第52話〔謝罪の意を身をもって示そうと思いまして〕⑤
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会場を離れ、いつか二人で歩いた真っ直ぐ自宅まで続く草原の道を駆け走る。
「――ヨウ、このままでは追いつかれます。もう少しだけ速く、走れそうですか……?」
並んで横を走る女騎士が、見ていた後方から転じ、こっちを向いて既に若干の汗をかき始めている自分に聞いてくる。
「一時的、になら――けど、長くはムリ、ですっ」
というかは相手の実力を考慮すると要求される速度の一割も出せる気がしない。
――とはいうものの、確実に近づいてきてるのはわざわざ見なくても声や音で分かる。
「そう、ですか。……――ヨウは、あの鳥の事を知っているのですか?」
鳥て……。
「ええと――まあ、そぅですね」
この速度で話すのツラい。
「ではあの鳥は、……異世界に居る鳥なのでしょうか?」
「居ないです……」
むしろ異世界に居るほうがしっくりくる竜なのですが。
「それでは何故、あの鳥の事を?」
今はあんまり喋りたくないのだが……。
「空想上、と言うか――居たかもしれない伝承的な生物、と言うか――」
――困る。
「なる、ほど。すると見たのはヨウも、初めて、でしょうか?」
「ハイ初めて、です。何故、そんな、コトを?」
「……いずれにしても、危険であるなら――倒す、必要があります」
次いで返事をしようとした瞬間、吹き上がるような強風に体を押さえつけられた事で足を止め、手で視界を保護する。そして、突風が過ぎ去った後に顔を上げると――。
おぉ……。
――これまでで最も近い場所に貌が在った。
……デカい。
単純な体積ではなく、目の前で広がるその存在感に圧倒された心が勝手に呟く。
直後、カロロと爬虫類みたいな鳴き声を発した朱竜の目前に女騎士が現れ――鉄と鉄がぶつかり合うような甲高い音と共に互いが後方へと弾けとぶ。と信じがたいことに、空中で二度方向を変え、呆然と見ていた自分の隣に騎士が戻ってくる。
おぉ凄い。
すると着地した相手が勢いよく自分に顔を向け。
「とぉぉぉってもッ、硬いです!」
ム。
「見てください、手が真っ赤ですっ」
そう言って見せる片手の平は、寒さで悴む手の様に赤くなっていた。
「だ、大丈夫ですか……?」
「はい。でも痛いので撫でてください」
「いや、痛いなら触らないほうがいいのでは?」
と言ったところで退いていた竜が高度を上げ、戻ってくる。
それ以前に、そんな暇はなさそうだ。
馬車などが往来する為に固められた道から少し離れ、膝下ほどの草原で上空から度々迫る爪を弾き返しては反撃に転じる女騎士の刃がまたしても急激に上昇する朱竜に届かず空を斬る。
今のは惜しかった。
しかしこれ以上は、仮に当たったとしても、埒が明かない。
うーん。――どうしたんだろう。
何故かは分からないが振るう剣にいつもの――といってもほんの僅か一瞬たりとも見えた事はないけど――キレがない。
などと思いながら観戦していると反撃に転じた女騎士が上に退避する竜を重ねて追撃する――が今一歩及ばず空を斬った。途端に、グンと直角に曲がり、こっちに跳んでくる。
へ? ぐわっ。
そして掬われる様に持ち上がった身体に負荷が、加速度的に、かかる。
やや離れた空で自分達の後方を飛行する朱竜を捉える視界に、どんどん後ろの景色が流れ込んでいく。
ふぅ。――さて、そろそろ。
「これはその、どういう状況ですか?」
片腕で腹部を持ち、自分を脇に抱えて走る相手に風圧の所為で向けられない顔を正面にしたまま先ず以て知りたい現状の説明を求める。
「え? ぁ、ハイ。実は、少々困ってます」
ム。――珍しい。
「ええと。やっぱり、硬さに問題が? それとも飛んでるのが?」
「いえその点は、煩わしくはありますが、対処できます。それとは別に、預言者様の仰っていた事が起点となり頭を悩ませています」
「……預言者様の言ってた事?」
「はい。預言者様は、ヨウが狙われていると仰っていました。――そして先の手合わせで、私もそれを、確信しました」
視界の端で、女騎士の頭部が動く。多分さっきから自分が見ているのと同じ相手を見たのだろう。
「――と言うと?」
「一見、攻撃をかわしている様に見えますが、おそらく私をヨウから引き離すのが目的と思います。――それを推し測り、今はこの様に距離を取りつつ、どう対処するかを考えています」
なるほど。
「なら、一度どこかに身を隠しましょう。そうすればジャグネスさんが離れたところで、襲われる事はありません」
そう言うと、何故か戸惑ったような口調で相手が承諾の返事をする。
ム?
「――俺、何かオカシナ事、言いましたか?」
「い、いえっ。……――私の、憶測かもしれないのに信じて、くれるのですか……?」
「いや、信じるも何も、最初から疑ってませんよ?」
特に戦闘に関しては。
「そっそう、ですか。――で、では、この先の草原まで、隠れ場をさとられない為にも、全速で駆け抜けますね!」
え、全速――ぐヘッはわぁあああアあァぁああああ。
――生まれて初めて、鼻から脳が出るかと思った。
「大、丈夫ですか……?」
背の高い草地の中で一緒に身を潜める女騎士が、四つん這いになり色んな意味でヨってしまった中身が戻ってくるのを待つ外見を心配して聞いてくる。
「なん……とか、そろそろ……――」
――ウぷ。
「す、すみませんっ」
そう言う相手の手が咄嗟に口を押さえた自分の肩に乗る。
「……なんで、謝るんですか? ジャグ、ネスさんは、なにも悪、くないですよ……」
ウッ。
「で、ですが……。――……何故、でしょう」
と肩に置いていた手をおろし、女騎士がその場に座り込む。
「……なにがですか?」
「私は何故、いつも、こうなってしまうのでしょうか……」
ム。――と自分も姿勢を変え、地面に腰を下ろす。
「こう、と言うのは?」
「……――ヨウの為に、何かをしようとすると、いつも失敗ばかりしてしまいます」
相手が伏し目がちに申し訳なさそうな様子で言う。
「そんな事、ないと思いますけど……」
むしろ助かってるのだが。命すら。
「いえ。――そんな事ありますっ。私、私は、もっとッ女らしくありたいのです!」
片手に剣を持ったまま、両拳を胸の前にもっていき、言い放つ女騎士。が慌てて刃物を後ろに隠す。
ふム。
「ジャグネスさんは十分に女らしい、と言うか女の人ですよ」
「性別の話ではありませんっ」
勿論です。
「……――ええと。ジャグネスさんは、どういうかんじになりたいんですか?」
「女らしくです!」
「……例えば?」
「例えば、その――愛くるしい、衣服を着るとか……」
「スカートですか?」
「い、いえっ。スカートは私にはちょっと……、――それに戦闘向きではありませんし」
後半をゴニョゴニョ言う女騎士の口から話題に不釣り合いな単語が出てくる。
せ……戦闘?
「――もとより、私の様に筋肉質な体では、何を……着たところで」
「そうですか? 普通に似合うと思いますけど。第一筋肉質って言っても、抱きしめたりしてる分にジャグネスさんは柔らかいですよ?」
「やっ柔ッ?」
そして何故かキョロキョロと周りを見てうろたえる相手、が突如として自分を押し倒す様に覆いかぶさってくる。と――。
「お静かに」
――思わず、何。と言おうとした口に手が当てられる。
すると倒れた先で、ナニかが羽ばたく音を風になびく草の音と共に聞く。
「どうやら、見つからずに済んだ様です」
空を正面にする自分の視界で顔を後ろへと向けている女騎士が、そう告げる。
「それはよかったです」
「はい、――咄嗟の事、で……」
馬乗りの現状に相手が気づく。と耳まで赤くしたのち持っていた剣の先が、腕のそば、地面にトスっと落ちる。
ぬわっ、危ない!




