第63話〔それは手厚くしといてください〕⑥
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以前、向こうに戻った際に序でと購入した白いカチューシャが地面にポトリと落ちる。
――擦れ違いざま、何も掴めなかった左の指先に当たり起きた結果。
それに目もくれず。
――ェ。
振り返り。倒れた彼女へ、手を伸ばす。
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いろいろあったが漸く仕事に戻れる。
そう思いつつ、開ける扉の陰から現れる部屋の大半を占領する魔導機具群。
ム。
機具自体は特に珍しい光景ではなかった――が、稼働しているのはここ最近では久しい。
というのも、少し前に没収されかけた事の背景に起因する持ち主の自粛が――。
――まぁいいか。とにかく入ろう。
あ、と思い。そして相手が、ん? といったような感じの表情をする。
と次いで、何故かエプロンと見慣れない眼鏡を掛けて試験管みたいな物を持っていた赤い少女が顔を合わせた自分に、おかえり。と普段通り小さな声で言った。
「ぁ、はい。ただいまです……」
先の件で部屋の中には自分達以外に誰もおらず。よって説明を求めれる相手が居ないので、静かに自分の席に向かい。
なんの実験だろう。
と、自机に置かれた機具の近くで白い液体が入ったフラスコを振る、魔導師を見る。
ヘタに声はかけないほうがいいかな……。
いつにも増して硬い面様で容器の中を見詰める少女の様子から、詳細は求めず、席に着く。と残っていた仕事に手を伸ばした矢先、小さな影が視界の端に入り。
ムっと振り向く。自分の前に、フラスコを持って佇む少女がいつの間にか居た。
「どうか、しましたか?」
しかし声と成って返る応答はなく。代わりに白の液体が入った膨らんだ胴部をもつ容器が自分に差し出される。
「……これは?」
「飲んで」
へ。
「こ、これをですか……?」
若干震える気持ちで恐る恐る相手が自分に出している入れ物を指差し、言う。と徐に、しかしハッキリと少女が頷く。
まじで。
「あ、あの、中身は……何ですか?」
が例によって、これと言った返事はなく。特に怪しげもない瞳で、ボサっと頭の少女が自分に目を向け続ける。
飲、飲むしかないのか……?
今一度そっとガラス越しに中を確認する。
なんだろう、牛乳みたいな色だけども……。
改めて見る乳白色の、生クリームに似た流動が意外に。
イヤけど、さすがに牛乳な訳ないだろうし……。
チラリと少女の様子を窺う。
飲むか……。
まぁ毒が入ってる訳もない。と、覚悟を決め。フラスコに手を伸ばして、円筒形の部分を持って――受け取る。そして――。
よし、ぐいっといこう。
――徐に口を容器に近付けたのち、勢いよく中の液体を喉に傾ける。
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「――なんじゃ、ナニが起きたのじゃ?」
少し背の高い草が生えた平原で横倒しになった後、仰向けになって目を閉じたまま動かない相手の様子を地面に両膝を突いて見る自分の斜め上から覗き込む形でフワフワと聖女が聞いてくる。
が答える間も無く、口角からは一筋の赤い血が流れ出て――その首には、一本の矢が横に突き刺さっていた。
なんとか――。
――どうやって。
離れていた者も含めて皆が周囲に集い、騒然とし始める中、咄嗟の判断で最後に来た魔導少女の方を見る。
「妹さ」
が既に腰の所有物を掻き回している姿に、言うのを止める。
と次の瞬間、自分の意思とは無関係に動き出す右手。
な――。
「――何をッ?」
直ぐに右側の聖女を見て告げる声が思いの外、上がる。
「慌てるでない。こういう時はの、迅速な対応が肝心なのじゃ」
そう言って、ゆっくりと自分の手が倒れている相手の首元にもっていかれる。
いや、けど――。
「――何をする、つもりですか?」
何と無しに嫌な感じがし、グッっと動かされる手を自由の利く腕の力や全身を突っ張ることで――少し、引き戻す。
ムム。結構、強い。
「これっナニをやっておるッ、一刻を争うと言っておろうが!」
次いで動かされる力が増す。
うおっ――。
「――なっ何を、するんですかっ?」
「じゃから、迅速に処置をじゃなっ」
ググッと更に全身の力を強める。
「――具体的にはっ」
途端、地面についている膝がズレ、グラっと上体が前へと傾く。
「矢を抜くのじゃ、早う抜かねば」
なっ。
ガシっと空いていた左の手で後方の地面――草を掴む。
「イキナリそんな――と、とにかくっ、自分達でなんとかしますっ。なんで女神様は下手に――手は出さないでくださいっ」
「なにを言うておる、出しとるのはワレのではなく、ソナタの手であろう」
イヤそういう理屈ではなくてっ。
すると一際強く体が前へと引かれ、指先が矢の軸に触れる。
――駄目だ。と、最初から直ぐ側に居た呆然と固まる騎士の方を見る。
「ホリーさん、手伝ってくださいっ」
次いでハッっと我に返る様子で周りを見――。
「――なっナニをすればよいのですかッ?」
と落ち着きはないものの、丸まった髪を揺らして相手が聞いてくる。
「腕を、一緒に引っ張ってくださいっ」
「わッ分かりましたっ」
そして騎士が自分の正面側に移動し掛ける。ので――。
「――そっちからではなくてっ、自分の方からですっっ」
「ぇ? ああ! ――わ、分かりましたッ」
状況を見て!
そう胸の内で必死に耐えながら叫ぶ、間に左側に来た騎士の髪がふぁさっと顔を覆う。
かゆっ。
「では引っ張ります!」
言われて、ガシっと掴まれる右の腕。と間髪を容れず、強烈な痛みがビキビキっと走る。
ィイイっダイッ!
「待っ――」
――腕がちぎれるっ!
が不意に、ふっと全身に加わっていた力が一斉に消え――。
おわっ!
――突っ張っていた体の勢いが余って背中から地面に倒れる。
結果、一体なにが。と解放された腕に残る痛みを擦りながら起き上がる自分の前で――。
ェ。
――雪の様にチラつく光の粒が、空に。
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ム。――これは。……牛乳?
しかもホットで、味・濃さ、共にこれまで飲んだ物の中で最高に美味い。
ただ。と容器を口から離し、手に持ったまま、少女を見る。
「なんかシャリシャリしますね?」
まるでフローズンされた飲み物の様な口当たりだ。なのに、イイ感じに暖かい。
すると目の前の少女がどこか誇らしげに、小さく頷き。
「名付けて――エリアルドリンク」
なんて自己主張の強い飲み物なんだ。
けど“空気”感のある食感は癖になる。
「これを、作ってたんですか?」
「うん、そう」
「……どうして?」
「あったまるから」
特別、寒くもないのだが。




