第70話〔ここのところ駅前で留学をしていたもので〕②
ふぅ、疲れた……。
と思いながら後ろ手に扉を閉めて、自分の机に向かい腰を下ろす。
そして予想どおり休息する間もなく――。
「ヨウジどの、おかえりなさいです。遅かったのですね?」
――見ていた雑誌を机上に置き、対面する席から前のめりになって見栄えが整い始めた短髪の騎士が話し掛けてくる。
「はい……、ちょっといろいろありまして」
「ちょっといろいろですか……」
次いで何故か神妙な面持ちをして言う相手の、手元を窺う。
「……――ホリーさんは、何をしていたんですか?」
「ぇ? あ――ワタシはいつもどおり、ヒマをつぶしていました」
「……そうですか」
まぁいいか。
そう思い。序でにと――。
「ええと、ホリーさん」
そして魔導少女の方を見、聞ける覚醒ではないので。
「ハイ、なにですか?」
「明日の事で、ちょっとお話が」
――と、頼り甲斐のない相手にだけ、話を切り出す。
▼
「デ、デートですか……?」
引っ張られて傾いた姿勢を正した後、突然それを口にした相手を見直し、聞き返す。
そして不安げな顔をしていた女騎士姿の中身聖女が左右の腰に手を当てる若干怒った素振りで――。
「――そうじゃ。ソナタはまともなのをしたことがあるのかぇ?」
まともって。
「それはまぁ、一応……」
していた、とは思うのだが。
どこか不服そうな表情をした顔が、目の前に近付く。
「ソナタはあれが、デートだと思うておるのか?」
ち、近い……。
「……ち、違うんですか?」
「いんや。ちごうてはおらんよ」
ム……?
「しかしの。男ならもっと、計画性のあるプランでエスコートせぬか。毎回近場を散歩などと、無味乾燥すぎるわいっ」
なんかスミマセン。――って、待った。
「なんで、知ってるんですか?」
「ン? ――なにをじゃ?」
「デート……と言うか、近場を度々散策している事です……」
当然ながら両人だけが知っている事情。けれども今は――。
と思う自分を見つめる顔が思い出した様に突然にんまりと笑む。
――え?
「そうじゃった。そうじゃったのぉ」
突として笑みを浮かべた相手がそう言って、更に楽しげな様子で顔を引く。
「ヨウジよ。ソナタは随分、この鬼娘に弄ばれておるのぅ」
「……もて、――なんのことですか?」
「いやの、ワレは神であるが故に、望まずとも現し世の出来事は自然と収集可能なんじゃが。個々の事になると我がもとに来るまでは分からんのじゃ。まー来たところで我が眼鏡にかなうかは別じゃがの」
なんとなく、なるほど。と思う。
「しかしこの様に、完全に消滅する前の器には魂の持つ情報と相関した記録が残っておる。よって今のワレはこの者の全てを把握し、この者だけが隠し持つ記憶すらも知っておる」
そう言って聖女が再びニマっと笑む。
この様に、と言われて――待った。
「それって……つまり」
「ウム。日々の暮らしだけに止まらぬ、ソナタらの貴重な時間すらもガっ」
すかさず相手の口に手の平を当て、続く言葉を押し妨げる。
「……そういうのはヤめましょう。私生活を侵害するのはよくありません」
次いで当てた手が、相手の手によって下におろされる。
「――ワレが“自身の秘密”を守るかどうかはヨウジ、ソナタの対応次第じゃな」
ニヤリ、と女騎士の顔が笑みを浮かべる。
「……――どういうコトですか?」
すると扉の方に居た相手が部屋の奥へと歩み、預言者の机を前にして振り向く。
「どうせソナタの事じゃ、如何に変容しようとも態度は改めんじゃろ。そう思っての、ワレは最後に楽しむこととした。故にソナタの協力いかんによっては、ここまでの問題を解決し、神は再び床に就く――ってのは、どうじゃ?」
「……どうと聞かれても、そんなのは自分が勝手に決めていい事ではないと思いますし」
「いんやソナタが決めるコトじゃ。己で蒔いた種じゃからの」
蒔いた種? ――何のコトを。
「以前ソナタは、憶えはないと申した。しかしの、残っておる者にとっては深刻じゃ。其方を見ているだけでもの」
ム。――けれどそれは。
「どうしようもない、とまでは言いません。けど、何をしたって結局は中身のない空回りになるんじゃないですか? そんなコトをしたって何の意味も」
途端にピシっと何かに亀裂が生じる様な音が鳴り、――話すのを止める。
ム……?
そして戸惑う自分の前に立つ騎士の口が静かに、聖女の意思で開く。
「余計なコトは申すな。ソナタは神の命に従い、それを果たせばよい。そうすれば世の平穏は保たれ、一躍有名人じゃぞ?」
「……べつに有名にはなりたくないです」
というか絶対になりたくはない。
「ならば公表は控えるがよい」
そもそも予定がないです。
「……――それで、命に従えと言うのは、さっきのデートの件が、それですか?」
「先ず以てはの」
ふム、なるほど。――なら。
「分かりました。そうするコトで、ジャグネスさんは無事に戻ってくるんですね?」
「てっとり早く言えばの」
よし。――だったら。
「それなら提案があります」
と言うかは、お願い事だけど。と思いつつ、申してみよ。と言う相手に、考えを告げる。
▲
ゴトンゴトンと帰路を行く揺れる馬車の中で、隣に座るボサっと頭の魔導少女が頷く。
「……分かった」
そして何処か心許ない声が返り、少女の小さな手が二の腕の服を掴む。
ム。
「ええと、相手はお姉さん……と言うか、神様ですし――危なくはないと思います」
心配、もとい不安ではあるけれど。
「もし何かよくない状況にでもなったら直ぐ預言者様に連絡します。ので、その時は面倒しかないとは思いますが、宜しくお願いします」
次いで間を空けて頷く小さな顔と色深い緑色の瞳が、自分を見る。
「――うん。すぐ、行くから」
ふと重なる、姉妹の眼。
が不意に自身の腰にある鞄をガサゴソとあさりだし――。
「持って行って」
――魔法瓶の様な小さめの容器を取り出す。
「それは……?」
すると聞いた途端に何故かニヒルな笑みを浮かべる少女。
「これはエリアルドリンク、です」
最後の“です”が自分的に結構ツボだな。
***
陽が沈み終えた窓の外を眺める瞳に瞼が落ちる。
そして実感の乏しかった身体にも、ようやく魂が燈るのを認識して。
「……――久しく人の身を器としたが、依然として不便じゃのぅ」
目を見開き、傍に控える預言者の方を見て女神は告げる。
その言葉を受けて肯定の意を口で示し、再びフェッタは沈黙を貫く姿勢を見せる。
結果フムと声を発して再度窓の外に目を向ける女騎士の横顔を、見る相手と交代する形で、預言者が窺う。
「用があるから明日に持ち越そうなどと、なかなか可愛げがあるではないか。のう?」
そうして十分な応答は傍から得られなかったものの、聞いた側はそれでよしとして――。
「ではワレは明日に備えて眠るよって。ソナタの寝台を借りるぞよ」
――と部屋の奥にある壁の扉へ、入って行く。
*
受け取ったものの実際どのタイミングで使えばいいのか分からなかった頂き物。
それを手に取り――。
「ヨヨ、ヨ、ヨヨ、ヨウジっ」
同時に来た途端異世界の季節を着ているコートの上からガタガタと擦り付けるDJみたいになった相手を見て。
――エリアルドリンクの出番だ。




