第59話〔それは手厚くしといてください〕②
「ソナタらはどこに目をつけておる」
一人加わっても尚見つからない有り様に、自分のそばで傍観していた聖女がフヨフヨと告げる。
というか、何が――。
「――あの、そもそも」
質問を仕掛けた矢先、聖女が自分の右側にスィーっと回り込む。そして――。
ぇ。お、おお?
――意思とは無関係に右の手が腕ごと前へ引っ張られ、傾く体勢――顔面が毛深い密林に進み入る。
「どわっ! ななっなんですかッッ?」
ァちょっ――かゆいっ。
するとガシッと、前にある手が硬くひんやりとした――鎧の様な物を掴む。
ム――かゆっ。
「メッ女神様っ? 一体なにをっ」
「どわワッ! ヨウジどのっワタシにいったい何をっッ?」
ああ、もうややこしい!
思わず自由の利く左の手で、目の前の派手に丸まった毛林を掻き退ける。
キラッ――と毛の隔てにできた僅かな隙間、その奥で――何かが光る。
ん? 今のは。
と同時に近くで人の気配を感じ。
「……なに、やってんの?」
こ、この声は――鈴木さん。
「て言うかダメ騎士、アンタ尻が見えてるわよ」
そして少女の声がする方を見ようとした矢先に頭髪が目の前から居なくなり。
ェ?
「えっ――ド、ドコですかっッ?」
突然、金属の板越しに肩らしき部分を掴まされていた腕が勢いよくグイと引かれる。
そうして体勢を崩し、横に流れる視界で女騎士と擦れ違う。
と次の瞬間、白い髪留めが――宙を舞った。
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「ところで、女神様は自分に何の用事が?」
部屋に向かう道すがら黙って歩くのもアレなので、何気なしに聞いてみる。
すると何かを確認するみたいな眼で預言者が自分に目をくれ――直ぐに正面へと視線を戻す。そしてそのまま歩みを止めることもなく。
「あれから日が一週し、本日が取り決めの日となります」
取り決めの日……。
「よもや――お忘れで?」
あ、っと思い当たる。
「今――思い出しました」
「……そうですか」
ただ結局、何の話をするのかは分からない。
「用件、と言うか――女神様は自分に、何の話が?」
「それは――私などが知り得てよい事ではありません。無論、深入りも従者としての領分に反します。ゆえに、お察しください」
「……分かりました。スミマセン、余計な事を聞いたみたいで……」
「いえいえ、ご理解さえしていただければ、よいのです」
ふ、ふム。
「――ちなみに、預言者様の事について質問するのは、ありですか?」
「おや。と、言いますと?」
「まぁちょっとした身の上話と言うか、預言者様の生い立ちです。当然、最初から預言者をしていた訳ではありませんよね?」
「……――ええ、それは瞭然として。明瞭な経緯を経て、受け継いでおります」
「なら先代は身内の――親ですか?」
「いえ、正確には先代は私の祖母です」
「祖母? なら、預言者様の親は預言者にはならなかったんですか?」
「いいえ、なりましたよ。しかしながら早々に不手際な応対をし、失脚いたしました。それ故、再び祖母の代に戻り、のちに私が引き継いだのです」
「……なるほど。それでその、失脚――した後は……?」
途端に前を歩いていた預言者がピタリと止まり。危うくブツかりそうになる。
っと、と――。
「――……預言者様?」
「後などは御座いません」
ム。
「後がない? ――と言うのは?」
「預言者に将来などはありません。預言者となる為に生まれて、預言者としての最期を迎えるのみです。――後先など、言うにも及びません」
そう、自分の肩上にも満たない小柄な後ろ姿が押しても動きそうにない存在感と頑なな声色で、告げる。
「……――預言者としての、務め?」
すると小さな背がくるりと振り向き、和やかになって。
「私の話はこれにて。あるいは洋治さまが、今夜一晩を私の寝室にて過ごすと言うのであれば、過去などと古い縛りに囚われずとも二人の未来を腰を据えて語り合う事もできますが――如何なさいますか?」
細く綺麗な人差し指を自身の頬で艶めかしく滑らせて、口角に添える。そんな時代を感じさせる仕草も女性の魅力が加われば十二分に現代を生き延びるのかもしれない。
ただ――。
「折角ですけど、遠慮しておきます」
――閑談だけして帰れそうになさそうなので、断っておこう。
次いで、あら。と、残念そうに相手が声を発する。
引き続き、目的となる事柄が待つ部屋に向かって歩く。その到着する間近――。
「――洋治さまは、過日の話をどの程度、思い出されたのでしょうか?」
ム。
「ええと、女神様が――。――女神様の、準備が整ったって事ですよね?」
「仰るとおりです。あの日、我が主が洋治さまとした約束を果たされるのです」
あの日の約束……。
それは、応えになるかも分からない。不確かな――。
▽
「いつ蘇生するか分からない? それは……どういう意味ですか?」
一夜が明けて、馬車を降りた所まで迎えに来ていた預言者の指示通り一人で部屋を訪れた自分に告げる相手の一言を聞き返す。
と白のローブを着る預言者が自机の前で、いつもの様に少し伏し目がちにして。
「理由までを私が口にする事は適いません。されど昨夜の内に、そうした流れに身を置くものと憶測いたしました。ゆえに先んじて、ご報告を」
報告って。
「そんな事を説明もなく、言われても……」
「混乱を招く事は百も承知の上。それ故、洋治さまにのみ、告げているのです」
ム……――。
「――どういう、事ですか?」
「この話は、此度の一件だけに関わる話ではありません。今後の成り行きを、示唆しております」
「今後の、成り行き……」
そして偶然にも過去の記憶に思いが行き当たる。
「もしかしてそれは、以前クーアさんが言っていたコトと何か、関係が……?」
「……――あの者がなんと申していたのかまでは推測し兼ねますが」
なんだろう、なんかイヤそうだな。
「少なくとも伝言板すら、洋治さまのご様子を見る限り、真面には果たせていないみたいですねェ。真に役に立たぬ咎人です」
そもそも人であって、板ではないのだが。――ただそれよりも。
「とがびと……? クーアさんのことですか?」
ええ。と相手が頷く。
「それはどういう……」
「文字通りの称呼です。あの者はベィビアにおいて最も罪深き反逆の徒、今も尚ただ女神の慈悲により生かされ続ける――咎人です。だというのに、当人は少々自覚の足りない」
「ちょッ、ちょっと待ってくださいっ」
色々さらっと言い過ぎ。
「おや、要らぬ事を口にしましたか?」
「いや……ええと、要らぬ事と言うか――何のコトを言ってるのか、さっぱりです」
「それは致し方ありません。彼の話は知る者ぞ非常に少ない、かいつまんで言えば今や私だけが知っている個人の秘密なのですから」
「……――それを、なんで自分に……?」
「まだ詳細は話しておりません。――興味がおありでしょうか?」
興味……。
「……それって、さっきの話と関係ありますか?」
「全くございません」
「……――要するに、預言者様が話したいだけってコトですか?」
「そうは思っておりません」
「なら、自分は別に……」
こういう流れでされる話は大抵、下手に聞いて得が無い。
「しかしながら今聞くと、抽選でもれなく一名に私の淹れた紅茶を送付いたしますよ?」
いや抽選する意味っ! あと送付ッ?
「……――丁重に、お断りします……」
「おや……、洋治さまは私の淹れた物など飲めない。と、そう仰るのですね……?」
「仰ってません」
「では今夜あたり私の部屋に」
「行きません」
「おや、付き合い悪いですね?」
自分はそうは思えません。




