第18話〔そもそも死んでませんよ〕③
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行ってくる。と言って、部屋に帰った隣人と御付きの騎士を見送った後、ただ待っているのは暇なので始めた床掃除が、玄関扉を目の前にした廊下で一段落する。
よし、一通り拭き終わったかな。
で立ち上がる。と目前の扉がチャイムを鳴らされる事なく、静かに開かれる。
「ん。水内さん、出迎え?」
小さく開けた扉の隙間から半身を中に入れた少女が、こちらに気づき、言う。
「いえ、丁度いま床の掃除が終わったところで」
そして不安からか、つい相手の足元に目がいく。
「――ん、大丈夫。それに、ずかずか歩き回ったのは騎士さまでしょ。わたしは、すぐ脱いだんだからセーフよ」
「そ、それは……そのようなけ、形式と、知らな……か……」
何かに圧し潰されそうな姿無き声が、扉の外、廊下の方から聞こえてくる。
「あ。ごめん」
すると少女が扉を限界近くまで開け、大量の荷物を背負った相手を家の中へと導く。
「うわっ。ちょ、待っ。あ、く、靴を、脱いでっ」
ぐいぐいと迫って来る荷に、思わず両手を下からすくう様に突き出す。
「ム……リ……で……す……」
背負う当人の顔が床についていそうなほど低い位置から、呻き声の様なモノが発せられる。
「す、鈴木さんっ、て、手伝ってっ」
物に覆われた視界の先で玄関扉が閉まる音がした。
「ん、と。靴を、脱がせばイイわけ?」
「いや、この場合は、後ろから、荷物を」
「ひゃッ、きゅ救世主様っ? 何をッ。ひゃッ、お、おや、おやめ、くだっ。キュッキュ救世主様っっ」
磨くのはヤメてぇぇえええ。
「あ、ありがとうございます……」
椅子に座り、テーブルに突っ伏して体を休める女騎士が同じ状態の自分に言う。
「い、いえ……」
そして台に上半身を預けたまま、部屋の傍らで持ち込んだ荷物の整理をしている少女に顔を向ける。
「凄い量ですね」
「ま。だいたい、服だけどね」
「服……――鈴木さんって、資産家の娘とか、なんですか?」
「……そ、ね。この際だから、言っておくわ。わたしね、借金で追われてるの」
「えっ。――そんな、追われるほどの額なんですか……?」
思わずテーブルに預けていた体を起こす。
「ま、ね」
あっけらかんと少女が言う。そして――。
「こんな状況にでもならなかったら、死んでたかも」
――と続ける。
「そんな切羽詰まった状況だったんですか……」
「ん。ああ、そうじゃなくって。自殺よ、自殺。ほんとはね、いまごろ部屋でブランコしてる予定だったのよ」
「え。……それって」
「でも、こうやって生きてるのは、水内さんのおかげよ。ま、そこにいる騎士さまのおかげもあるけどね」
そういえば、さっきから静かだな。ただ、心なしか寝息をたてているような気も……。
「――何もしてませんよ、俺は」
「ん、と。これから、て時に、邪魔されたのよ。大声で。だからムカついて、壁を蹴ったの。そしたら、なんかスッキリしちゃって。もう一回、て気になれなくてね。――で。ぼーっとしてたら、チャイムが鳴ったってわけ」
あの壁ドンに、そんな裏側が。
「失礼を承知で、尋ねるんですが。鈴木さんって、歳はいくつですか?」
「ん。十八」
「ああ十八ですか――十八ッッ?」
「水内さんは?」
「え……と、二十三です」
「マジ?」
何故か驚く相手に、肯定して、軽く頷く。
驚きたいのは、こっちなのだが。
「水内さんて、大人なんだ」
「それはまあ……。もっと若く、見えましたか?」
「ううん。外見じゃなくて、中身の話よ」
それを言うなら鈴木さんの方が……。
「わたし、思うのよね。人間て、生きた年齢に比例して中身は成長しないって」
「かもしれないですね」
「で、ね。カネ持ってるヤツとか、賢いヤツも、なんか違うのよ」
ム。
「けっきょく、人間なんて根っこからバカバカしい生き物なのよ。自分勝手で、自己中心的で。その上、自分だけは救いようがあるって、心の底では思ってる」
本当に十八なのか……。
「水内さんは、叶えたい夢とかって、ある?」
――夢――なんて単語を聞いたのは、久しぶりだ。
「平穏無事に過ごす、とかなら」
「……それって、夢なの?」
「分かりません……」
「ま、いいわ。わたしが言いたかったのは、夢が無いと、生きていても楽しくないってコト。だから死のうと思った理由は、借金じゃなくて。そっち」
「なら、……どうして?」
「気づいたのよ。もったいない生き方をしたな、って」
「……――だから、向こうに?」
「そ。でも、まだナニも無いから。しばらくは、のんびりと暮らすつもり」
と言って、終いを告げるように荷物を整理する手を止めて相手が立ち上がる。
そして、不安が詰まった様な顔で少女が――。
「ど、嫌いになったでしょ? わたし、勝手だから」
――と。それに――。
「……早く、いい家が建つとイイですね」
――と新しい生き方を祝う気持ちで、言葉を返す。
「なに、それ。ダジャレ?」
え。
「あ。もしかして、なごまそうとした?」
エエ。
で呆気にとられていると、いつの間にか近付いて来ていた少女が自分の耳に顔を寄せ。
「一緒に住むって話、前向きに検討しておいてね」
耳元で言う必要が。
「いや、それは」
「自慢じゃないけど。わたし、けっこう尽くすタイプだから。気に入るかもよ」
ハ、ハイ?
「――そういう」
「何を、やっているのですか……」
瞬時に、声のした方を見る。とテーブルの上で、こちらに目を細めて向けている起きしなの女騎士が。
や、ややこしくなった。
「私は別に……御二人が何をされてたかなどに、興味は」
そして女騎士がそっぽを向く。
何故……。
「ふーん」
よそを向いた相手の隣に座っている少女が、意味深な目で、騎士を見る。
「どうかしたんですか?」
「ん。ちょっと、確認をね」
なんの確認だろう。
「で。水内さん、どうするの?」
「どう」
――まさか、さっきの続きを。
「わたしの用事は、だいたい終わったし。次、どうするか決めた?」
あ、そっちか。
「資金をどうするか、ですね」
「あと、水内さんの問題もね」
ム。
「あとで、職場に連絡します。まあなんとかなるかと」
そういえば、携帯電話の存在を忘れてた。どこに置いたかな。
「ん。ああ、マジなの?」
「なにがですか?」
「金、なんて、本当にあるの?」
「金というか、金貨――」
あ。
「ちょっと待っててください」
「どうですか?」
革袋から取り出した金貨を凝視する少女に問う。
「ん。資金の話、これで解決なんじゃないの?」
「実を言うと、微妙です」
「え、なんで、金よ?」
「単純に、こんな大量の金を持ってたら絶対、怪しまれます」
「あ。そ、ね。どこの沈没船だって、騒ぎになっちゃいそうだもんね」
「ですね。余計な詮索を受けず、金を売れる場所でもあれば願ったり叶ったりなんですけど」
「ん。――あ、そうだ。イイコト思いついちゃった。わたしに任せて、金」
その手の発言は不安しかない。
「……どうするんですか?」
「詳しい話は、あと。その前に、アンタ」
少女が唐突に女騎士を見て、言う。
「え、私ですか?」
「いますぐ、着てる服を脱ぎなさい」
「へっ?」
まてーいっ。
「――鈴木さん、突然なにをっ」
「ん? 着替えよ、着替え。こんな硬いの着たままで外に出たら、注目のマトよ?」
「……なるほど」
だったら、もっと分かりやすく言って。
「しかし救世主様。私は着替えなど、持ってきておりません……」
「そんなの、分かってるわよ。わたしの貸すから、それを着るの」
「救世主様の物を借りるなど滅相もないっ」
その前にサイズ的な問題が。
「言ってても始まらないわ。ほら、行くわよ」
「ででで、ですがっ」
椅子から立って、ぐいぐいと女騎士を引っ張る少女。
「水内さん、こっちの部屋、借りるわよ、と。着替えてる間に、職場に、連絡でも、してて」
二人の体格差を考えれば振り解ける筈の騎士が、抗う事に躊躇するあまり、ずるずると少女に引き摺られていく。
「は、はい、どうぞ……」
「きゅ救世主様っ、――た、たす、助けっ」
其処で無情にも助けを乞う眼差しが扉の向こうへと消えてゆく。
ムム。――鈴木さんて、単純に力は強いんだな。
途中で鞄を一つ拾い上げていった。
まあ、あっちは鈴木さんに任せて。こっちは、電話を探そう……。
――ええと。これは、その……つまるところ、の――アレだ。
携帯電話へ送られてきていた情報を整理し、出す結論。
倒産してた。