るうちに水分を吸っていた衣は軽くなり、瞬く間に乾くどころか湿気すらも感じられないほどの状態に。
と上着に触れていた手が引かれ、途端に下にあったボタンがポロっと足元に落ちる。
「おや……。失礼を、まだ細やかな調整が出来ていない様で」
「いやイヤ、十分です。助かりました――というか、どうやって……?」
「大した事ではございません。この程度は一般的に遣り様がいくらでも存在いたします」
「そうなんですか……」
さすがは異世界、便利だな。
とはいえ、そうそう水浸しになる事もないが。
「しかしながら頭髪のほうは……、――おや?」
同時に人の気配がし、ムっと振り返る。
其処に、少し前に女神杯の参加手続きをする為に別れた二人が。
で外套を羽織る赤い一人が徐に自身の手を自分の頭の方へと向けて出し――。
「……妹さん?」
――次の瞬間、顔面を直撃する熱風が頭髪を吹き抜ける。
アっつッ!
今さら異世界常識について、とやかく言うつもりもない。が。
若干コゲた臭いがする……。
「――エリアル、貴方は相も変わらず、いい加減ですねェ」
どちらかといえば悪い意味で。
と思いながら視線を、平然とした表情で目の前に来た預言者を何故かジーっと見つめる赤い少女の方へと、乾ききった前髪を整えつつ、向ける。
するとゆったり動く手が羽織る外套の袖と共に上がり――。
「ソレ、よかったね」
――相手の胸を指し、ボソっと呟くように少女が告げる。
そしてチラりとこちらを見てから、不変的に綺麗なローブを着ている相手がわざとらしい咳払いと手で口元を隠し。
「……――はて、何の事を仰っているのでしょうか?」
と、これまた作られた言葉で預言者が聞き返す。
ム……?
結果、どこか満足気に笑みを浮かべる少女から返答はなく。代わりの様に出された小さな指先が誰も居ないはずの方を示し。
ムっとなる自分を含め、三人の目が向く先に――。
「あれ? どうして皆さんが?」
――受け付けがある方向から歩いて現れた一般的な騎士の鎧を纏う髪の短い騎士が、自分達の前で足を止め、そう尋ねてくる。ので。
「ホリーさんこそ、どうして――鈴木さんと?」
同じ様に騎士の隣で立ち止まったすらっと長い黒髪が似合う小柄な少女を見て、言う。
「ええっと、――ワタシは救世主さまと今日参加する予選をどれにするか、相談をしながら決めてきました」
ム――。
「――……予選?」
「ハイ。明日の女神杯に出場するための選出ですよ、今日は。――もしや、ヨウジどのは知らなかったのですか?」
そうだったのか。――全く。
すると自分の前を通り、騎士の隣に居た少女が預言者の所へ歩み寄る。
「ちょっと、酒臭いわよ。飲んだの?」
そう、おそらくは今居る皆が思っていた事を軽く自身の鼻先を掴み、少女が告げる。
「おや……、――……それほどでしょうか?」
と口の広いローブの袖や体を嗅いだ後、やや恥ずかしそうに預言者が述べる。
「ま、午前中はムリね。香水でも振っておけば?」
「……そう致します」
儚げに言う。――其処へ、持ち物を探りつつ近寄って行く騎士が小瓶を取り出し。
「よかったら、ジブンのをお使いください」
そして差し出したままニコニコとする表情と液体の入った小さな瓶を交互に暫く見た後、一括りの髪が頭と共にがっくりと垂れ下がる。
「――……なんたる屈辱っ」
よくは分からないが、失礼だとは思う。
そうして、いくつか在る会場の外に設けられたくつろぎの場で足りない椅子を他所から持ってきて座る皆の傍で、自分だけ立ったまま、今回の女神杯について情報を告知される。
といっても現時点で分かっている事が――。
「それで最後まで勝ち残った一人が、明日の決勝に出れるってコトですか?」
――大した情報量でもなかった。ただ。
そんなの全く知らされてなかったのだが。
「ハイ。なので、――どの種目を選ぶかで昨夜は寝ずに思い悩みました」
「なるほど……」
そういえば若干目の下が黒い。
「……で、最終的には何に? と言うか、どんな種目があるんですか?」
自分から見て最も離れた――といっても四人用の丸テーブルを囲む皆の脇に立つ位置から反対側に座っているので話し易い相手を見たまま、尋ねる。
「ええっとですね。お題は会場の数と同じで五種ありまして、――各競技は最強の乙女を決定するために分野別の」
「――さ、最強の乙女……?」
なんだそれは。と、話を遮る形で聞き返す。
「ぇ。あ――ハイ、このたびの女神杯は最強の乙女が願いを手にするらしいですよ?」
ですよって。
「……なんですか、その、最強の乙女って……」
「わかりません」
なぬ。
「まーでも、――優勝した人は最強の乙女ってコトではないでしょうか?」
それは、そうなんだろうけど……。
すると今一つ納得し兼ねる自分の直ぐ近くで小さな黒い頭が騎士の方へと動く。
「で、結局アンタは何にしたのよ?」
「え。――ジブンが出るのは、他は勝ち目がなさそうだからって、救世主さまが勧めてくれたクイズという聞き慣れない――って、救世主さまは知っているではないですかっ」
なるほど。――既に蹴落としは始まっているのか。




