第77話〔ここのところ駅前で留学をしていたもので〕⑨
どこから来て、どうやって連れて来たのかは、そっちのけ――。
「大変ご迷惑をおかけしました」
小馬が逃げた事と連れて来た自分達に謝罪と感謝を交ぜて深々と飼育員が頭を下げる。
「い、いえ、偶然見つけただけですから……」
と言うか恐らく逃げた原因は隣に居る神格者だと思う。
「フム。其の方が、このモノを育てたのかえ?」
すると、エ? と謝意を表していた飼育員が顔を上げる。
「はい、私共で飼育をしておりますが?」
「そうかえ。なかなかに良い飼養じゃ。じゃがの、時には普段とは違う場所を散歩させてやるがよい。いつも同じ所では、飽きてしまうからのぅ」
「はい……? ぁ。今後、検討してみます」
「ウむ。期待しておるぞよ」
一体なにの期待だろうか……。しかし。
――なんとか済んだし、猿を帰しに行ったタルナートさんと合流しよう。
「どうしたんですか、その恰好……」
先に到着した自分達から遅れること数分、落ち合う場所となった園内のパラソル型の日除けやベンチなどがある屋外休憩所に現れた紫がかった黒髪をゆるふわパーマにしたお忍びハリウッド女優、からコートを脱いで可愛らしいサルの絵や花柄が描かれた服に――。
「しょ、少々トラブルがありっ。あ、あんまっ……、見んといてください……」
――歴代うたのお姉さんみたいだな。
要約すると――猿を帰しに行ったら厚意で中を見せてもらえたが、何故か興奮した猿達に群がられ、着ていた物が台無しになった。と――。
「――……それは難儀でしたね」
屋外休憩所で白い丸形のカフェテーブルに座り、先刻買ってきたカフェラテを服装的に恥ずかしそうにして向かいの席でストローを使って飲む、ゆるふわパーマのお姉さんを見つつ述べる。
というか、だから遅かったのか。
一番近場だったのに変だなと思っていたが、見学をしていたのなら、納得だ。
「……――そんな訳で、急遽替えの服をと向こうが園内で販売している物をタダでくれたのですが……」
なるほど。と、うたのお姉さんが着ている様な衣装みたいな上の服に目を向ける。
「……じろじろと見んといてください」
こちらの視線に気づき、相手がカフェラテをテーブルに置いて気まずい感じで下を向く。
「スミマセン……」
――しかしながら目立つ。
これはさすがに、連れ立つのは気の毒だな……。
「一旦、戻りましょうか。それか後日に改めるとかのほうが」
次いで、え? と顔を上げるお姉さんと自分の横で、クリームソーダをご満悦していた聖女が勢いよく持っていたプラスチックの透明なドリンクカップを置く。
「マ、待たんかっ。ワレはまだまだ遊び足らんぞよ!」
「……けど、タルナートさん的にこのまま続けるのはちょっと。できれば後日、また時間を合わせて」
「――ならん! ワレは今日っ遊びたいんじゃッ! 神にとっての一分一秒は非常に貴重なんじゃぞ!」
人の子が過ごす時間なんて、欠伸の間に等しい。って言ってた気がするのだが。
「……――けど」
「そうです、このまま次の目的地に向かいましょう」
ム。
そして気恥ずかしくしていた面目を一新し自分を見据える相手に、顔を向ける。
「いいんですか?」
「はい。今日という日は、残された人生最初の日である。彼の、チャールズの言葉です」
誰でしょう。
「バイトリーダーであるワタシが嘘を吐き、朝から小一時間かけ変装をしてまで臨むこの時をたかが模様ごときに邪魔されたくはありません」
なるほど、やっぱり女優は非公式だったんですね。
「……――け、けど」
「よう言うたっタルちゃん!」
ダンッとテーブルを女騎士の両手の平で叩き、聖女が立ち上がる。
「――今宵は、朝焼けを見るまで飲み明かそうぞ!」
まだ西の空すら燃えていませんが。あと、アルコールを勧めるのもダメです。
と内心つっ込む自分を余所に、幼い愛称で呼ばれた方も腰を上げ――女騎士を見る。
「アリエル様の身体を借りている貴女と交わす酒など、一滴も飲みません」
と言うかは飲まないで。
「……なんじゃ、付き合いの悪い。融通の利かんヤツじゃのぉ」
ぶすっと頬を膨らませ、拗ねた子供の様に顔を逸らし長年生きる異世界の女神が言う。
「どう思っていただいても結構。文句があるのなら、自身を偽らず、ありのままの自分で他人と接してください」
若干ブーメランになっていますが。
とはいえ。――と自分も席を立つ。
「それは暴言じゃの。元来のワレに容姿となる容れ物など存在せん。評言を訂正せよ」
「そんなモノ、女神であるのなら、いくらでも作り出せると思いますが?」
「――興が乗らぬ。人の身は拝借するからこそ、面白味があるんじゃ」
「面白いかどうかで判断されたくはありませんね。特に、たかだかヒト一人を仕留めるのに小賢しい知恵を絞る、無能な存在には」
途端に、二人の間で亀裂が奔る錯覚を見る。
すると自分にも感じ取れる互いの緊張が場の空気を張り詰めていき――。
「無能とは言ってくれるのぅ。じゃがの、偽りなき己を見せよとあらばソナタはなに故、自己を上塗る? ――いんや、自己ではなく地毛と言ったほうが正しいかのぉ。そうした他者の目を欺く術を誰に教わり、いつまでも肌身放さずにいるつもりかえ?」
「こ……これは、――もはやワタシが編み出した有能です。外部の力を借りる事でしか自分を表現できない他力とは、別の扱いになります」
「じゃとしても、嘘偽りである事に変わりはあるまい。――だけでなく、ソナタは先ほど小賢しい知恵と申した、が真新しい情報でこのモノに敗北を喫したのはどこの誰じゃ?」
「あれは……。――祭りごとで、真の決着はつきません」
「政とて同じ事じゃ。敗けは、負けじゃ」
「……例えそうであったとしても、ワタシが試合で敗けた相手はアリエル様です。いつぞや、泣きべそをかいていたペテン師では絶対にありません」
「――よう言うた。であればその虚偽と批評する神の力を、篤と味わわせてやろう」
スっと腰に当てられていた女騎士の片手が下におろされ、聖女を取り巻く見えない何かが二人の傍らに居る自分の肌をチクチクと刺す。
……んーと。
「神の、力? それは言い間違いですね。正しくはアリエル様の、です」
次いでアニマルを胸のワンポイントに花の模様を施された服を着るお姉さんが前へと、出ようとしたところを――。
「――ストップしてください」
そして二人の顔が自分の方を向く。
「なんじゃ? まさかとは思うがヨウジよ。よもや此奴に手を貸す訳ではなかろうな?」
ム。
「洋治さんの手助けは不要です。この程度、ワタシ一人で追い立ててみせます」
「ホウ。やってみるがよい」
いや、そうではなくて。
「――喧嘩、なんかをするよりも先に、行くべき所があるんじゃないですか?」
と、尋ねた結果、二人が揃って表情を強張らせて言葉が詰まったような声を発する。
「今日は――、女神様はとことん遊ぶ。タルナートさんは休みを満喫する。のが目的ですよね? ――だとしたら、今すべき事を、優先しましょう」
言いながら、うたのお姉さんが居る方に上着を脱ぎつつ近づき。
「よかったら使ってください」
エ? と声を出す相手に、脱いだジャケットを差し出す。
「きっと適当な物が移動中か、移動先に売ってると思いますんで。それまではこれを」
と言うか、寒くはないのだろうか。――長袖ではあるが、明らかに薄そうだ。
「……洋治さんはどうするのですか?」
「俺は、移動中は車内ですし、基本的に温かいので」
エリアルドリンクは凄い。
「ですんで、必要なら気にせず使ってください」
「そ、そないですか。ほんなら一枚、お借りして……」
何故か頬を少し赤らめながら、前に出した上着がしずしずと受け取られる。
まぁ、そもそも一枚しかないけど。
「あ、あの……一つ、突飛した質問をしても、ええやろか……?」
ム――。
「――はい。どうぞ」
急になんだ?
「婚約届けを出すのに必要な書類は、戸籍謄本の方であってたやろか……?」
「ぇ? ぁー、ハイ。大体は……そうですね」
一体なにの質問だ。
「ほな……、明日取りに行ってくるわな」
――るん。と語尾につきそうな感じで。
イヤなんで。――というか、戸籍まであったんですね。
と、自分達に背を向けて軽く跳びながら先立つ相手を見て思う。
「……年増女のスキップは見ていてキツイのぅ」
年齢的な事でとやかく言うのは、基本NGだと思うのだが。――特に貴女は。
※
楽しそうにして跳ねる妹が振り返り、自分を呼ぶ。
父と母は嬉しそうに自分達の頭を撫でて笑い、自分も笑む。
――人形を前にして思う。
最後に三人と笑い合ったのは、いつだったろう。と。
そして目の前にある人の形をしたモノの中身は、いったい何処に行ったのだろう。と。




