写真
あなたには失いたくないものはありますか。
失いたくない記憶がありますか。
あなたはそれをどのように残しますか。
ここは、そんなあなたのための場所なのです。
「シキさん」
とある日の午後。開けた窓から入る穏やかな風が、花の香を連れてくる。
「どうしたんだい?リオ」
「先程訪れた方が預けていったこれは何ですか?」
テーブルの上、正しくはそこにある一枚の紙を小さな手で指差す。
つい先程までこの場にいた一人の女性が残していったそれは、光沢のある紙が様々な色彩に彩られていた。
「リオは、これを見るのは初めてだったかな?」
からかいを含んだ声でシキがそういうと、リオはムッとしたように微かに頬を膨らませた。いつもの大人びた姿と比べ、年相応の態度が可愛らしい。
「似たようなものはあります。でも、こんなにきれいな色はついていませんでした」
丁寧にシキに答えるものの、いまだ膨れたままのリオをなだめるようにその頭を撫でる。
「これは写真だよ。きっとリオが言っているものと同じものだ。違うのは時代と共に、それが二色の色から、様々な色に変わったというところかな」
それを聞いて、ふうん、とリオはテーブルの上の一枚の写真をのぞき込んだ。その目には隠しきれない好奇心が覗いている。
「この写真は何の建物を写しているのでしょう?」
「そうだね。どこかの校舎…大学だと思うよ。さっきの彼女がそこに通っていたのかもね」
「大学…? 高貴な男性方が後に進学するところですか? 何故そのようなところをわざわざ写真に撮ったのですか?」
リオが首を傾げる。おそらく、今まで学校というものに縁がなかったリオには、その行動の意図が理解できないのだろう。
そして、学校という教育の場を経験することなくここまで成長してしまったからなのか、リオは自分の知らないことを、体験したことのないことを知りたがる。
分からないのに教えてもらえない。そんな環境にいたこの小さな少女は、この店に来てから知ることを覚えた。知ることの面白さを知った。
そんな少女だからこそ、できることをしてあげたいと思うのだ。自分が教えられることを、この子どもが望むものを、あげたいと思うのだ。
それがたとえ、大人のエゴであったとしても。
「そうだね。きっと、思い出として残したかったからじゃないかな」
「思い出?」
「そう、人の記憶というものは酷く曖昧なんだ。それは人間が思っている以上にね。だからこそ、人は物を頼る。不完全な自分たちの記憶を補うために利用する。…ああ、別に悪い意味で言っているんじゃないよ」
微かに眉を顰めたリオに気付いて言葉を付け足す。
「人には忘れたくないこと、忘れてはならないことがあるんだ。そのために、人は写真にそれらを残すんだ」
「…忘れたくないこと、忘れてはならないこと…」
「…リオにも、忘れたくないことがあるかい?」
シキが優しく微笑みながらリオに尋ねた。その目にはどこか悲しみが浮かんでいる。
「私は……私は、シキさんとの時間を忘れたくありません」
リオがシキの目を真っ直ぐ見て、そう言った。
シキは真剣なリオの表情を見て目を細めた。そこには全てを包み込む春の日差しのような優しい光が灯っている。
「そうだね。僕も、リオとの時間を忘れたくない。これを預けていった彼女も、きっと同じ気持ちだったんだよ」
忘れたくない。
残しておきたい。
失いたくない。
だから、これをここに――『預り屋』に預けたんだ。
シキは手元の写真を見ながら、小さく呟いた。
ここは「預り屋」。
預けたいものなら何でも預ります。それが形あるものでも、無いものでも、何でも。
失いたくない時をこの店で過ごしながら、今日も僕らはその扉が開くのを待っている。




