第25話〔え えらいこっちゃ〕⑥
「よかったら使ってください」
観衆が沸く中、石台から降りた対戦相手に先日貰ったハンカチを差し出す。
そして、え? と驚く相手に、投げられて付いたであろう頬の汚れを教える。と慌てて甲で拭い、結果広がってしまう。
ム。
「ちょっと失礼します」
言って、慣れた感覚で相手の頬に付いた汚れを持っているハンカチで拭う。
「え、ぁの……」
それにしても長い。
転がった際にずれ落ちた、顔の半分を覆っていた襟を見て思う。
よし――。
「――はい、取れました。ちなみに、体の方は大丈夫ですか? 痛い所があったら無理せずに、診てもらってくださいね」
「ぇとあの、その……ありがとう、ございます……」
でハンカチを戻すと――。
「どうかしたのですか? ヨウジどの」
――勝利を宣告された後、客席に頭を下げていた短髪の騎士がやって来て、リングを降り、言う。
「いろいろとお世話になったので、お礼も兼ね怪我をしていないか聞いていました」
「……世話? ぇと、なん――なにの事を?」
「――ホリーさんが勝てたのは、実力だけでなく、隊長さんの気遣いもあったからだと思います。だからお礼を」
「どういうことですか? ヨウジどの」
「――しいて何とは言えませんが、前半はホリーさんの動向を見守る様な戦い方をしていたので、勝手にそうと」
「私は別に……そんなつもりで。ホリはもう、部下でもありませんし」
ム。
「――けど、隊長さんがもっと早くに本気で戦っていれば、結果は変わっていたと思いますよ?」
「あ。ヨウジどの、そのコトなら」
と話す度に対象が転じ、やや首が痛くなる。――と。
『申し訳ありませんが、次の試合もありますので早々に……』
あ、そうだった。
大切な用事を思い出し、司会に軽く頭を下げてから、改めて相手を見る。
「すみません。あとの予定があるので、この辺で。またどこかでお会いした時は、宜しくお願いします」
気持ち事務的かなと思いつつ、礼も加え。――短髪の騎士に向く。
「ではホリーさん、行きましょう」
「あ、はい」
次いで動こうとした矢先。
「ぁ、こっ今度ゆっくりとお話を」
ム。
「――はい、また今度」
反射的に無難な返事をする。
次の第三試合が始まる前に、向かわなければならない予定を控えて通路を足早に急ぐ自分と足並みを合わせ付いて来る短髪の騎士に顔を向け。
「ホリーさんはこのまま控室に戻って、次の試合まで休んでいてください」
「はい。ヨウジどのはジャグネス騎士団長の所へ?」
何処かはっきりしない表情で、相手が聞いてくる。
「ですね。――なにか、ありましたか?」
「ええっと聞きたいことがあったのですが、またあとで」
ム。
「なら内容だけ先に」
「ぇ、あ、それなら、さっきのアレはなにですか?」
「……アレと言うのは?」
「ワタシの頭を撫でたことです」
ああ。
「よくないことでしたか?」
「い、いえ、そんなことないですよっ。で、でもどういう意味が……?」
意味か。と言われても――。
「――特に意味は、悩んでる様子だったので」
幼い頃に、妹にやったような感覚で――。
「――元気が出ますようにといった、おまじないみたいなものです」
「なにですか? おまじないって」
「ええと。こっちで言うところの、お祈り……?」
だろうか。
「なるほど、異世界流の女神頼みですね」
「まぁそんなところです」
で、いいか。
「ちなみにホリーさんは、結局のところ、なにか悩んでたんですか?」
「んー、悩んでいたようなぁ、解決したようなぁ、そんな気分です」
片頬を指先で擦りながら、決まりが悪そうに短髪の騎士が言う。
まあしかし――。
「――問題がないのなら、それでいいんじゃないですか」
「え、いいのですか?」
「正しく生きるのは難しいです。なら、正しいと思う方に生けばいいんです。たとえそれが他人にとっては間違いだとしても、自分さえよければ、それで」
「ヨウジどのらしからぬ言葉ですね……」
ム。
「そうですか? 基本的に自分は、そういう人間ですよ」
と言ったところで、左右の分かれ道にさしかかり一時足を止める。
「――ではここで。あとでまた、控室に行きま」
「それならどうして、得の無い試合に出たのですか? 最初ヨウジどのは嫌がっていましたよね?」
同じ様に、やや後ろで立ち止まった騎士が前回と同様の表情で言い表わす。
「その答えなら試合の前に……」
「はい。でもその時はワタシが無事に帰ってくる事が望みだと」
「そうですね。それでは納得できませんでしたか?」
「いえ納得しましたっ。なので……ヨウジどのらしからぬ言葉と」
ふム。
「あれはホリーさんの為に言ったんではありません。自分の為です」
「じぶんの……?」
「ホリーさんに何かあって、今晩の魔火……ですか、を観れなくなったら、皆が悲しみます。同様にホリーさんが落ち込んでいても、俺は楽しめません。全部自分の為、自分が楽しむ為に、している事です」
「それならワタシが、ヨウジどのの助けを断って死のうとしたら、どうしますか?」
どういう質問だ、それ。
「……――今回の場合は、知った事ではないですね。俺の好きなようにやります」
だから、ではないが。
「という訳なので、そろそろ行きますね。ジャグネスさん、待ってると思いますし」
言って、行く先に体の向きを変えようとした途端――。
「ワタシそういうのちょっと興奮します……ッ!」
――手で鼻ごと口を押さえる様に相手が言う。
ちょっとナニを言いたいのか分からないです。
短髪の騎士と別れた後、間に合った事に安堵しつつ待たせたであろう時間を気にしながら控室の扉を手前に引いて開ける。といきなり目の前に女騎士が立っていた。
思わず内心は声を上げ、体はビクッと揺れる。
「ヨウっ! さっきのアレは何ですかッ何なのですかッッ何故なのですかッッッ」
ぬわっ、わわ、わっわわわ。
そしてガッチリと両肩を掴まれて上下に激しく頭が揺さ振られる。
「落ち、落ち着い、落ち着いてくださっ」
「なぜ何故なに故にッどういう訳でっ!」
わ、わわっ、わ――こうなったら仕方ない。支障のない程度に――。
「へ? ぁ、ぁぅんっ」
――抱き締める。
特訓の成果、はたまた鎧の隔たりがあったからか、耳まで真っ赤にしながらも程よく落ち着いた女騎士をベンチに座らせたあと、自分は前で立ち、頬を自身の手の平で挟む様にして触れている相手を窺う。
思わぬところで役に立った。――覚えておこう。
「落ち着きましたか?」
「はい……。ただ少し、驚きました」
ム。
「すみません、咄嗟だったので。次はできるだけ、配慮します」
「ぇ。つ、次があるのですかっ?」
なんで嬉しそうなんだろう。
「……まぁその――」
できればこういう遣い方はしたくないのだが。
「――そ、それよりも、どうしたんですか? 急に」
「え? あ、そうでした。ヨウっ、アレは何でしょうッ?」
座ったまま、やや前傾した姿勢で気持ち声を上げて相手が言う。
「アレ……」
……――あ。
「おまじないのコトですか?」
言って手の平を撫でる様に小さく振る。
「おまじない?」
「ええと。……女神頼み? と言うやつです」
「なる、ほど。――それを、私にもしてくださいっ」
「え。ぁ、はい。いいですよ」
と頭に手を伸ばそうとした矢先――。
『第三試合に出る選手は速やかに試合場までお越しください』
――放送が流れ。
「取り敢えず、向かいましょうか」
撫でるのは向こうでも。
「駄目ですッ先にしてくださいっ。勿論、試合場へ行く途中や試合中もしてください!」
試合中はダメでしょ。




