第39話〔一体なにが〕⑭
「だ、だって、ワタ……ワタシのことを見たのですよ、ギロって」
目を手で隠すように拭いながら、頭髪を半分近く失っている幼い女子が涙声で述べる。
ムム……。
そして、目に付く股間の染みに思わず目が行く。
まぁ何にしろ。
「とりあえず、着替えを」
「おー。ものの見事に、チョッパンされとるのぉ」
亡骸となったトロールの足側に居る自分達とは反対の、頭部の方で、フワフワと聖女がこっちからは見えない向こうの様子を告知する。
チョッパン……。
「フム――まあ折角じゃし、これでもよいかの」
そう言って、聖女がスウっと向こうに降下する。
ム?
何を。と思う、途端に黒髪の少女が弱々しく泣き続ける幼女に近寄り。
「いつまで泣いてんのよ。はじめて見たワケでも、ないでしょ」
「……だって、コワかったのですよ……」
「なにがよ?」
「どうしてか、いつもより、大きく見えました……」
「それはアンタが小さくなったからでしょ。わたしは、前と変わんなかったわよ」
だとしても、大した差ではないと思うのだが。
すると隣の女騎士が自分に顔を向ける。
「小さくなった……とは?」
ム。――まぁ、もういいか。
「じつは」
と口にした途端、のそっとトロールの上体が視界の端で起き上がる。
え? ――って。
「ふぇ?」
バッと伸びてきた大きな手の平に脇から下をガシっと包まれる。
え? なに?
続けてぐっと持ち上げられる勢いで持っていたハムサンドの包みが手から離れ。
「どわ! なになのですかッわわっ」
と、対称的な位置から幼い女子の声が上がる。
こ……これは。
――突然の出来事に混乱する自分を収めつつ、なんとか現状を見える状況から把握する。
というより、何故――と自分だけでなく反対の手で幼い身体を掴む緑色の体表を纏う大きな体、もとい無くなったはずの頭部に目を向ける。
「どわッいったいナニなのですか!」
ム。――目を転じて右手の方を見る。
「ホリーさん、大丈夫ですか?」
次いで今にも泣き出しそうな幼い眼が、自分を見付ける。
「ヨ、ヨウジどのっ? ――どうしてヨウジどのがそんな所にっ?」
いや、それに関してはお互い様だと思うのだが。
「……理由までは、ちょっと。――それよりも、痛いとかはないですか?」
「は、はいっ。ただ微妙に息苦しいです!」
確かに。
と共感したところで、下の方が騒がしくなる。
「――何故ジャマをするのですかっ」
ん?
自分を掴む大きな手の指を押し付けるようにして、ぐっと下を覗く。
「離してくださいっ」
其処に、剣を持った姉の腕を両手で掴む妹の姿があった。
そして思いの外、高かった。
ので、下から見るのとではこんなにも違うのか。と、内心で感想を述べる。
「理由を話しなさい!」
「……危険だから」
「どの様に危険なのですかっ?」
「……ギュってなる」
姉から一方の手を放し、縦に握り拳を作って妹が言う。
「そう、なのですか……?」
次いで、うん。と頷く、赤い少女の手が――。
「あっちから」
――と、自分とは反対の位置に居る幼い女子を指す。
「どわッっ、なんでジブンからなのですかッッ?」
「……――いいから、たまには役に立て」
「ガガーンっ」
大きな手の中で、額を撃ち抜かれたかの様な衝撃を受けて幼女が指に凭れ掛かる。
というか、あの感じだと頑張れば脱け出せるのでは?
「あの、ホリーさん」
「ぁ、ハイ――なにか、緊急事態ですか?」
「いや、あの……」
現状が既に緊急事態だと思うのだが。
――ただ緊張感がない。
その理由は単純。と、自分達を掴んだまま目も開けずに立ち尽くす、緑色の大きな頭部に再び目を向ける。
そして、ふム。と幼女の方へ転じようとした矢先、パチッと目が開く。
え。
続いて獣に似た黄金色の瞳が動き――。
「ヒっ」
――次に自分を見る。
う。
更に下の方も騒がしくなり、場の空気が一気に張り詰める。
せ、せめてホリーさんだけでも。
そう思い。反対を向く視界の端で、大きな口が開く。
「ア゛ー、ア゛ー。――ア゛ワテ゛ルテ゛ナイ」
突如として、掠れてはいるものの思わず首を反らしてしまうほどの風圧が鼓膜を揺らす。
な……なんだ?
「ナンシ゛ャ、コノコ゛エハ。――タ゛レカ、ノトアメハ゛モテ゛オランカノ?」
う、煩いっ。
直ぐに両手で耳を塞ぎ、入ってくる音を抑えつつ――緑のデカい顔を見る。
「マア゛ヨイカ。――ン? オフ゛シタチ、アタマオ゛カカエテ゛トウシタノシ゛ャ?」
こ、この声――というか、もしかして。
「め……女神様、ですか……?」
「ウフ゛、ソウシ゛ャヨ゛゛」
う、煩い……。
「……もう少し、静かに」
「ン? ――ナンシ゛ャテ?」
ずいと緑色の顔面が近付く。
コワっ。
そして急に下が騒がしくなり。
ん?
と覗き見る場所で、なにやら三人が揉め合っていた。
「いいから、落ち着きなさいよっ」
「お、お放しくださいッ救世主様っ。――エリアルもっ。ハ早くしないとっ、ヨウが食べられてしまいますッ」
「――ダメ。ギュってなる」
「ならない様に斬りますっ」
「――なる」
「なりませんっ」
「ていうか、ちゃんと状況を見なさいよ! アンタ達っ」
お、おお……。
腕にしがみ付く、もとい取り付いて下がる二人の少女を引き離そうと足掻く女騎士の図式。が見下ろす地上で見る見るうちに加熱していく。
止めるべきか? そう悩み始めた矢先に、視界の端で大きな顔が動く。
「ヨサヌカ゛。ケンカナト゛シテルハ゛アイテハ゛ナイソ゛、オマエタ゛チ゛」
咄嗟に耳を強く塞ぐ。同時に、下に居る三人の顔がこっちを向く。
「ウフ゛。コ゛レカライウコトオ゛アタ゛マニイレヨ゛」
次いで驚いた様子の女騎士が静かに腕を下ろし、二人の少女が地に足を着ける。
「空耳……でしょうか。私にはトロールが見えます……」
よし、一旦落ち着こうか。
「……――大丈夫よ。そう見えてるのは、アンタだけじゃないから」
おそらくは今の状況を三人の中で最も理解しているであろう黒髪の少女が、女騎士の腕から手を放し、いつもの平淡な口調で告げる。
「ヨイカ゛、オニムスメヨ゛。コ゛レヨリ、コノモノタチオ゛ナケ゛ル」
へ?
「スク゛イタイホウオ゛スクウカ゛ヨイ。シ゛ャカ゛、オサ゛ナキ゛イノチオ゛ミステ゛ルモノニ、ワレハ゛ホホ゛エマヌ。――ヨイナ?」
いやいや、急に何――お? うおっ――ぉ、ぉォおオオォオオオオッッ――!
がくん、ガクンときてビュォ。そんな陳腐な擬音が現実に体の内で起こり、耳を覆う。
そして背中から腹部を貫く痛みがくの字に曲がる身体の末端から意識を連れて走り抜け、ガンッ――ビキ、っと。
バっと視界が開け、目の前にあった像のぼやけた顔らしきものが一斉にざわつく。
「どうやらお目覚めのようですね。――知らせに行って、いただけますか?」
次いで縦に動く赤が視界からなくなる。と、段々と鮮明になる視界で白い服を着た淡い草原の様な髪が自分の方に振り向く。
ム――。
「――……預言者様?」
「ええ、そうです」
にこりと相手が微笑む。
すると反対側に見えていた黒い髪が動き。
「具合はどう? 気分とか、悪くない?」
ム。――鈴木さん。
「一体なにが」
無意識に起こそうとした体に痛みが走り、反射的に力を抜く上体が再び柔らかい感触に軽く沈む。
なるほど。――ここはベッドの上か。けど、何故?
「さすがに、無理はしないほうがいいわよ……」
見える視界の中で、心配そうに自分のことを見て黒髪の少女が言う。
「いや、けど――そんなに痛みはないですよ?」
というか、なんで痛いんだろう。
「今回ばかりは自然治癒力での回復に一切の見込みがなく、完全に治療魔法で事を成さなければ手遅れでしたねェ。本当に、ご無事で何よりです」
ムム。――なんか、薄らと思い出してきた……。
「……ジャグネスさん達は?」
「アリエルであれば向こうでホリーと、女神を、叱り付けております。さりとて、今しがたエリアルを向かわせたので、そろそろ」
と預言者が言い掛けた次の瞬間、バンッと扉の開く音が部屋中に響き渡り。
マ、マズい。
そう思うや否や、制止する暇もなく宙に跳び上がった硬い鎧が、目前を覆った。
カ゛フ。




