第53話〔差し当たって これは事故なのだろうか?〕⑭
***
中途半端に掘った穴の中、まるでオットセイのように腹を底につけて背を反らすホリは隠しきれない足側と顔をくぼみから出し、地平線で燃え広がる大火の輝きと熱を顔面で感じていた。
ぁ熱いっ。
そう思うホリの頬を遥か先の地上を焦がす爆炎の熱気を帯びた風がジュゥと焼く。
ァッっ熱ッい!
押し寄せる熱の波に思わず穴の中に顔を隠そうとした為、代わりにさらされる脚部とその上にある臀部。
結果――。
どわッぁケツがっ! ジャわ顔がッ!
――穴から出たり引いたりする振り子となった末、ホリは出来る限り身を丸めて場をしのぐことにした。
が辺りに充満する熱からは逃げるすべはなく。ボウと薄れゆく意識に連れていかれる様に火を見る前の記憶がホリの脳裏にぼんやりと映し出される。
▼
自らの剣をシャベル代わりにして掘った穴の具合を見、ウンと頷いて再び手を動かそうとしたホリは意図せず剣先で跳ね飛ばし転がった小石の先で――その姿を視界に収める。
結果、目を向ける対象を転じたホリは凄まじい魔力を杖の先に留めている魔導師――とその向こうに見える凶暴な群れを見て、再三となるがゾッとした。
それを一時的に止まった手を再度、突き動かす。
が作業を継続するホリは、ふと不思議に思った。
本来なら動揺の渦中にいて気持ちが混乱しないというのは、これまでの経験上、あるはずのない事象。しかし今回ばかりはの心情で挑んだゆえの現象だと、自身を納得させていた。
しかし何かが“変”だと、ホリは思った。
それは普段の自分では考えられないほどに落ち着いているコトと、何か関係があるのかもしれない。という思いつきから手を止めて、向こうを見ようとした黄色い髪が揃った騎士の目に――轟々と唸る炎の始動が映る。
とありとあらゆる身体の機能がホリに飛び込めと命じた。
▲
薄れゆく意識の中に今へと至る過去を見たホリ。
次いで、その虚ろな瞳が脳裏にぼんやりと現れた老人を見て――。
あ、お爺ちゃん。
――出会った喜びに震える。が――。
でもワタシ、お爺ちゃんとか見たコトすらないので分からないですよ?
――その姿は直ぐに消えていった。
*
揺れが次第に収まる。
と背を預けていた家屋から自立して、周囲の様子を確認する。
――……とりあえず、危険な感じはなさそう……?
隣で身を竦めている村娘も含め、辺りに特別な変化がないことを確かめた上で判断する。
そして、それにしても今のは一体。と、今はもう消えた光りの放たれた方角を見――。
――なんか、ちょっと熱かった気もするけど……。――ム、まてよ。
次いで、確かあっちは。そう思った瞬間、同時に自分達が置かれている状況を思い出す。
それによって直ぐさま無防備だった体を再び後ろの建物に押し付ける勢いで潜め――。
迂闊だった。
――そっと、建家の角からトロールを窺う。と――。
ム? バレてない……?
――緑の体表に覆われた大きな存在は変わらず其処に居た。が、そのデカい顔は自分達とは全く別の方を向いていて、極端に捉えるなら村にすら関心を持ってなさそうな、その色の濃い瞳孔は――。
マズい。
「――マイラさんは、ここから絶対に動かないでください」
「ぇ?」
そのまま、聞き返そうとしたであろう相手を無視し、身を隠す民家の裏から大きな影が伸びる表の道へと――飛び出す。
正直言われるまでもなく、分かっている。
他人にはくどくど言う癖に、自分の事となるとからきし守れない。
だから人は誰かに見守られている。そうしないと、絶対に破らないと約束した事でさえ、目の前で起きる事情にホゴされてしまうから。
だとしたら今の、この状況は誰が見たって最悪だ。
絶対に見られたくない。
――そう思う自分と、猿の様な豚の様な顔の目が合う。
きっと怒るだろう。いや、絶対に怒る。だから――。
――見られたくない。
目の前で大きな拳がゆっくりと振り上げられる。
しかしよくこんなのと戦えるな。逃げ回るのだって凄い。まぁ自分が言っても説得力とかはないだろうけど。とにかく凄い。というか――。
――なんでこんなに緩やかなんだ?
ピクリと動く、天を突くように上がった拳を見て――思う。
が次の瞬間、意識だけが前を向く感覚の世界がパッと消え。手を上げたまま振り返るデカい存在と一緒に、音のした方を見る。
と、なんで――鈴木さん。
***
コツンと杖の先が穴の中で丸まり意識を失っているホリの頭部を小突く。
しかし気を失くしてからそれほど経っていないのもあり、気付く様子のない感じから再度先端が騎士の頭を二度叩く。
それにより、体の向きがゴロンと変わり。
「ぅーん。ヨウジどの、それは馬面病ではなくて、なで肩のトラ餅ですよ……むにゃ」
次いで――。
「っどぅギュわヤッ!」
――眠りこけていた顔面に石の球がついた杖の上部が叩き付けられ、衝撃でホリの四肢が跳ね上がる。と――。
「なっ、なにゴトですガッッ」
――飛び起きる騎士の顔を再び杖の上部が横殴る。
「ぐはっグ。――い、今のは……?」
そうしてようやく気をハッキリさせたホリの目に、穴の外――上から自身を見下ろす赤い外套を羽織った少女の姿が留まる。
「……エリアル導師?」
意識は戻ったものの、今一状況を把握しきれない口から出る不安の声。
それを興味の持たない眼で見る小さな魔導師――が手に持った杖先を地に立て。
「連れて行け」
徐に言い放つ。
「連れてく……? どこですか?」
「ヨウの所だ」
「ヨウジどのの……所?」
相手の言おうとする意味が掴めず、未だ穴の中でペタリと座り込んでいる騎士が手を首に添えて傾げる――も、突として記憶が今の自分に追い付き。
慌てて、穴の縁を掴み――向こうの様子へ顔を覗かせる。が――。
「あれ、れ?」
――其処にホリの危惧した光景はなかった。
ただ代わりに、青々と広がっていた草原の果てに濛々と黒煙が空高くわき上がっていた。
「……――終わったのですか……?」
恐る恐る、穴の上に居る赤い魔導師の方を見、ホリは結果がどうなったのかを尋ねる。
すると少女の首が横に振るわれて。
「まだだ。急ぐ、早くしろ」
「ぇ、――まだ? でっでも」
穴から完全に顔を出し、再び燃焼した地平の空に目を向ける。と、しっくりしない何かがホリの記憶に相違を生んだ。が――。
あれ、あの位置だと端のほうまでは……んー?
――小難しいコトを考えるのが苦手な故に、直ぐ胸の内にしまわれた。
従って――。
「ジブンは、どうすればいいのですか?」
――今すべきコトに、思考が切り替わる。
「アタシを背負え」
「分っかりました」
順次、直ぐさま立ち上がり。穴から出、しゃがむ。そして背中に乗る少女の安定を確認したのちに腰を上げるホリの視界に――。
「へ? ア、アリエル騎士団長……?」
――居るはずのない人物が突っ立っていた。
そして黙ったまま自分達を見つめる、そのチリっとハネた前髪の部分を見つけ――。
「ええっと……、その前髪――ひッィ」
――ホリは後悔した。




