第58話〔それは手厚くしといてください〕①
一吹きの風が顔にあたって左右に分かれる。
遠くに見える山を越え、草原を抜けて町並みを通り――過ぎ去ったのだろうか。
そんなことを、なんとなしに思いながら今年の夏に知ってから時々訪れている城の上階にあるテラスで独り呆けた時を過ごしていると、編んで一括りにした薄い緑色の髪を肩から前に垂らす白いローブをフードは被らずに着た預言者が、やって来る。
「こちらに居ましたか。部屋には不在でしたので、二人の推測から石の力も使い、やって参りました」
ム。――それは要するに、二人が当てにならなかった。という意味だろうか。
ただそれよりも。
「……今って、何時ですか?」
「私ふうの言い方で言えば、あとほんの少しで――おやつ刻、でしょうか?」
なぬ。――そんなに経ってたのか。
「すみません……。ちょっと、休憩するつもりだったんですけど……」
「いえいえ、そのような事を責めたくて足を運んだのではございませんよ」
「そう……ですか。なら――用件は……?」
「女神様が洋治さまを呼んでおられます。急ぎ私の部屋へ、共に来ていただけますか?」
「分かりました。それなら直ぐに」
すっと手摺から体を離し、預言者の側へと歩み寄る。
「行きましょう」
ええ。と相手が頷く。――が、なかなか動き出そうとしない。ので――。
「――どうかしましたか?」
「……――それは、私の事をさして、言っておられるのでしょうか?」
ム。
「勿論ですけど……」
「……――ならば、よいのですが」
そう言って自分に背を向ける相手が、ゆっくりと歩き出し――。
「なんで、そんなコトを聞いたんですか?」
――ぴたっと後ろを向いたまま、足を止める。
「私には、洋治さま自身に向けられた言葉の様に思えたからです」
「それは……、――杞憂ですよ。今のところは、そんなにです」
「だとよいのですが」
そして再び歩き始める預言者から、ふと今し方まで自分が居た場所に目を向ける。
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キラリと視界の奥で何かが光った。
「ヨウジどの、なにを見ているのですか?」
不意に、視界の奥で輝いた何かが気になり若干目を凝らしていた自分に、丸まった髪が先の流れ弾でブワッと横から膨らみ波の様に寄ってしまった騎士が声を掛けてくる。
「ええと――」
――気の所為。だろうと、来た騎士の方を向く。
「なんでもないです。きっと見間違いです」
「見間違いですか?」
「はい。見間違いや勘違いは、誰にでもある事です」
実際についさっき、一つの思い違いを正したところだし。
けれども念の為に確認だけはしておこう。と、話は終わっていたが確かめる前に光りに気を取られ出来なかった皆の認識を知ることとする。
「ところで、ホリーさんはさっきの話、どう解釈しましたか?」
「さっきの話? アリエル騎士団長が無駄な殺生を控えていた。という話の事ですか?」
「まぁ、そうですね」
次いでフムフムと相手が頷く。
「実を言うと、ワタシは共感しています」
「……共感?」
「はい、共感です。――と言っても、ワタシの場合は容易く行なえないのが主な事情にはなりますけど。でも――ヨウジどのの前で殺したくないのは、共感です」
ふム。
「確かにそういうのは、見るのもするのも――させるのも、極力控えめであってほしいとは思っています。けど、身の上を一番に、優先すべきと思っています。から、仕方のない事をとやかく言うつもりはないです」
と、先刻と同じ事を口にする。
「はい、それは分かってます。分かってますけど、したくはないのですよ」
「どうしてですか?」
「ぇ? ――そんなの、ワタシがヨウジどのを好きだからに決まってるではないですか」
ふぇ。と、考えていた事が白紙になり、ポカンと思考が停止する。
「え、ええと……」
……――行き成り何。
「もちろんヨウジどののコトが好きなのは、ワタシだけではありませんけどね」
ぁぁ――そういうコトか。
「……それはその、好意を持たれるのは嬉しいです……けど、自身の事は他より先に、してくださいね」
「ヨウジどのがそれを言いますかぁ?」
若干こっちを茶化す様子で、相手が言う。
ムム。――それは。
すると近くで妹と話を聞いていた女騎士が、そばに来て――。
何故か目の前の騎士が僅かに肩をびくっと振るわせる。
「――ヨウ、お話の途中ではありますが、一つ提案があります」
「……提案? どうしたんですか、急に」
「はい。それが……、ここに来てからずっと違和感が消えません」
ム――。
「――違和感、ですか? それはどんな」
「言葉で、説明するのは難しいのですが……。本来、其処にあるべきモノがない。その様な感覚を覚えます」
ふム……。――結論から言って、自分には分からない。が。
「ちなみに提案と言うのは?」
「村の方へと離れ、場所を変えます。ここに居ては違和感が付き纏い、落ち着きません。それに、エリアルを休ませたくもあります」
ム。
「妹さんに、何か?」
言いつつ少し離れた場所で、いつも通り、ぼけっと立っているボサっと頭の魔導少女をチラリと見る。
「どうも、大量の魔力を消費したみたいで。純粋に疲れがある様子です」
なるほど。
「――分かりました。村の方に戻って、休憩しましょう」
「はい。ありがとうございます」
優しく微笑み、相手が礼を言う。とその際に揺れた前髪を見て、違和感に気付く。
「あれ、髪――切りましたか?」
「ぇ? ハッ、ここ――これはっ」
見るからに慌てた素振りで、バッと相手が前髪を両手で隠す。
ム……?
「っ――こ、これはっ不注意と言いますかっ。来る途中に大火で煽られ、止むを得ずっ」
また例えが独特だな。けど――。
「――全く、変とかではないですよ? 目に入ったので、気になっただけです」
「そ、そうなの……でしょうか?」
「はい。そうなんです」
不安げに聞いてくる相手に、釈然と答える。
と視界の端にふぁさっと丸まって半分が捲れ上がった頭髪が入ってくる。
「ヨウジどのの言うとおりですよ、アリエル騎士団長。ほら――見てください、このどうしようもなくなった頭を、もう手の施しようがありませんよ」
アハハ。と、言った本人だけがウケて笑う。
あと若干前が見えづらい。
「……――二人は、じゃなくて、ホリーさんはどうして、その髪型に……?」
「ぇ。言いませんでしたか?」
「何も聞いてません」
「それならぁ。――起きたら、こうなってました」
そんなバカな。
「……目覚める前の、記憶は?」
というか、なんで寝てたんだ。
「目覚める前の記憶……。んー――」
――そして胸の前で腕を組み、考え込む騎士。が自身の手の平をポンと叩く。
「なにやら熱に、うなされるような、アツいおもいをした薄らな記憶が残っています」
あの後、一体なにがあったというのだろうか。
「……それはまた、過酷ですね」
しかし答えになっていない。
「熱と言うのは」
「大陸じゃな」
次いで横から現れた聖女が、どこで知ったのか、聞き覚えのある背景音楽を口遊む。
「それは……」
情熱――ではなくて。
「……今まで、どこに居たんですか?」
とフワつく相手を見る。
「ウンム。それよか鬼娘よ。――なんのつもりじゃ?」
直ぐに女騎士からエと声が発せられる。
「何の事でしょう……?」
「何の事じゃと? ソナタは神であるワレの前で刃を携える事に疑問を抱かぬのかえ?」
「も――申し訳ありませんっ」
そして、慌てた様子で、腰に下がっていた剣が光の球となって腕輪に消えていく。
「大変な失礼を致しました」
深々と女騎士の頭が聖女に下げられる。
「次からも気を付けるのだぞよ。――して、鬼娘よ。ソナタ、肩に何かついておるみたいじゃの。取らんのかえ?」
「ぇ? ど、どこでしょうっ?」
周囲を見回す様に、女騎士が自身の肩に左右目を向ける。
が特にそれらしい物が見当たらないのか、なかなか結果を見出せず。
ム? ――と近づきかけた矢先に。
「アリエル騎士団長、よければジブンが代わりに見ます」
視界にもじゃっと顔がふぁさっと毛髪によって覆い塞がれる。
――ジャマだな。あとかゆい。




