第13話〔結婚すると こういうイベントもあるのか〕④
壁に生じた割れ目があらゆる物の表面をピシピシと音を立てて走る。その様を、禍々しい雰囲気を放つ相手の怒りに見詰められながら、眺めていると。
突然、ポロリと涙が落ちる。
へ?
続きポロポロと流れる滴に、動揺して――。
「――あ、あの、ぇ?」
え、なんで。
「……――な――ヤか」
目をキッとさせ、ボソっと相手が言う。
「ぇ? なんですか?」
「――……そんなに、イヤか?」
見るからにぐっと感情をこらえた顔がスーっと近付いてきて、告げる。
「な……なにが、ですか……?」
「オマエは、そんなにワタシのモノになるのがイヤか、と聞いておるのだ」
ムム?
「前回もソナタはワレの誘いを断り、剰え奉公娘と逃亡をはかった。何故じゃ? 何故ヌシはそうもワタシを嫌う? ワレがナニをしたと言うの……」
ぐずりと顔が歪む。
「ぇ。いやっあの、ちょッと待ってくださいっ。え、と――その、だから……ええと。昔、イヤ前世のコトは本当に何も憶えてなくて、その――ええと……」
「――分かっておる。魂を見れば一目瞭然、疑ってもおらん。しかしだ、ワタシは二百年も待ったのだぞ。待ってなお、答えは聞けず。その上で再び拒絶されたのだ。これが悲劇でなければ、なんだと言うのだ?」
この前は神にとって大した時間ではないって、言ってたような……。
「ワレはナニも、ソナタを独占しようと言うておる訳ではない。仮にそうしたところで、肉体を持たぬワタシに出来る事は限られておる。――よって心を捧げよ、と言っておるのだ。それのナニが不満じゃ?」
「……具体的には、どんなコトを?」
「愛を誓うのじゃ。ワレに、永遠の忠誠心を見せよ。それだけじゃぞ?」
「要するに、それを言葉にして伝えるってコトですか?」
「それでもよいが、重要なのは心じゃ。ヌシが心の底からワタシに愛を誓う。そうするコトでソナタの魂はワレを欲し、ワレもソナタを受け容れる。ただそれだけのコトで今後は加護をも享けられるのだ。――どうじゃ、お徳じゃろ?」
「え、加護を……?」
「ウム。ワタシと魂で繋がれば与えられる恩恵は皆と同様、いんやソナタであればチョイと優遇すらしてやろうではないカ」
そして、にこっと相手が笑う。
ムム。
「それに、たしかヌシには配偶者がおったな。どうじゃ? いつまでもそんなひ弱な体たらくでは嘸かし不安であろう。今のご時世、死んだくらいで歿しておっては幸せな家庭は築けんぞよ」
死んだくらい……。けど――。
――ふと、以前に医者とした話を思い出す。
有る者にとっては、無い者を見るだけでも恐怖、か。
「……――そうですね。それな――」
――いや、やっぱり駄目だ。
「どうかしたかえ? ナニを、それほど悩む?」
「ええと。大変ありがたい事ではあるんですけど、そのお誘いには乗れません」
「……何故じゃ?」
ム。――今回は怒らないんだな。
「女神様の言い分は理解しました。その内容も、得のある話だと思います。けど、どうしても自分を納得させる事ができません。断る理由は、それだけです」
「ヌシは……。――いったい、ナニが不服なのじゃ?」
「不服とかではないです。嘘を、つきたくないだけで」
「どういうコトじゃ?」
ふム。――まぁ、話すしかないか。
そうして話し終えた結果、宙でお尻を落としペタンと座っていた相手がそのままの姿勢でスーっと近づいてくる。
「つまりソナタは、ワレに忠誠を誓いたくないのではなく、他に愛する者がおるゆえ無理だと申すのだな?」
「はい、そういうコトになります」
正直に告げる。すると自分の顔をじっと見詰めていた相手がスッと後ろに移動して。
「分かった。ソナタの言い分を聞き入れよう」
思わず口から、え? と声が出る。
――そんな、さらっと。
「なんじゃ、不満なのかえ?」
「いや、そういう訳ではないんですけど……。そんな……あっさりと?」
「――な訳あるまい。神とて苦渋の選択をする時はある。大体、諦めるとは一言も言っておらんぞよ。しかしだ。力ずくで奪いとる事を美とは思わん。――よって暫し様子を見させてもらうぞ」
「……――どういうコトですか?」
「まあ細かいコトは良しとしよう」
そう言って、くるっと机の方を向き、フワフワ飛んで行く。
「アタシャもう御眠だよーお。話をしたけりゃ、またおいで」
「え、ちょっと――」
――呼び止める間もなく、机の上にあった石の中へと相手が消えてゆく。
あ……。
と次の瞬間、石からぬっと人の頭部が出てくる。
「言い忘れておった。フェッタよ、ちゃんと人が活動する時間に起こすのだぞ」
「はい、心得ております」
預言者が石から出ている頭部に頭を下げて告げる。
シュールな光景だな……。と思いつつ――。
「――あの、女神様」
「ン……?」
明らかに眠そうな目をした頭部がこっちを向く。
「……――ええと。細かい話は、また今度で良いんですけど。ひとつだけ」
「申してみよ」
「えと。呼び名がころころと変わるのは慣れないので、次からは一律、ヨウジでお願いします。あと、できるだけ名前で呼んだほうが、何かと便利ですよ」
「……そうか。――ウム、分かった。覚えておこう」
再び女神が石の中に消えたのち、ふと壁の時計に目を遣る。
あれ……?
「どうかなさいましたか?」
ム。――と、いつもの椅子に移動し、腰を下ろしたばかりの預言者を見る。
「いや、その……思ってたよりも、時間が経ってないなと」
正味三時間は優に越えていると思った。が実際は一時間も経っていない。
どう考えてもオカシイ。――もしかして、時計が。
「仰るとおりです。しかしながら時計その物がズレている訳ではございません」
ム……――。
「――なんで、分かったんですか……?」
「分かった、と言うよりかは私の立場上、よく知っている、と言ったほうが適切かと」
そういう意味で聞いた訳ではないのだが。――まぁいいか、そっちも気になるし。
「やっぱり、幻覚なんですか?」
「おや、お気付きで?」
「まぁそれは……」
そもそも、あれだけ荒れ狂っていた部屋が元通りになっている時点で何かしら思うと。
「洋治さまのご高察は間違いではありません。我が主は、我々人とは違う次元に在られます。ゆえに行使する力もまた、格別なのです」
「けど、物理的に破壊されないのなら問題はそれほどですね」
――ちょっと周りが見えづらくはなるけど。
「……――ええ、そのようで。しかし、随分と落ち着いて見えますが?」
ム。
「まぁ、相手は神様ですから」
「それは、どのような……?」
「自分なんかを相手に、神様が本気で怒る事はないかなと」
と言っても、結構普通に焦ったりはしたけど。
「……なるほど。仰るとおり……」
預言者が机の上に視線を落とす。と直ぐに、こっちを見。
「洋治さま、今後、周囲で何かおかしな事が起きましたら、私に直ぐご相談ください」
「ぇ? あ、ハイ。分かりました……」
どうしたんだろう、急に。
「――さて、では私も残業を回避する為に、頑張らねばなりません」
手元にあった書類を取り、再度こっちを向く相手が和やかに告げる。
「あ、そうですね。なら自分も、そろそろ」
「はい。洋治さまも、お気を付けください」
「ん? ナニを、気を付けるんですか?」
「ええ、救世主様に聞いた話では、新婚の内は成り立て離婚になる可能性があるそうで」
「なりたて……? それ、ひょっとしてナリタ離婚では?」
「おお、確かにそのような名でした。――お気を付けください」
「はぁ……――」
――というか、いつも思うけど。なんで、そういうコトを知ってるんだろう。九十年代ですよ。
夜――相手の話を聞き終えて。
「なるほど。ジャグネスさんの知り合いに、似ていたと?」
「はい。正直、驚きました」
「ちなみにその人は?」
「既に亡くなっています」
なるほど。なら――いや、待てよ。だとしても、なんで。
「あ、そうでした。ヨウっ」
ム――。
「――はい、なんですか?」
「どうして部屋があの様な事になっているのですかっ? 説明してくださいッ。それに皆の態度もです! まさかとは思いますが、部下を甘やかすなどという羨ましい――ではなくッあるまじき行為をっ」
なるほど。――結婚すると、こういうイベントもあるのか。コワ。




