第33話〔一体なにが〕⑧
以前――劇を行なった際に使用した、耳にイヤホンのような物をつけた相手に声を送る道具を片手に持ち、双眼鏡で再度向こうの様子を覗いていた少女がこっちを向く。
「これで、準備完了ね」
ふム。
「――では私は、これで失礼しますね」
しゃがんだままの姿勢で後ろへ下がり、オカッパ頭の騎士が告げる。
「え。行くんですか?」
深い意味はなく、単純に思ったことを口にする。と何故か、整った髪を凛と揺らして引き締まった表情をする騎士長の補佐役が――。
「――騎士団長を相手に、ご主人さんを守りきる自信、私にはありませんね」
いや、なんの話よ。
「……――ええと、そうではなくて……。ルシンダさんは、自分達がジャグネスさんを見張る目的を、知っているんですか?」
「知りませんね。私は、騎士団長の様子を本人に悟られず知りたいという救世主様のご要望にお応えしただけです。それ以外で皆様がしようとしている事の認知はありません」
「……なるほど。――いいんですか? それで」
「こう見えて私は役職上も、騎士団長側です。かと言って、知らない物は対処の仕様がありません。これはそういう話です」
ふ、ふム。
「何はともあれ、もし騎士団長に一泡吹かせるコトが出来るとすれば、それはご主人さんだけですね。期待してます」
「……――今さっき、ジャグネスさん側だって言いませんでしたか?」
「本音はそうですね。しかし建前は、ちょっとした憂さ晴らしです」
普通、逆だと思うのだが。
「そんな訳なので、結果がどうなったのか、後日伺いに行きますね。――では」
そう、立ち上がることなく、くるりと自分に背を向けてオカッパ頭の騎士が去って行く。
と次いで、咄嗟に聞きたかった事を思い出し――。
「――あ、そうだ。一つ、聞きたい事があるんですけど、いいですか?」
直ぐにぴたっと動きを止める相手が、こっちに顔を向ける。
「はい、何ですか?」
「ええと。ルシンダさんは、どうしてこの場所を知ってたんですか?」
すると再び相手が左右の毛先を凛と揺らす。
「私のように、真面目に中間管理職をしていると、時折ふと独りになりたい事があります。けれどもご存知の通り、極めて優秀な上司の目を盗むのは至難です。ですからここは、そんな私の心を安らがせる特別な空間、憩いの場所なんです」
「――要は、サボり場でしょ?」
「素晴らしい表現技法ですね」
ド直球ですけどね。
「……――けど、サボ――普通、もっと見つかり難い場所を選ぶものでは? 見える以上は、見られる可能性も高い訳ですし」
常識的に考えれば低い話だが、相手が相手なだけに油断はできない。
「ご主人さんは常識にとらわれすぎですね。互いの行動範囲が決まっている場合、中途半端に目の届かない所で潜むより、常に相手を視界で捉えているほうが心身ともに休まります。これ、働かざる者の上等な手段です」
働かざるって、言うてもうてるやん。
そうして一人去り、草むらで身を隠しつつ前方に見える離れた部屋の様子を横長の窓枠に填まった硝子越しに――見える訳はなかった。
数分ほど、意識などを集中し努力はしてみたものの、臨む目標は遠く。潔く諦めて、隣の少女を見る。
私物かな。――まぁ普通に考えて、それしかないけど。
と、足元に紫色の棒石を置き接眼レンズを覗いている少女を、ぼんやり視野に置く。
さて、何をしよう。
実際のところ、何をするのかすら教えられていない以上、どうすべきかも分からない。
というか、なんで自分はこんな事をしているのだろうか。
いくら信用を得る為とはいえ、自分の家族を見張る――もとい観察するなんて。
そもそも見られるだけで信じてもらえるのなら世話ない。
「水内さん?」
ただこのまま何も起こらずに丸く収まるのなら言うことはない。
「ね、聞いてる?」
けどさすがにそこまで都合よくはならないだろうし。
「……。――ね、水内さん、聞いてる?」
下からぬっと少女の顔が視界一杯に現れ、思わず驚きながら軽く後ろに身を引く。
ビ、ビックリした……――。
「――ど、どうか、しましたか……?」
「どうかって。それは、水内さんのほうでしょ。じっとわたしの顔を見つめて、どうしたの……?」
え。
「――そんなコト、してましたか?」
「してたわよ。それに呼んでも、なかなか反応しないし……」
何故かは分からないが、どこかしおらしい眼差しで、若干浮かしていた腰をペタンと地に下ろし目の前の少女が言う。
なので、もう少し距離を空けようとした途端、腕の服がぐっと掴まれ――。
「――……なにか?」
と、やや上から見合わせ、答えを尋ねる。
「水内さんはどう思ってるの? 正直に答えて」
「……――何について、ですか?」
「モチロン、騎士さまのコトよ。どうなると思う?」
「どう、と聞かれても……」
――何も聞かされてないのに。
「もし騎士さまにナニかあったら、水内さんはどうするつもりなの?」
「ナニかって……、――例えば、どんなコトですか?」
「もし、――もしもよ。騎士さまと会えなくなったら、……どう?」
「期間にもよりますが、普通に待ちます」
「だったら。一生……なら?」
ム……――。
「――それって要するに、ジャグネスさんが……――死んで、ってコトですか?」
そう。と、伏し目がちに目の前の少女が頷く。
「それは……、――分かりません」
「それじゃ駄目。ちゃんと答えて」
グッと、袖を引く力が増す。
「……――どうして、そんなコトを聞くんですか?」
「大事なコトだからよ」
次いで、今? と聞く自分に、そう。と言葉が返る。
ムム……。
「……――ナニか、あったんですか……?」
「そうやって、直ぐに話を逸らそうとするのは、よくないクセよ」
ム。
そしてグっと相手の顔が近付く。
「水内さん、女の子が真剣に、質問してるのよ。――それを、適当に誤魔化すの?」
「それは……、――だとしても、理由を先に聞くくらいのコトは……」
「水内さんのコトが好きだからよ」
へ。
「好きな相手が今後どうするのか、気になったらおかしい?」
「……――からか」
「からかってないわよ。わたしは本気よ」
ハヤい。
と内心で思ってから、そっと相手の両肩に手を添え、力加減に気を付けながら話しやすい距離と姿勢をつくる。
「今後と言うのは、これから起きる出来事の後、ですか? それとも、今現在ですか?」
「……できれば両方、かな」
正面から見返す自分と目が合い、すっと横に目を動かす少女が言葉尻を弱くして言う。
「だとしたら、自分はこれからも、ジャグネスさん以外の女と親密な間柄になるつもりはありません」
途端にポサっと、袖を掴んでいた手が落ちる。
「それに例え、死――」
「バッかモーぉおッ? おーおおォーーッ」
――目の前を、というかは限りなく自身に近い所を、猛烈な勢いで何かが声を張り上げ通過していく。
ふぇ……?
そして何かが突っ込んだ先、自分達が身を隠す草むらの後方にあった森の様に木々が生い茂る方を見る。と――。
「ふぁっふぅ……。ちょいと行き過ぎたわい」
――スっと木々の陰から出てきた市松人形みたいな女性が、フワフワと照れ隠しをするように後頭部を掻きながら言葉を発しつつ、スーっと近づいて来る。
「……なにをやって」
スパン! ――とはいかず、聖女の平手が体の中を、頭から腹を掻くように通り過ぎる。
「キー! 避けるでないッ」
全くもって避けてないのだが……。
「……なんですか? 急に」
「――なんですか、ではなかろう!」
なんだろう、見るからにややこしそうだな。
「オマエというやつは鈍いにも程があるっ、ナゼ乙女心が分からんのか!」
お、乙……。
「……なんのコトですか?」
「――なんのコトですか、ではないわ! 見よッ、あの消沈した乙女の姿をっ!」
ビシッと伸びる腕が指す方向を見る。と――。
ム。
――いつの間にか、紫色の棒石が置いてあった場所で耳に棒をあてがい、中の様子を窺うような難渋な顔をしている少女が居た。
「……――どうか、したんですか?」
「ん……。――なんか、寝息みたいなのが、聞こえてくるのよね」
なぬ。と、少女の方へ足を運び、石に耳を寄せる。
「……――確かに、なんかスースーと聞こえますね……」
「ったく。仕方ないわね」
と言って少女が小さな指で石棒を持ち直し、自身の口に近付ける。
「どうするんですか?」
「こんな時のために、死なない程度の電流を流せる仕組みよ」
こっコワ。




