第91話〔できれば資源ゴミの日だけは勘弁してもらいたい〕⑦
*※*
部屋の中央にある丸机の上に置かれた水晶玉が、我が子の前で胸の内を握り締める様にして倒れる預言者の手で布を引かれて落ち――薄暗い床でガシャンと弾け、散乱する。
結果、最期の言葉を告げる事すらできずに絶命した母と、その傍らに浮かぶ存在が全てを見ていた幼少の心に消えぬ外傷を植え付け、消えていく。
と、水晶の割れた音を聞き、慌てて室内に入る扉を開け入ってきた灰色のローブを着たが老女が光の粒となって消え逝く母の姿を見つめる幼い孫の姿を見、何も言わぬまま、近づいてその震える小さな身体を抱きしめる。
そして何も言わずに頭を撫でる祖母にようやく気付き、何かを見ていた筈の自分がどうして抱きしめられているのかを、問う。
しかし返答はなく。ただ抱きしめる力だけが強くなったのを感じて、幼い心は悲しい事が起きたのだと理解し、涙した。
何故、泣かなければいけないのか、分からないままに。
――預言者は主に従わなければならない。
幾度となく、幼いフェッタに母親は告げた。
*
「しかし母の最期は女神の決定に背いた事で、処罰されたのです」
再び訪れた部屋で座っていた椅子と窓を背にし立ったままの預言者が、机を間に挟んで話を聞いていた自分を見つつ、そう結末を口にする。
「……なんで、そんな事を……?」
「母は、私とは違い――寡黙で真面だけの人柄と、幼少の頃の私は信じて疑う事なく印象付けておりました。が母の死後、私が預言者の使命を受け継ぐ際、祖母は母の死に纏わる真相を語ったのです」
そして過去に幾度か向けられたことのある奥深い色を放つ瞳が自分を見る。
ム……。
結果堪らず、何と……? と無意識に続きを促す自分に。
「母の死は、ある事をなし遂げる為の犠牲だったのだと、祖母は言いました」
瞳を閉じ、預言者は告げる。
「当時の預言者であった私の母や祖母は前救世主が残した因縁を監視する事を最優先とした主の命に従っておりました」
「……前救世主。クーアさんの事ですよね……?」
「そのとおりです。彼女は――いえ、彼の者は女神に奉仕する立場でありながら逆らい、あまつさえ逃亡をも図ったのです。その結果、寛大な慈悲により許された魂を逃がし、自身は捕らえられて罰を課せられました」
「それが今のクーアさん、と……?」
「はい。一旦の処刑後、蘇生する段階で性別などを変えられ、その時点で偶然宿っていた魂と接合させられたのです」
へ。
「せ、接合……?」
「端的に申しますと、表裏した二つの魂を新しい身体に宿らせたのです」
残念ながら全く理解できない。
「……そうですね。洋治さまは、幾度か二人とお会いになったと思うのですが」
「ぁ、はい。会ってますね」
けど、あれは――。
「彼の者は親子でありながら、一生その顔を自らの目で見るコトが叶わぬ運命なのです」
――ム。
「どういうコトですか?」
「過程はさほどの内容ですが、簡潔に言えば寝入っている間のみ、一方と主観が肉体ごと入れ替わるのです。ゆえに、独立して相対する事が生涯あり得ません」
な……。
「その上、常人よりも加護の影響を受け易い立場が罰によって強く働き掛け、人としての寿命を全うする解放も険しく、先の遠い試みを未だ諦めきれずに足掻き苦しんでいるのです」
……ム。
「何のことですか……?」
「――彼の者と違い、罪の無い子は直接の罰を免れました。されども親と同一に生きる人生は未来ある者にとっては過酷、障害とも言えましょう。それをどうにかして無くしたいと思う心は、親だからなのでしょうか」
「……――クーアさんは、一体なにを……?」
「平たく、寝ずの番。少しでも子より早く死のうと、無駄な時を過ごしているのです。それこそ強引な方法、毒すらも用いて、睡魔を追い払う努力を常々しているのでしょう」
毒って……。
「――されど現状、話題にあげる必要は一切ございません。ゆえに本題となる私の話に、戻るとしましょう。でなければ、ここのところ延滞気味な内容に不満を抱く数少ない読者が、更に減ってしまわれます」
一体なんの――というか、読者ってナニ。
「……よく分かりませんけど。それでいいんですか……?」
「丸っきり興味を持ってはおりませんので」
しれっとした表情で預言者が言う。
正直、自分的には少し気にはなる。が――。
「それじゃ……、お願いします」
――今は優先すべきではないので、気持ちを切り替える。
「では御意に」
そう、和やかに微笑む。
現在問題となっているのは、これまで何度も自分達を助け――並びに困らせてきた人物が自分を――いや、自分に“何故”事の真相を告げたのか、だと思っている。
「ええと、この際なんで一先ず成り行きは省いて聞きます」
何の際かは自分で言っておいて分からないが、謎の読者なる人物をやきもきさせない為にも、手っ取り早くいこう。
「はい。私の方はいつでも、とうに覚悟はできております」
ふム。
「――なら、単刀直入に、預言者様は今後、俺をどうしたいと思っているのかを、素直に教えてください」
「……仰りたいことは、お察しできます。さりとて、何故そのような発問を優先されるのかを先に弁解してはいただけませんでしょうか?」
やや不満を抱きつつも単純に興味がある、そんな表情で返事をする預言者の顔を普段と何ら変わらない心持ちで、机を間に挟む日常的な立ち位置から、いつも通りに見据える。
そして――。
「――……弁解?」
と常習的な受けで、見当がつかずに聞き返す。が、滅多に見せない困った様子で黙ってしまった。ので――。
「――さっきも言いましたが、理由はどうであれ、いまさら預言者様達を責めるつもりは全くないです。なんで、これからをどうするか考えた方がお互いのためになると」
「……達? それは誰の事を仰っているのでしょうか?」
ぁ、しまった。
「いや……、それは――」
――どうしよう。
と内心で慌てる自分を見る預言者の瞳が細まり、次いで何かを捉えた様に開かれて。
「なるほど。ヘレン、いえ二人の仕業ですか」
何で分かる。
「……ええと。悪気とか、そういうのではなくて二人は」
「理解しております。あの二人が私に逆らうなどとは思っておりません」
ム。
そして何かに思い当たったかのようにして――。
「――無論、私が二人の胸に仕掛けを施すなどもしておりませんので、ご安心ください」
ぁ、イヤ。
「それは、案じてません」
「……――では何を?」
「預言者様ではなくて、女神様の方を考えました」
できれば本人に直接問いただしたい。が、ここ数日は全く見掛けないし、一体どこで何をして。
「主は今、迫る女神杯の出し物を思案中です」
ム……。
「……思案って、このまえ聞かされた予定だと二日後ですよね……?」
「はい。女神杯の開催は二日後で変更はございません」
「間に合うんですか……?」
「命じられた事物に関しては既に準備を終えており、今はただ新たな御告げを待つのみとなっております」
ふ、ふム。
「具体的に何をするかは……?」
「主要な部分に関わる事は一切、極秘となっています。神の使いである私ですら同様に」
なるほど。
すると納得する自分を見ていた預言者の顔付きが物堅い感じに変わり――。
「――度々逸れましたが、この辺で本題に戻るといたしましょう」
ム。
「そ、そうですね」
ただ、その最後に。
「……最後に一つだけ、いいですか」
「ええ、何事でしょうか?」
「スミマセン。――ええと、預言者様は今回の女神杯に……どれくらい、関わる積もりなんですか……?」
「それは詰まるところ私が、如何な茶目っ気を出すかという質問でしょうか?」
「……まぁそうですね」
「なるほど。いつの間にか都度の期待を集める立場に立たされていましたか」
さんざん押してはイケない背を押しましたからね。




