第56話〔差し当たって これは事故なのだろうか?〕⑰
「じゃ、わたしも行ってくるわ」
破壊の跡が続く家並みの先、野原があるという方角を向いて少女は告げる。
「ぇ、……どこに?」
気絶したあと、なかなか意識の戻らないコボルトを背負い立ち上がった村娘がやや事情がのみ込めない様子で――聞き返す。
「そんなの、水内さんの所に決まってるでしょ」
前を向いたまま、いつもの揺るがない口調で少女が言う。
と、それにより僅かに口がまごつき。心の動揺を顔で示しながら――。
「――……ナ、ナゼ?」
今となっては出向く必要もなくなった。ただ危険が増す行為に、マイラの疑問が投げかけられる。
「そんなの、好きだからに決まってるでしょ。――……ま、今回はそれを確かめに行くって理由も、あるけどね」
「確かめに……行く?」
そして少女が軽く手を挙げる。
「てワケだから、そのへんの物は適当に拾っといて」
そう言い残して、テッテッテッっと少女は走り出す。
次いで、それを見送るマイラの背後で物音がし、振り返る視界にマントの様な布が、建物の陰に隠れ――消える。
*
勢い余って不意につんのめりそうになる体を立て直し――只管、前だけを見て地面を強く踏む。が幾度も足下が揺れ、度々転びかける視界に。
さ、柵っ?
高さ的に跳び越えれる度合い――しかし。
じ、自信が――って、迷ってる場合じゃ、ないッ。
ダンッと地を蹴り、出来る限りまで、脚を上に持っていく。
ぉ、おー……――ぬわッ。
着地を忘れてコケる。
――が直ぐに立ち上がり。
よし、越えれ……た?
――そして果てなく続く草原を前に、立ち止まる。
え……――ど、何処に……?
身を潜める物陰すらもない。
と次の瞬間、地鳴りの様に付き纏っていた振動が背後で破壊音と共に細かい砂を撒き散らし――何かの残骸が、ブワッと風を集めて横を通り過ぎる。
それは目の前の草っ原に落ち――。
……柵?
――後ろで、ブモモ。と、低い唸り声が立つ。
マ、マズい……。
眼前にある緑の地面に映る人を形作った黒い影。――その腕が、地表で繋がる反対側にて、先へと上がる。
ウゴケ。
足にグっと力を入れる。と同時に、上がった影が動き出す。
***
騒々しく目標を追うトロール。そして、その先に見える草原。
――此度の騒動、全ては其処へと導くため、神が知力を振り絞り立てた予定の筋道。
その道理を走る、その姿に、女神はゾクゾクと想いを高ぶらせる。
と、何の脈絡もなく目を向けた地上の一端。そこを駆け走る獣を見つけ、神はゆっくりと降下した。
「其方の準備は万端かえ?」
出現と同時に問う。不意に現れた女神の御前、四つ足で地表を削るように急停止を行なう獣が勢いを逃がし切る前に羽織る傷んだマントの端を踏み、ぐるぐると巻かれて素っ転んだのち――浮いている神の足下で動きを止める。
「……――ナニをやっておるのじゃ?」
すると呼び掛けに応答してモソっと動きを見せる布の下から、眉間に古傷のある獣が顔を出し――。
「イイモノ、ヒロタ!」
――次いで自身に巻き付いたマントを解きつつ、古傷のコボルトが二足で立ち上がる。
「ホウ。それは――どこじゃ?」
相手をじっと見つめて女神が問う。と、その問い掛けに答える為、毛に覆われた背中に手を伸ばす獣人が何も無い空をスカっと掴み――驚く。
そして慌てて後ろを振り返る獣の目に、少し離れた地上に落ちた弓銃が、飛び込み。
急ぎ戻って、帰って来る――コボルトが、拾ってきた物を女神の前で掲げる。
「ミロ!」
「――フム、なんとも込み入った形状じゃの。使えるのかえ?」
「マカセロ!」
ぴょんぴょんと跳ね、コボルトが答える。
ふと、どこぞかで見た憶えが女神の頭を薄ら傾かせる。が、直ぐにそんなコトはどうでもよくなり――。
「――ほんなら、ワレらも急いで合流するとしようかのぉ」
「ナラハシル!」
そう言って弓銃をマントの止め紐に差し込んで背負う獣が、再び四足で走り出す。のを目で追う、女神はニヤリと笑む。
くっくっく、もうすぐ、間もなく目に物見せてやるからのぅ。――鬼娘よ。
*
一瞬の内に過ぎ去る一線の影が、緑の地表に映ったデカい影を横から両断する。
と、ズズンと後ろ側へ倒れるトロールの衝撃で足を取られ片膝を突いた自分に目の前で着地した相手が安堵の表情を浮かべて、その細くて長い綺麗な指――手を差し伸ばし、掴むと――微笑む。
「ありがとうございます。いつもながら、助かりました」
次いで手を引かれつつ、立ち上がる。
「えっと、怪我などは……?」
心配そうに自分の体を見て眼を動かす相手が何処か恐々と聞いてくる。
「大丈夫です。おかげさまで、今回は無事みたいです」
さっきコケたので若干肘がヒリヒリはするけど。――まぁ問題ない。
「そう、ですか。それは本当に、よかったです」
ホっと息を吐きながら胸を撫で下ろし、目の前の女騎士が一段と表情を和らげる。
ふム。
「――ジャグネスさんは、どうしてここに?」
「ぇ? ぁ。わっ私は、預言者様の命を受けて、参りました」
まぁそれに関しては容易に想像も納得もできるのだが――。
「――……ええと、どうやって……?」
「途中から走ってきました。直に連れ立った部下も、この村に到着するかと思います」
「……そうですか」
相も変わらず、規格外な人だな。
「ヨウは、何故この様な場所に?」
ム。
「ええとですね」
そういえば、何処に行ったんだ? ――ム?
不意にちらりと、視界の端に雪の様な粒が見え――後ろを振り返る。
おぉ。
其処に、光の粒と成って上へと――空に消えてゆく、トロールの亡き後が。
なんか凄い。
元の体格がデカいからか、吸い込まれるように昇るその光景は、まるで輝く滝に蛍が舞う観賞の――。
――あ、終わった。
もう少し観ていたかった気もするが。と、振り返って見ていた顔の位置を元に戻す。
「すみません。見入ってしまいました」
すると不思議そうに相手が首をちょっと傾ける。
「見入る? 何故でしょう?」
「向こうでは今みたいなのを見る機会が、無いので」
「それは――何故、でしょう?」
ぇ? と驚く。が直ぐに、そうか。と思い当たる。
「死んだら、消えないんです。向こうでは」
「そう、なのですか……。それでは、どうなるのでしょう?」
「どうにもなりません。そのまま、です」
「……そのまま」
想像が及ばない。そんな表情で、相手が軽く顔を伏せる。
ふム――。
「――まぁ、それはさておき、皆の所に」
ん、待てよ。なにか、大事な事を……――あ。ああ――。
「――ジャッ、ジャグネスさんっ」
思わず声に力が入り。必然的に、相手が驚きの顔をする。
「な、何――で、しょう……?」
「トロールは、どうなりましたかっ?」
「ぇ? それなら先ほど――私が」
「いや、さっきのではなくて。向こうの」
途端にぐんと繋いだまま離さずにいた手が引かれて、女騎士の方へと体が引き寄せられる。と直ぐ側で金属音が小さく鳴り。足元に――。
……矢?
――幹の折れ曲がった矢の様な物が落ちてくる。
そして静かに体と手を離し、立ち位置を変える女騎士が――自分の前で、片手に持っていた剣を構える。




