第60話〔それは手厚くしといてください〕③
「まじですか」
彼の医者に纏わる話を聞き、思わず口から驚きが飛び出る。
「マジです」
そして茶化す様子もなく事実だと答える預言者。が、ふいと自机に置かれた見覚えのある石に目を向ける。
というか結局、話を聞いてしまったな。
そう思い。それなりに困惑している自分を正そう、と思った矢先に――。
「グッモーニング! エブリワンッ」
――呼んではいないが、石の中から昨日と同じ修道女の様な外見をした聖女がスケートの回転ばりに芸術的な出現をする。も、直ぐに口元を手で押さえて俯き。
「ぅぐ、吐きそうじゃ……」
イヤなんでよっ。
「……――大丈夫ですか……?」
「ウ、ウム……。昨晩はちと呑み過ぎたのぅ」
「のみ過ぎたって……――そもそも、のめるんですか?」
「当然じゃ。ワレを幾つだと思うておるのじゃ」
無論、年齢の事ではないのだが。
「いや……ええと、何を――飲んだんですか……?」
「いやあの、残っとった分を全て空けてしもうたわ」
タハハ。とオッサン臭く、聖女が笑う。
……だから、何を。
「しかしじゃ。祝う時は惜しんではイカン、パーっとの」
「祝い……?」
「ウンム。ようやっと目の上のタンコブならぬ鬼が居なくなったでの、祝杯じゃ」
鬼……。――それって。
何故か胸の奥が引き締まる様にして、厳粛な気持ちになる。
「ン? なんじゃ、そんな小難しい顔をしてからに。――何か、あったのかえ?」
ム。
今、自分はどんな顔をしていたのだろう。と思うや、次いで直ぐに――。
「分かりません」
――自分でも、よく分からない返事をする」
「分からぬとな? 何故じゃ、我が事であろうに?」
「それは……」
そうなのだが。
すると悩む自分を見詰める聖女に、預言者が近寄る。
「主よ、まだ昨日の件にて受けた各自の動揺は処理し切れておりません。ゆえの、滞りではないかと、思われます」
「ン、そうなのかえ? ――何故じゃ?」
預言者を見たばかりの聖女の顔がこっちを向く。
何故と聞かれても……。――そんなのは。
「言っておくがの、消滅した訳ではないのだぞよ。あの者の魂なら、ほれ――ここに」
そう言って前で軽く掲げる手の平にキラキラと煌びやかに発光するピンポン玉ほどの球体と、その周りを回る小さな一粒の光が現れる。
おぉ……――。
「――……それは?」
「器に宿る前の姿じゃ。まあ魂と言うやつじゃな」
「誰の――」
――そんなのは分かりきっている。
「それを、どうするつもりですか?」
「ン? どうもせんよ。今のところはのう」
「……今のところ?」
「我が殊更なく。本来ならば起こり得ない成り行きの末、この魂はワレのもとに参ったのじゃ。今のところ、それで満足しておる。よって先の事など考えておらぬ」
「なら……いつごろ?」
「知らぬ。加護があるのじゃから、そのうちじゃろう……」
眠気を払うように目をこすって聖女が言う。と、預言者が再びフワフワと浮いている主に身を寄せ――。
「――主よ、その事なのですが。昨夜の話を覚えておいででしょうか?」
「ン、何のことじゃ?」
「はい。主が神の座を離れて幾何か、加護の力が弱まり、じきに失われる事となります」
「フム。それは難儀じゃの」
なんで他人事のように……。
「はい。ですので、このようなコトを申し上げるのは大変に心苦しくはありますが今一度、神の座にて加護の継続をして頂きたく懇願し、申し述べます」
「ウム。嫌じゃ」
――え。
あっさり、そしてすっぱりと断言する聖女の返答に思わず自分と共に場も静まる。
「ワレはまだ遊び足らぬ。何より、あそこは暇なんじゃ。よって断る」
「……し、しかしながら……」
と声にするも、そこから言葉は続かず、何かを言いたげにしたままゆっくりと預言者の口は閉ざされる。
ええと……。
口を挟んでもいいのだろうか。そう思うや、聖女がやや降下して預言者に顔を寄せる。
「案ずるでない。いずれは元の鞘に納まるモノ、急がば回れじゃ」
なんか微妙に意味合いが違う気もするが。――置いといて。
「その間に、死んだ人達はどうなるんですか?」
「ン、――どういうコトじゃ?」
「……死んで、その後は。加護がなければ蘇生しないのでは?」
「まあ、せん訳ではなかよ。ワレの加護はそういうもんじゃからの」
そういうって……。
「……どういうモノなんですか?」
今更だが、加護って何なんだ。
「優先順位があるのじゃよ」
「……優先、順位?」
「ウンム。ほれ、ソナタとて女子供が先という理念は知っておるじゃろ?」
「まぁそれは……、そうですね」
「であるなら、余は子を先とする。いかぬかえ?」
「いけないコトではないと思います」
「せやろ。そやから安心せい」
「……――け、けど、危惧するって事は、それだけでは済まないからでは?」
「そんなん知らん。人の考え方など、永き時を生きる神の根本とは違うからの」
それはそうかもしれない、けど……。
「……その順位って言うのは、いつかは皆が蘇るんですか?」
「魂の期限はソナタら人の概念で言うところの……――半年じゃな。過ぎれば消滅する」
「消滅……? ――したら、どうなるんですか?」
「消えて無くなるのじゃから、どうにもならんじゃろ?」
「どうにもって……」
「まあ増えてくれば間引き、整える事も必要じゃからのう。――それよか」
「待っ、待ってください。間引くって、そんな気楽に決めていい事では」
「ン、何故じゃ?」
然も不可解だと言わんばかりの面持ちで聖女が聞き返してくる。
「何故って……、それで蘇ることが出来なかった人達は――どうなるんですか?」
「そら消滅するじゃろうな。何ぞ、問題があるんかえ?」
「勿論あります。第一蘇ることが出来なかった人の――その家族や身内は、どうするんですか?」
「……ソナタは、何が言いたいんじゃ? その様な事、神の知った事かえ?」
「関係なくはないと思います。女神様は、この世界を所有――管理しているのではないんですか?」
「ウム、しておるよ。世界を統制する事はワレが望むべく趣味じゃ」
趣味……。
「……だったら」
「むやみやたらに増やして、どうする?」
突として表情を無くし修道女の様に頭巾を被る聖女が感情の無い朧気な口調で告げる。
ム。
「ヒトは唯でさえ増加傾向に傾き易くある。調整しなければ、瞬く間に世の均衡は乱れて諍いが絶えぬ。――ソナタの居た世界こそ、まさにそうであろう?」
「それは……」
「――よって線引きは不変の平和を維持する上で肝要なのじゃ。柔軟な思考で求めてみよ、生きる事を造作なく仕上げる世界が何故、平安であるかを」
ムム。
――確かに、そうだ。普通に考えれば、死なない。事が、そもそも異常だ。
けど、それなら。
「ならどうして、加護があるんですか?」
途端に相手の眉がピクリと動く。
「調節が必要だと言い張るなら、最初から手を加えずにいれば余計な不安を解消する手間も省けたはずです。それなのに加護が必要だと言うなら、それは女神様の自主的な意思によるものです。だから責任を担うのは、当然の事です」
次いで言い切った自分を見る険しい眼差し、と部屋に巻き起こる怒りの渦が段階を経て荒々しく聖女を中心に体現する。
ぐ……。
幻覚だと知っていて尚、引き摺り込まれそうになる感覚は以前と変わらず確かな実感。
そして深刻な瞳が不意にニコリと笑い、渦状の怒りが跡形もなく消失する。
ム……?
「よい、許そう」
一転して顔をほころばせ、聖女が告げる。
「……――え?」
「今は、ソナタとて辛かろう。よって不問に処す」
「……ツラい?」
「敢えて口に出さずとも、その胸中は察しておる。故に今日のところは返答も保留。この魂の処理も後日に言い渡すよって、安心せい」
そう言う聖女の手の上で浮かんでいた煌びやかな球がスゥーっと半透明になったのちに消えていく。
あ――。
が次の瞬間、再びポンと輝く球体が現れ。
「心配せんでもよかよ?」
――若干、遊んでるな。




