第15話〔この女たらしめっ 恥を知れ!〕②
ノック後、部屋に入ると珍しく眼鏡のような物をかけた相手がいつもの席から和やかに挨拶をしてきたので、返事をしながら机の前まで行き。
「珍しいと言うか、初めて見ました」
次いで小首を傾げる相手が、自分の視線を追う形で。
「おや、着けたままでしたか」
とメガネを外し、机の上に置く。
「こっちの世界にも、メガネってあるんですね」
今更な感じではあるが、思い返すと異世界では見た記憶がない。
「いえ、こちらは眼鏡の類ではなく、物を拡大して見る事が可能な魔導器具となります」
なるほど。と相づちを打ち、置かれた器具に目を遣る。
「なんだか、随分と年季が入ってますね」
その一見して分かるほどに使い込まれた具合を見て言う。
「ええ、祖母が若い頃から使っていた年代物です。言わば形見の品でしょうか」
「大切な思い出ってコトですね」
「いえいえ、そういう事情ではありませんよ。――まァ今の私では、この程度の器具を動かすので目一杯なのです」
そう言って預言者が憂いを帯びた顔で器具に目を落とす。が直ぐに――。
「――して、ご用件は?」
「ぇ。ああ、ええと――頼まれていた仕事が終わったので」
持っていた発注書を差し出す。
「おや、それはまたえらく早い」
言いつつ、相手が書類を受け取る。
「実を言うと、ジャグネスさんに手伝ってもらいました」
「……アリエルが? いったい、どのような流れで?」
「ここ数日、ちょくちょく自分達の様子を見に来るんです」
「また、なに故に?」
「まぁその、いろいろとありまして……規律を、正しに」
「それはまた相も変わらず、――余計な」
ム。
「当然その場に主は居合わせるのでしょうか?」
「ええと。そうですね、同じくここ数日はよく来てますんで」
「その際、主は何を?」
「大体はホリーさんと喋ってます。結構、気が合うみたいですよ」
「ええ、そのようで。よもや神がお気に召すほどの素養があったとは驚きました」
ム……――。
「――あの、預言者様」
次いで、ええ。と、特に変わった様子もなく、相手が返事をする。
「何か、その……あったんですか?」
「と言いますと?」
「いや、特に何と言うのは自分にはないんですけど……。なんとなく、いつもと雰囲気が違うので、気になりました」
「おやおや、新手の誘い文句でしょうか?」
と頬に片手を添え、茶化す感じで普段と変わらない相手が言う。
「勿論、違います。――という訳なんで、今回はこのへんで戻りますね」
そして踵を返そうとした矢先、手に持っていた発注書を机の上に置く預言者が静々と口を開き――。
「――おや、何か聞きたい事があるように見えましたが。私の、気の所為でしょうか?」
ムっと動くのを止め、やや姿勢を正したのち。
「そんなふうに見えますか?」
「ええ、私の目には洋治さまの滾る感情が肌を焼くほどに見て取れます」
「それはまたえらく情熱的ですね。――けど、大して何も思ってませんよ。どうして、そう思ったんですか?」
「おや、それはそれで冷ややかと恐ろしい。しかしその質問の答えは、言うまでもないと思いますが。それでも敢えて私の口からお知りになりたいのであれば、それを果たすのみです」
人を冷ややかと評価するわりに自身の方がよっぽど冷静な口調で告げる相手が、久しぶりに見る預言者らしい趣で、自分をじっと見詰める。
ふム。
「まぁ聞きたい事はありますけど。また、今度にします。という訳なんで戻りますね」
次いで踵を返し、扉の方へ向かう。と、ガタっと何かが動く音がし――。
「――お待ちくださいっ」
振り返る。そして椅子から立ち上がり手を前に出している慌てた様子の相手と目が合い、向きを直す。
「……大丈夫ですか?」
自分でも何が大丈夫なのか、よく分からずに聞く。すると相手が、ええ。と答え、伸ばした手を引き、若干のシワが寄った衣服を整えて、立ったまま。
「なに故、そうも怒らずにいられるのでしょうか?」
「怒る? 何の事ですか?」
「何事もです。貴方はそうやって全てを受け入れて抗うどころか、嘆く事すら……。ナゼそのようなコトが可能なのか、ご教示いただきたく存じます」
「ご教示て……。――というか、イヤな事はしませんし、悲しむ事だってありますよ?」
だって普通の人だもの。
「それは自ら行なった事の代償です。他人から与えられた被害ではありません」
……なるほど。――何を言いたいのかは分かった。
「だとしたら、度合いにもよりますね。第一自分がこっちへ来た当初の事を思い返してください。随分と迷惑をかけていたと思いますよ」
「さすれば、それよりも前の事であれば、如何でしょうか?」
「前の事……? 何の事を、言ってるんですか?」
と何故か前傾気味だった相手が、その威勢共々急に身を引く。
「……――少々出過ぎたコトを申しました。誠意をもって、謝罪いたします」
そして深々と頭が下がる。
「ぇ? いや、あの……――」
――どうしたんだろう。なんか今日は情緒が――あ、そうか。
直感的にふと思い出す事柄。次いで、知った情報をもとに。
「……ええと。お腹とかって……空いてますか?」
「ええ、小腹程度であれば――?」
はてと首を傾げて相手が答える。
「もしよければ、何か持ってきたほうが……?」
「いいえ、そこまで急ぐほどのコトではありませんよ?」
なるほど。
一人納得する。と突然、思い付いた様に預言者がトコトコと自分の前に来て。何故か胸を張る形で背を反らし、低い位置から上目で――。
「――もしや、お誘いでしょうか?」
「え? ああ――いや、調子が悪い時は、ムリせずに休憩するのが大事かなっと思い」
「でしたら丁度、紅茶を飲む時間です。直ぐにご用意いたしますので――こちらに掛けて、少々お待ちください」
そう、手をすっと取り、ソファがある方へと自分を引っ張りながら言う。
ム……?
失礼しました。と退室して、皆が待つ部署を目指し廊下を歩く。
そして結果として普通にお茶を飲み、雑談をしただけの一時に――。
まぁいつも通りだったし、楽しそうにもしてたから、いいか。
――と、一人納得する。
「待っておったぞよ。どういうコトか、説明してもらおうではないか」
部屋に戻って早々、巫女装束を着る聖女がどアップで告げる。
近い……。
次いで相手の横を通り、自分のデスクに向かう。そして――。
「何かあったんですか?」
――と誰かを指定せずに聞き。先ほど貰った茶菓子の余りが入った小袋を机の上に置こうとして止め、魔導少女の所に向かう。
「今回はクッキーです。よかったら食べますか?」
返る、僅かな頬の緩みと頷き。途端に――。
「――ああっ、エリアル導師だけズルい!」
勢いよく寄ってきた騎士が、声を上げる。ので、もう一つを相手の前に出し。
「勿論、ホリーさんの分もありますよ。ただ数が合わず、少ない方で申し訳ないですが」
「そんなぁ恵んでもらえるだけでワタシは十分ですよぉ」
「そ、そうですか」
ちゃんとご飯食べてるよね……?
思いつつ、菓子の入った袋を渡す。
「ありがとうございます! ――エリアル導師っ一緒に食べま、ってもう食べてるではないですかっ」
すると騎士に顔を向ける少女が茶と一言告げ。要求された方は慌てて、支度に小走る。
完全な主従関係だな。まぁホリーさんの場合は鈴木さんと居ても――て、そういえば最近、姿を見てないな……。
と、近頃姿を見せない少女のことを心配する。
其処でスーっと横から聖女が来て――。
「――アレはなんなのじゃ?」
袋の中身を広げて、いつしか淹れた飲み物と共に小さな茶会の様な雰囲気になっている二人を見ながら聞いてくる。
「ええと。さっき預言者様に貰った、お菓子です」
そして、くるっと顔が自分に向く。
「そうではない。あんな物で――」
――と口を噤む。
ム?
しかし直ぐに口を開き。
「まあよい。で、ワレへの供物はどれじゃ?」
「え。……というか、食べれるんですか……?」
「直接はムリじゃの」
「なら、どうするんですか?」
「どうもせんよ。見て、確認するだけじゃ」
「だったら、必要ないんじゃ……」
「バカを言うでない。元来、供え物とは……――ははーん、さてはソナタ、忘れたのを誤魔化そうとしておるな?」
ドキッ。




