第57話〔謝罪の意を身をもって示そうと思いまして〕⑩
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伸ばしたアリエルの手が炸裂した僅かな熱を帯びる風と煙に巻かれたのち、完全に消え去った二人の居ない焼けた野原を見て、途中指先を躊躇わせつつ静かに下がる。
そして何も掴む事ができなかった自身の無力さを握り締める騎士は、聞こえてきた声のもとへ、渦巻く感情を必死に抑えながら忽然と消える。
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石棒をしまい、二人が飛んでいった方角へ走り出したあと隣の相方と言葉を交わしていた少女の前に突如として女騎士が姿を現す。
「あれ。――騎士さま、ドラゴンと戦ってたんじゃないの?」
その場で足を止めて質問する少女に――。
「はい。これから再び挑むところです」
――返事をしつつ、短い髪の騎士に女騎士は近付く。と相手が、やや怯えた目で、不安と共にアリエルの呼び名を口にする。
「ホックさん、貴方の剣を貸してください」
「へ? ――ジブンの剣、ですか?」
コクと頷きが返る。
「え。でもジャグネス騎士団長には、ごジブンの物が――」
――瞬間、死を覚悟するほどの衝動がホリを完全に制止させる。
「ホックさん、剣を貸して、もらえますか?」
次いで身動き一つしないまま持ち主が腕輪を光らせ、中に収納されていた物を全て地面に飛び出させる。
そうして其処から剣を二本拾い上げ――。
「壊れた場合は弁償します」
――と、足跡だけを残し、女騎士は消える。
「ちょっとダメ騎士、いつまで固まってんのよ」
相手が去った後も微動だにせず動く気配すら見せない騎士に、今しがた落ちた文庫本ほどの小さな本を拾いつつ少女が告げる。と次いで――。
「なによ、これ」
――何処か恋愛を題材にしたハウツー本を彷彿とさせる表紙を見て述べる。が余計な時間を割きたくないと自ら興味を削いで上げる視界に、白馬に乗った巨漢が見えた。
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漸く慣れた力作を台無しにされて怒りで震える竜の巨体をかろうじて支えていた前側の足がふっと力を無くし、傷付いた体躯が斜めに前傾して小さく落ちた地面の縁で倒れ伏す。
そして朱き竜の瞳に、頼りないどころか自立してさえ立派に直立する、自己の足が映る。
続き背後でカチャリと鳴った音に長い首を捻り振り返る竜――の右眼に二本の剣が突き刺さる。とその衝撃で内一本が刃の真ん中あたりから切断されたように折れ、反動で縦に回転し飛んでいく――柄側の刀身が、地表に突き立って止まる。
「――ッッッ」
いまだかつてない痛烈な痛みを越えて出る、呻き。
するとそれによって一段と機嫌を損ねる女騎士の手が、横たわる竜の背中に刺さっていた剣の柄を取り――敢えて荒々しく引き抜く。
「ッ――ッッッ」
先の声を突出して呻く竜――の尾が、痛みで我を忘れ、地を叩く。と次の瞬間、眼を血走らせる朱き竜の憤怒が騎士に振るわれ――空を払う。
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手を抜いていた訳ではない。実際に魔力を解放する上で大きな隙が生じるのは避けて通れない事実で、どうしようもない事情だ。
なら何故。と、跳び上がったのち上から刺し貫いて地に繋ぎ止めた尾をもう一方の手に持つ剣で斬り落とした、騎士は思う。
と次いで地面から剣を抜き、来る途中に拾った自らの剣と併せて目の前の巨体に振るう。
――途端に硬い表皮がいとも容易く斬り刻まれ、そこから上がる血飛沫を全身に浴びたアリエルは、漸く、思い当たる。
それは、これまで幾度も命を刈ってきた騎士が、初めて知る事の存在。
ソレは殺す心算で斬らないと、斬れないモノもある、という事象。
――を知り、納得したアリエルの頬を紅が伝う。
すると意図して残した瞳に振り向く紅き騎士が握り締める剣の刀身に、滴が落ちた。
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プハァと水面に出て周りを見たのち、片手で水を掻いて若干の距離を泳ぐ。と、もう一方の手に抱いていた魔導少女を先に上げてから自分も陸に上がり、改めて互いの無事を確認する。
「妹さん、大丈夫ですか……?」
次いで草地に座り込んでいる相手が何故かキョトンとした顔を見せる。
ム? ――あ、そうだった。
そして念の為に確認するが、やっぱり指輪はなかった。
どうしよう。――いや、まてよ。
と、ふと思った事を先ず何となしに身振りで伝えてみる。
――……分かるかな。
すると小首を傾げていた少女が頭の上に電球を光らせる様な表情をつくる。とベルトの石を小さく輝かせ、一本の紐を取り出す。
おおっ、伝わった。
しかし何故か、紐を自分に差し出す。
ム。――まぁ結果としては、そっちのほうがいいのか。
そう勝手に納得して、前に出されたアンクレットを受け取る。
似合わないと思いながらも着けた位置的に、人目に付かないので、心持ちは安心しつつ少女の方へ試すつもりで顔を向ける。
「ええと。妹さん、俺の言ってること、分かりますか?」
「――分かる」
こくりと頷き、相手が答える。
おお、イケた。
と思うと同時に、砕けてしまった指輪の事を思い返す。
うーん。――とりあえず、できるだけ早いうちに謝ろう。
そうと決まれば――。
「――妹さん、動けそうですか?」
立ち上がり尋ねる。と徐に頷いて立ち上がる少女のボロボロな上に水を含み大変なことになっている着衣が目に付く。
ムム。
「……妹さん、着替えの服とかって、いま持ってますか?」
次いで自分を軽く見上げている少女が顔を横に振る。
ムム――。
「――なら、先に服を絞りましょう」
耳の中がゴワゴワするので水を出す要領で頭を叩く。するとポロっと何かが出てきたので拾い上げると、原因はコードの無いイヤホンだった。
――そして確信する。
やっぱり、あの声は鈴木さんだったのか。
加えて、僅かな違いで今頃どうなっていたのか分からない危機的状況から生還できた最たる理由に今のうちから内心で感謝する。
何せ直前に一例を見ていたとはいえ、自ら吹き飛ぶなんて選択、咄嗟には思い付かない。
――ただ池に落ちたのは完全に偶然。
と以前に一度だけ訪れた事があった湖ほどはないものの、そこそこに大きい池を見遣る。
すると不意に肘部分の服がグイと引っ張られた。
「はい。――どうかしましたか?」
「……絞った、よ」
そう言って少女が手を横に広げ、着ている衣を見せる。
ム。
「ちょっと、待ってくださいね」
ボタンを外しそのままにしていた上着を脱いで、急ぎ、残る水分を絞り出す。
一先ず安心できる恰好になった相手を見て納得した後、水に濡れたのが主な原因で肌寒さを感じていた自分に何故かバスタオルが差し出される。
あ、タオルは持ってたのか。
「ええと、これは……?」
「――使って」
「いや、それなら妹さんが使ってください」
そして上着を返してもらえれば。
「嫌」
ガガーン。ではなくて――。
「――……何故?」
と聞いた途端に近くの草むらが揺れる。
ム?
すると、その茂みから、よろよろと出てきた人物が自分達の前で手をついて倒れ込む。
――え?
次いで近づこうとした矢先、こっちを向いた人物と目が合い。何故か自分よりも相手の方が驚いた顔をして、地面に腰を下ろしたまま、怯えるように後退る。




