第15話〔じゃ いっかい向こうへ戻るわよ〕⑧
「すみません。後片付けまで、手伝ってもらって」
「気にしないでください。日常的にやってることなので」
と言って、拭き終わった最後の皿を相手に渡す。
「とっても助かります」
にっこりと笑う相手を見て、なんとなく顔を背ける。
「礼を言われるコトでは」
不思議そうな顔をする相手を横目に、ふと思った。
こうやって誰かと夜を過ごすのはいつぶりだろう、と。
「つかぬことをお聞きしますが、入浴は……?」
ム。
「風呂ですか」
「はい」
異世界で風呂か、なんとも心惹かれる。いったいどんな――……いや、まてよ。もしかしたら浴室も、大して向こうと変わらない、かも。
夕食を作ってる時に分かった事だが、キッチンには見た目や使い勝手もおなじみのコンロやオーブン、そしてレンジみたいな物まであり。それらが電気やガスで動いているのかまでは定かではないが、生活する上で、互いの文明に大きな違いはないのかもしれない。
「……ヨウ?」
心配そうな声を出して自分を見る相手に、ふと気付く。
「あ。すみません」
「どうか、しましたか?」
「いえ、大丈夫です。――風呂ですよね? できれば入りたいんですが、着替えを持ってきてないので、今晩は遠慮しておきます。ただ寝る場所だけ、床でもいいので貸してもらえると助かります」
「そんなっ、床に寝かすなど、ありえません。替えの服がなくとも問題はありません。ちゃんとベッドで、お休みください」
「分かりました。なら、お言葉に甘えて」
「はい、勿論です。今から部屋に案内しますので、付いて来てくださいね」
にっこりと笑って、相手が言う。
ムム。
「お、お願いします」
「私はこれから入浴します。何かありましたら、――あちらが私の部屋ですので。いつでも」
案内された二階の部屋から出た廊下の奥にある扉を、相手が手で示す。
「分かりました。いろいろと気を使ってもらって、ありがたいです」
「それは私も同じです。ヨウのおかげで無事、使命を果たせました。そして今後は……」
ム。
「今後は?」
開けた扉の外に居る相手が急に黙った事で、部屋の中から様子を窺っていると――。
「あのッッ」
――気合いの入った一言に瞬間的に身が強張る。
「す……すみません」
「い、いえ、大丈夫です……。急に、どうしたんですか?」
「じ実は、た大変な事が、ありまして」
何故それを今。
「それはどういった?」
「こ、こ、今後の、事なの、ですが」
「はい」
「わた、私と、こっ、こガっ――」
どういう噛み方ッ。
「――ガ、ガガ、ガ、ガンバリましょうねッ」
なにをっ。
静かな部屋で、夜を照らす光源を窓の外に見る。
こっちにも在るんだな、月。
月が在るというコトは、宇宙も在るというコトだろうか。
宇宙か。一生、縁の無い世界だな。
けどそれをいうなら、異世界へ行くなど無縁どころか考えたコトすらなかった。
……異世界か。
実際のところ突然に目が覚め夢を見てたって事になれば、納得もできる。
鈴木さんは、どう思ってるんだろう。それに、言いたかった事って何だろうか。ただ、何にしても、ややこしそうだな……。
「――寝るか」
誰に言うでもなく呟いて、ベッドに向かった。
***
濡れた髪をタオルで乾かしながら櫛を通している内、鏡台に映る窓の向こうに月を見付けたアリエルは、いつしか窓際に立って、夜空に浮かぶ円かな光を眺めていた。
そして、何故、が胸の中、奥深くで生まれる。普段、気に留めもしないモノが今夜は気になるが故に。
アリエルは思う。美しい今日の月を、あの人も見ているのだろうか、と。それから――。
今回の話が表面上の、正式なモノではないという事を、――自分に言い聞かす。
しかしどうしても話を切り出せなかった自分に納得がいかない。相手の気持ちに配慮した結果であれば、尚の事。
ただ――。
嫌われてしまった時の事を考えるだけで、アリエルの胸はしめつけられるように。
――痛む。
*
「じゃ。いっかい向こうへ戻るわよ」
会って早々に、救世主と呼ばれる身の丈の低い少女が胸の前で腕を組んで言う。
「という事です」
そして顔の横で小さく手を打ち合わせて言う、同じ身丈の預言者だった。