第36話〔一体なにが〕⑪
『この時間であれば、訓練場が空いています。向かいましょう』
『ままっ待ってくださいよ!』
うーん。
石棒から届く遣り取りを聞きつつ、近くに居る二人の方を見る。
「このままだと進展しなさそうですし、他の案を考えたほうが?」
「……――そ、ね。仕方ないわね」
見るからに興を削がれた感じで、少女が言う。
途端にスッと――。
「まだじゃ、まだ終わらんのよ」
――聖女が棒に顔を寄せる。ので、サッと手の平を間に挟む。
「ヌ。なんのつもりじゃ?」
「……――なにを、言うつもりですか?」
正直、これ以上事をややこしくしたくない。
「心配せんでも、諄い事は言わんよ。ちょいとやる気を出させるだけじゃ」
「……具体的には?」
「結果如何に関わらず、褒美を与えるぞよ」
「褒美……?」
「頭髪の件じゃ」
ああ……――。
「――元に戻せるんですか?」
「容易くのう」
ムム。――それなら……。
「……分かりました。ただ強要まがいの言い回しでは納得ができないんで、自分が代弁してもいいですか?」
「ウム、構わんよ」
よし。――なら。と、石棒を持つ少女に顔を向ける。
「いちお、向こうの主張は伝わらないコトになってるから、そこだけ注意してね」
そう言って、少女が棒の先端を自分に差し出す。
というか、なんでそれを信じ切ってるのだろう。なんとなくでも分かりそうなものだが。
――思いつつ、聖女の方を向く。
「ええと。なんて言えばいいですか?」
「そうじゃのぉ。回りくどいのは要らん。その抜けた穴を埋める代わりに、鬼を調伏せよ。と申すのじゃ」
「……――分かりました」
次いで石棒に顔を寄せる。
***
「ジブンは断固として行きませんっ」
ソファの寄り掛かりに取りすがりながら、幼い姿のホリは叫ぶように声を上げる。
「貴方から言い出した事ではないですか……」
しかし打って変わるその懸命な振る舞いに、やや内心で動揺を残しつつ、呆然と幼女の目の前で突っ立ち、アリエルは述べる。
「それはジブンじゃないですッ、女神さまの仕業ですっ!」
「……――ですから、それに従い、模擬戦を」
「したくありません! どうしてジブンが、またアリエル騎士団長と戦わなければイケないのですかッ、そんなの聞いてませんよっ知りませんよ!」
そしてついにはソファから転がり落ちて自身の耳を両手で塞ぎ、アアアと声を発し外界を遮断する幼い姿にアリエルは言葉を失う。
すると突然、幼い体がピタっと言動を止め。すっと上体を起こす。
「カ――髪なんて、この際どうでもいいですよっ」
*
「――と言ってますけど」
代弁したのち、意向に沿って聖女の方を見る。
『と、突然、何でしょう……?』
『どわッ、来ないでくださいッッ』
『お、落ち着いてくださいっ。私は何もしていません!』
『イヤですイヤですっ、髪のために命を使うくらいならっ、いっそッ!』
『なっなにをするのですかッ?』
おお……。――早く次を。と今一度、神を見直す。
「へぁ? なんじゃ?」
「……――いや。なんじゃ、じゃなくて。どうするんですか?」
「なにがじゃ?」
「いやだって、その……――この後のことは……?」
「まあ成るように成るじゃろ」
んなバカな。
「――ったく。仕方ないわね」
石棒の先が持っている少女の口に向けられる。
ム?
「人を釣るのに中途半端な等価は駄目よ。有無を言わせない、圧倒的魅力じゃないとね」
そう言って、紫色に光る石に少女が口を寄せる。
「ダメ騎士、アンタの努力次第では髪だけじゃなく、その貧相なムネとかチチとかパイを好きなだけ増やしてあげるわよ。なんなら、ケツもサービスしてあげるわ」
え……。
「ちょっと待っ」
『――アリエル騎士団長っ、急ぎ訓練場へ!』
『ぇ? な、何を急に、突然……。それに、先にその頭を……」
『頭はどうでもいいです! それよりもジブンが女として大成するかどうかの瀬戸際なのですよッ、どうかご協力してください!』
『……貴方は先程から、何を――?』
『さぁさぁ行きましょう、行きましょう』
『ぇ、ぁ。ちょ、ちょっと待ちなさいっ』
そしてバタバタと慌ただしく向こうから届く音が移り変わっていく。
ム、ムム。
「じゃ。わたし達も移動しましょ」
パンパンと膝辺りのスカートを叩きながら、屈んでいた姿勢から少女が立ち上がる。
うーん……。
「ん――どうかしたの?」
ちらっと自分を見て、気に掛かった様子で少女が言う。
「いや、その……――なんというか、ここに来た意味って、あったのかなと……」
ぶっちゃけ何一つ、不慮の出来事すらも起きなかったのだが。
「んー、そね。べつに、いいんじゃない? 場面が変わったり、新しい道具を手に入れたからって、普通はなんも起きないわよ。――そういうのはね、オタク文化の発想だから、リアルに生きてるわたし達には関係ないのよ。でしょ?」
でしょ。と求められても、そのオタク文化とやらをよく知らないのだが。
すると何気なく見ていた少女の顔が、何故か恥ずかしそうに、横を向く。
「……言っとくけど。わ、わたしは普通よ! いたって平凡レベルだからね!」
なら、そんな声を荒げなくても。
***
ふぅ。と息を吐き、椅子の背に体を預けるフェッタ――が直後、部屋の扉が二度音を立てた為に、上体を起こして返事を行なう。と、綺麗に整った髪を凛と揺らし、一人の女性騎士が入室する。
「失礼いたします」
「おや。貴方が私の部屋に来るのは久方ぶりですねェ」
「はい、大変ご無沙汰しております」
そう言いつつ、机の前に来る光沢のある黒髪をフェッタは見て待ち。
「相も変わらず羨ましい御櫛ですねェ」
「フェッタ様の体つきには敵いません」
と、オカッパ頭の騎士が預言者の前で足を止める。
「まことしやかに、貴方は作り話をするのがお上手です」
「世辞は世渡りの基本。フェッタ様に、そう教わりました」
「……そうでしたか? ――まァ今となっては、世辞の心無い言葉の重みを実感する事も多く。貴方は囚われ過ぎぬよう、気を付けることです」
すうっと机の上に置かれたカップに視線を落とし、感情に乏しい声でフェッタは告げる。
それを見て、胸の前で抱えていた書類を下げるルシンダは左右の毛先を微かに動かし、内心では俄かに、動揺する。
「……――驚きました。フェッタ様の、そんな姿を見たのは初めてです……」
「おや。上司の面目がありませんねェ。――しからば、名誉を挽回するためにも、取り急ぎ、預言者の役職を務めねばなりません。ひいては貴方に、協力でも賜りましょうか?」
表情を柔やかに視線を上げる預言者が、机の前に立つ気遣わしい騎士の顔を若干斜めに見上げつつ言う。
「あ――ハイ。こちらをご覧になっていただきたく」
そう言って持っていた書類を前に出すオカッパ頭の騎士から、数枚の文書を預言者が受け取る。そして、内容を一見したのち――。
「――アリエルは、この事を知っているのでしょうか?」
「いいえ、騎士団長には後で報告する予定です」
「さすれば私から伝えておきましょう。その上で以後は私の預かりとします。ゆえに、公言は差し控えるよう、お願いします」
「……――はい、畏まりました」
*
「救世主さまっ、さっきの話に嘘はないですよねッ?」
「……ないわよ。ていうかアンタ、その頭、どうしたのよ……」
目立つ目立たない以前に、全体の半分が世紀末スタイルに刈り取られた幼女の頭髪を見て、やや狼狽えた口調で少女が言う。
というか、もはや正体を隠す気ゼロですね。




