第5話〔これはもう駄目かもしれない〕④
そうして連れてこられたのは裏庭のような場所で、中央に生えた木の根元で鳥にエサをやっている老女が居るだけの、静かな所だった。
こんな場所、あったんだな。
と辺りを見渡す。
ム。――あれは。
やや離れているものの、日常的に利用している食堂が外の光を呼び込むために設置されている大きなガラス板越しに見え――。
――なるほど。と、情報の経路に納得する。
すると横に居た少女が普段の思い立った感じで老女に歩み寄り。
「ね。おばあちゃん、このへんで小さい子、見なかった?」
「――小さい子? はいはい、見ましたよ」
そう言って、ちゃんと視界が確保できているのか怪しいほどに閉じられた目で少女の方を向く老女がニコニコと微笑む。
「……――おばあちゃん、わたしじゃなくて。わたしよりもっと、小さい子よ」
「――もっと小さい子? はいはい、見ましたよ。――あなたもパンが欲しいの?」
「せっかくだけど、遠慮するわ。わたし、こどもを捜してるだけだから」
「――あら、あなたあの子のお姉さん?」
「違うわよ。ただの顔見知りってだけ」
「――あらそう。――なら、お願いできるかしら」
と老女が手に持っていた、パンくずのような物が入った透明な袋を少女の前に出す。
「……なに、これ?」
「――まだ一つ残ってたの。――はい、あなたもやってみて」
「……――悪いけど、そういうのに興味ないから、わたし」
「――あら、遠慮しなくていいのよ」
そして出した袋を手元に戻し、次いで中身を一握り取り出す老女が――。
「――はい、手を出して」
それを見た少女が、渋々な感じで、片手の平を上にして出す。と思いの外バサッと豪快に握っていた物が放され、次の瞬間――。
「え? ちょっ、待ッ」
――餌欲しさに群がってきた周辺の鳥達が瞬く間に小柄な少女を覆い尽くす。
おお……。
「待ちなさ――アンタたちっ」
羽ばたく一群の中から聞こえる姿無き声。
……見方によっては、軽くホラーだな。
「な――ちょ、アンタたちっ、どこツツいてんのよっ」
傍から見ている分に中の様子は全く分からない。
というか、本当にただのエサなのだろうか……。
まるでマタタビを与えられた猫みたいな、どこか狂気じみた欲心が生命を突き動かす光景に、思わずニコニコと微笑む老女の手の袋に目を向ける。
「ちょ――と待っぁ――……ミ、水内さん――助けてっ」
ム。
そろそろとは思っていたものの、珍しく助けを求める少女の要請を聞き。急ぎ現場に足を踏み入れて手を――群がる鳥達を傷つけないように配慮しながら――差し込む。
「ぇ待ッて水内さんっ、そこおしりっ――なんだけどっ」
え、なんでこの位置に。
髪など、至るところ羽毛だらけになった少女を救出したのち、未だ地面に落ちている餌を半ば奪い合っている鳥達を警戒しつつ、下ろす小さな体の脇から手を抜く。
「――……ありがと」
ダルそうに両手を下げたまま、そう言って自分を見る相手の前髪についた小さな羽根を取って捨てる。すると、ひょこひょこと近くに来た老女が。
「――あら、大変。――誰か近くにいるかしら?」
遠くの空を見るような角度で、本当に見えているのか怪しい目を城の方へ向け、言う。
そして、ム? と釣られて見る先に――、え? と驚く光景があった。
「なんかヤバそうね」
同じ様にその光景を見た少女が隣に来て、告げる。次いで――。
「鈴木さんはここに居てください」
――と言い残し、城内へと走り出す。
***
城の屋根に横たわる一羽の鳥、しかし息はなく。死して亡骸となった体は加護の対象外である為、消える事もない。
「はい、どうぞー」
そして差し出される何度目かの誘い。当然、反応はなく。サンドイッチに触れた口端が僅かに動くのみ。
それでも再び繰り返される幼い救命行為に、先刻やって来たのち背後で様子を見ていた神の代弁者が待ったを掛ける。
「女神よ。それ以上は、無駄かと」
「――どうして?」
しゃがんだままの姿勢で、くるりと振り返る無邪気な幼心。それを見て、代弁者である預言者の心中に一点の淀みが生まれる。
「……――いえ。私の思い違いでした。どうぞ、お続けください」
そうしてウンと前を向く幼い主が行なう処置を再度見守る内、フェッタの足は自身すら気づかぬ間に前へと動き、その手は必死に命を繋ぎ止めようとする生熟れな背に伸びる。
――と、それに気づき振り向く主の笑顔に戸惑い後退る足が棟を踏み外す。
***
上で起きている事態を見詰める二人の所にやって来た少女を見て、老女が微笑む。
「――あら、エリアルちゃん。――元気?」
「……眠い」
覚めやらぬ顔で眼をこすりながら答えるボサっと赤黒い髪の少女――に、同じく背丈の変わらない少女が歩み寄る。
「ね。――アレ、なんとかできない?」
と小さな親指が示す方を見ようとした矢先に老女が前に立ち、視界を塞ぐ。
「――エリアルちゃん、最近お昼寝しないのねぇ」
「……してる」
「――あらそう。――そうそう、エリアルちゃんに作ってもらったパン、みんな喜んでるみたいなの。――また、分けてもらえる?」
「……分かった。また持ってくる」
そして更に話そうとする老女――に、作る表情を困らせて少女が。
「おばあちゃん、その話……あとでもいい?」
*
城内の階段で行ける最上階より上へ行くには、一度外に出て、いくつかある塔の壁沿いに回廊を行くしか道はない。にもかかわらず城の内装や構造は似た感じの場所が多く、普段から行き来する習慣でもない限り容易には――。
――うーん、迷った。
近くまで来てるとは思うものの、さっきから同じ場所をぐるぐると回っている気もする。
せめてもう一度、外から位置を確認できれば……。
そう頭を悩ませながら、また見た気がする角を急ぎ足で曲がる。と其処はこれまでとは違い、至ったことのない場景が廊下の奥に見えていた。
ム。――……バルコニー?
次いで、よし。と駆け足で赴く。――すると人が二人くらいは立てそうな露台の前に紐が一本、入り口を塞ぐようにして貼られていた。
ム。――立ち入り禁止……?
仕方なく、見える範囲で外の様子を窺おうと顔を前に出し、上を覗き見る。途端に視界が予想外の白で揺れて、直ぐに下を向くが、やや動揺する。
***
日常的に肩を凝らせる原因が取っ掛かりとなり完全な落下を免れ軒先に下半身を揺らしてしがみ付くフェッタの腕を引いていた幼い指が、勢いよくすっぽ抜け、その場にペタンと座り込む。
「……――女神様、もしよろしければ誰か人を、呼んできていただけますか……?」
次いで、返事をする御子が立ち上がり。キョロキョロと眼下を見渡したのち、その場でスーっと姿を消す。
そして再度、自力で上体をあげようと試み――失敗する、預言者の下から。
「ええと。おりられそうなら受け止めますけど、どうしますか?」
*
露台に下ろした後、怪我の具合を聞いた自分に問題ないと答える相手が伏し目がちに改まって口を開く。
「洋治さま、ナゼこのような場所に……?」
「ええと。偶然……――というか、預言者様こそ何故?」
てっきり自室で遊ん――ではなく、仕事をしているものと思っていた。
「はい。情報の収集が一段落しましたので、主の捜索を兼ね城内を見回っていたところ、足を踏み外し、このような事態に」
「なるほど……。――それで、女神様は?」
たしか一緒に居たような。――急いで来たからハッキリと見た訳ではないけど。
「おそらく私の願いを聞き入れ、人を呼びに行ったものと思われます。――……ときに洋治さま、一つお聞きしても宜しいでしょうか……?」
そう言って、どこか気恥ずかしそうにする相手にハイと返す。
「先ほどは、その……――私の……見てしまいましたか?」
と白のローブを、特にお尻の辺りをもじっと動かして告げる。
「え、いや……あの――」
――思わず後退る。と背にバルコニーの手すりが当たっ――た途端バキッと手応えが無くなり、体がふわっと流れ――急激な加速で、落ちる視界に空が移動する。
地面に着地したのち、雲に乗れたらこんな感じだろうかと内心で思う自分のところに来た三人の少女の内一人を見て納得し――。
「――妹さん、助かりました」
次いで相手が微かに微笑む。
と心配そうに近づいて来た幼い少女が――。
「――……パパ、だいじょうぶ?」
「うん、――パパじゃないよ」
そうして安否を確認しにおりてきた預言者とも別れ、いつもの部屋に戻ってきた自分達の前でゴミ箱を大事そうに抱きしめる騎士が。
「なりゆき――結果を前もって判断するコト、予断ッ!」
これはもう駄目かもしれない。




