第30話〔一体なにが〕⑤
「鼻血が出てますね」
そう言ってオカッパ頭の騎士が所持していたハンカチを立ち上がった幼女の鼻に宛がう。
そして、礼を言う本人の手に布を持たせた後、屈んだ状態から姿勢を戻し――。
「――それで、ご主人さんがこちらに居る……」
相手の視線が自分の後ろに向く。と、後ろに居た黒髪の少女がずいと前へ出てきて――。
「――久しぶりね。元気にしてた?」
「……――お久しぶりです、救世主様」
深々と頭を下げて答える相手を、腰に手を添えて少女が見届ける。
「で。なんで、ここに居んのよ?」
「はい。私は騎士団長に用事があり、こちらに出向きました。その、帰りです」
そうか、二人はたしか前に式場で。
「そ。ってコトは、騎士さまはこの先に居るのね」
「はい。としますと、皆様は騎士団長の所に?」
「そういうコト。てワケだから、また今度ね」
「いえ。そういうコトでしたら、私もお付き合いします」
「ん――そ、ね。案内してくれる?」
「はい、決して皆様のジャマはいたしません」
「べつに、したければしてもいいわよ。する理由は、ないだろうけどね」
なんだろう……。
どことなく感じる二人の不自然さに思わず内心で不思議がる。と、自分の横を通り、後方に居た聖女がスーっと前へ出て行く。
途端に、え? とオカッパ頭の騎士がそっちへ顔を向け、辺りを見渡す。
「……――どうか、したんですか……?」
「――……ぃ、――いいえ」
明らかに不審を抱く様子で、そう相手が口にする。と、唐突に表情を切り替え――。
「――では、騎士団長の所にご案内します」
「ぁ、はい。お願いします」
そして自分達に背を向けて踏み出すオカッパ頭の騎士が一歩目で足を止め、体をねじるようにして、幼女――次いで自分を見る。
「もしやこの後って、修羅場的展開が見れそうなかんじですね?」
「見れません」
というか、そう思うなら、何故に笑う。
ぉー。――ここが。
先に行った聖女を探しつつ向かった騎士団の訓練場を一望できる廊下の切れ目で、見渡せる平地の広さに思わず感心する。
「騎士団長はあちらです」
と、廊下から地に足を下ろしたオカッパ頭の騎士が指し示す方を見る。
お。――あれか。
草木などが疎らに生える平らな土地の一角。自分達が居る場所からは少し離れているものの、確証を得られるほど堂々とした目標の立ち姿に、一先ず納得する。
「今は丁度、朝練が終わり。反省会といったかんじですね」
なるほど。――たしかに、そんな感じだ。
へたり込むように屈んでいる複数の女性騎士達を諭す騎士の長。そんな訓練後の光景に相応しい、よくある感じに、独り内心でウンウンと頷く。
すると横に居た黒髪の少女が跳ねるようにして地面に下り、テクテクと歩いて行くので。
「――鈴木さん?」
と名を呼んだ相手が足を止め、こっちに振り返る。
「ん、なに?」
「ええと。どこに、行くんですか?」
「モチロン、騎士さまのところよ」
小さな指で軽く方向を指し、平静な態度で少女が言う。
「え。――イキナリ、ですか……?」
「そ、よ。ダメ?」
「いや。ダメとかでは、ないですけど……」
そもそも何をするつもりか知らないし。と思いつつ、自分も地に足をつけたところで、オカッパ頭の騎士が近づいて来る。
「駆け落ちの算段ですか?」
「……違います」
何故、そっち方向に話を振りたがるのだろうか。
「正直に言って、私はおすすめしませんね」
「されたところでしませんよ」
「いいえ、そうではなくて。騎士団長の前でする話ではないと、助言をしています」
「騎士団長の前……?」
次いで周囲の様子から何となく後ろを見ると、背後に金色の髪を後頭部で纏めている女騎士がピシッと背筋を伸ばし、立っていた。
「ジャ……ジャグネスさん?」
いつの間に。
そう感想を付けながら正面を向ける自分に、相手の観察するような眼差しが向けられる。
「どうか、しましたか……?」
「……――ヨウは、何故また、ここに居るのでしょう?」
閉ざしていた口を徐に開き、見るからに疑念のこもった顔で相手が口にする。
「また……? ここに来たのは初めてですよ?」
「そうではありません。何故、ヨウは最近、騎士団が管轄する場所に居るのでしょう。という意味です。第一ヨウの職場は、ここから離れています」
「まぁそれは……、そうなんですけど」
なんと説明すればいいのだろう。
「――いいではないですか、騎士団長。ご主人さんが会いに来てくれてるんですから」
「ぇ。私に、会いに……?」
そして直ぐに女騎士が横から来て話に加わった騎士の方へ顔を向ける。
「ところでルシンダ、貴方は何故ここに? 先刻、事務室に戻ったはずです」
「私は皆様の案内役です。ジャマはいたしません」
「ジャマ? 何の話でしょう?」
「それはこれから、ご主人さんの口から」
――瞬間、顔を見合わせて話をしていた二人の顔が瞬時に横を向く。と途端、その先にあった一本の木がバッと緑の葉を広い範囲に散らし、刺さった矢の如く揺れ動く。
へ……?
次いで、当然ながら何が起きたのか分からず動揺する視界に、突き刺さった剣とフワフワ木の陰から見え隠れしている着物みたいな布が、映る。
ム……。
「――どうやら、気の所為みたいですね」
知らぬ間に前へと出していた手を下ろしながら女騎士が言う。
「木だけに、ですか? お寒いですね、騎士団長」
「わっ私はッ、その様なコトを言ったつもりはありませんっ」
というか、いつ投げたんだろう。
「それで、私に用があるというのは、本当でしょうか?」
投げた予備の剣をオカッパ頭の騎士が取りに行った後、改めて自分を見る女騎士がそう口にしてから、すっと視線を落とす。
「……そ、そちらのお子は……?」
ム。
「ええとですね」
すると其処で、ずいと少女が前へ出てくる。
「ちょっと騎士さまにお願いがあるんだけど、いい?」
「え? ――ぁ。ハイ、何でしょう?」
「ん。悪いんだけど、この子、今日の日中だけ預かってくれない?」
そう、未だ先の件で受け取ったハンカチを鼻に宛がっている幼女を親指で示し、言う。
「ぇ。こ、この子を……? ――しっしかし、この子どもは……いったい?」
「さっきそこで拾ったのよ」
へ。
「ひ、拾った……?」
「そ、たぶん迷子ね。って。なによ、その顔。わたしのこどもとでも、思ったの?」
「いえっその様なッ、滅相もないっ」
「言っとくけど。わたしのこどもはこんな、見るからに人生の敗者代表みたいなダメっぽい顔じゃないわよ。間違いなく、聡明よ。水内さんと同じにね」
何故、そこで自分を引き合いに出すのだろうか。
「それは、ハイ……その、えっと――……怪我を?」
返答に困り、逃げる感じで目を向けた幼女をしげしげと見る女騎士が独り言の様に呟く。
そして、何かに気付いた様子で見る角度を変え、幼い相手の側面を覗き込み。
「その頭は……?」
若干不思議そうに女騎士が口にする。と途端に宛がっていたハンカチを頭皮に移す幼女の真っ赤に染まった鼻周りが露出し。
おお……。
「な。よ――よく見せてくださいっ」
どこか飛び付く勢いでしゃがむ女騎士が、幼女の頭部を両手でガシっと掴む。
「どわッハいダイッ! ミ――ミシミシってミシミシって!」
バタバタと泳ぐ幼い腕。思わず止めに入ろうとしたところ、自分のそばに前を向いたまま、少女が後退してくる。
「騎士さまって、意外に現実逃避するタイプかもね?」
それよりも先に助けませんか。
「これで、大丈夫ですね。――先程は、スミマセン……」
自らのハンカチを持っていた水筒の水で濡らし、それで幼女の血を拭い取った女騎士が片膝をついた状態で軽く頭を下げる。
「ぇ。――そっそんなッ、やめてくださいっアリエル騎士団長!」
すると顔を上げる女騎士が、何故か狼狽える相手を凝視する。
「……――何故、私の名を、知っているのでしょうか?」
ム。
「ぇ? あ――そ、それはっ」
其処で再び、ずいと少女が――。
「――どうせ騎士さまの追っかけか、なんかでしょ。じゃ、なかったら。こんな所にこどもが来るワケないもの。――でしょ?」
困惑した表情に顔を向けて少女が問う。と、直ぐに激しく頷き、肯定の意を幼女が示す。
「……なるほど。そうだったのですね……――しかし、だからといって、許可なく城の敷地に入るコトは許されません。それを知ってて、入ったのでしょうか?」
「ていうか、自分の追っかけってところは、否定しないのね」
「へ? あ。イ――イイエっ、私はその様なつもりでっ」
「騎士さまって、意外に自意識過剰ね」
「きゅ救世主様っ?」
お、懐かしい。




