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預り屋  作者: 蒼斗
20/20

another story

 穏やかな風が、肩の上で切りそろえられた髪を揺らした。見慣れた黒の髪は、風が通りすぎると重力に従って元の位置へと戻った。あの人がよく撫でてくれた髪。

 膝の上に広げていた古い装丁の本を静かに閉じて机の上に置くと、長いこと座りっぱなしだった一人がけのソファーから立ち上がって窓に近づく。

 暖かな陽の光が、あの人を思い出させた。


 あの人はどうしているだろうか。

 ずっとこの店で店主として、預りものを預っていた人。

 ずっとこの店で待っていた人。

 ずっとこの店に預けられていた人。

 この店の初めての「預りもの」。

 私の初めての「返しもの」。










 父と母に、一度だけ聞いたことがあった。

 本当に小さい頃、その内容を覚えていることが自分でも不思議なくらいの年齢に聞いたことだ。


 そこにはいろんなものが預けられていて、そして返されていく。

 そこは様々な時と繋がっていて、全ての時の狭間にある。

 そこにいるのは一人の少女。黒髪に黒目、表情の乏しい、しかし綺麗に微笑む少女。



 そんな店の話を、聞いたことがあった。


「きっと、いずれ忘れてしまうだろうけれど」


 小さい頃に聞いたそれを、どうして覚えていたのかは分からない。けれど、その話をした時の父と母の表情は今でも鮮明に思い出せる。それは本当に大切なものだったのだろう、優しく微笑む父の姿は忘れられない。


「いつ会えるの?」


 どうしてその質問をしたのか、今となっては分からない。まだ見ぬ少女に会ってみたいと、それよりもっと強く、いつか会うのだろうと、何故か漠然とそう思った。確証を秘めていたそれに、理由なんてなかった。

 父はその言葉に軽く目を見開き、それから、父と同色の明るい茶の髪を優しく撫でながら言った。


「その時が来たら、きっと分かるよ」


 「その時」は未だ来ないまま、あれから十年の月日が流れ、あの時質問をした僕は十五歳となった。



 *



 学校帰り、急に降り出した雨に帽子をおさえて走り出す。ついさっきまでおかしなくらいに晴れていたというのに、全くついていない。この分だとまだ止みそうにもないだろうと早々に判断した僕は、どこか雨宿りできる場所を探して視線を迷わせる。

 ふと視線がある一点に向いた。

 特に派手なわけではない。むしろ周りに溶け込んでしまうような、意識しなければ通り過ぎてしまうような、そんな店。

 それなのに、理由もなく目を奪われた。

 そこに行かなくてはならない気がした。

 木製の重そうな扉を開く。目の前に飛び込んできたのはいくつも並んだ棚。その中には乱雑に統一性のないモノたちが並んでいる。

 初めて見るはずのその様子に、どうしてか既視感を覚えた。


「いらっしゃいませ」


 突然声が響いた。そちらに顔を向ける。声と共に、足音も近づいてくる。


「ここは『預り屋』です。あなたの預けたいものは何でも預かります、それが形あるものでも、無いもの、でも……」


 何でも…。という言葉は掠れて部屋に落とされた。視線を向けた先には、棚の隙間から表れた一人の少女がいた。

 肩で切りそろえた髪が、少女の動きに合わせて揺れた。真っ直ぐな黒髪の下からのぞく大きな黒の瞳は強くもなく弱くもなく、何とも言えない光を灯している。白いブラウスにシンプルな黒のワンピースを着た、十一、二歳程の少女。

 初めて見る。けれど、父と母が聞かせてくれたあの店の、あの少女だと、不思議と確信を持った。


 ずっと会いたかった。ようやく会えた。


 少女は無表情の中に驚愕の色をのせる。しかし、その視線が自分の髪と目に向けられているのを知って、ふとその感動が霧散していく思いだった。父親譲りの明るい茶の髪と同色の瞳が日本人離れの容姿を作り出していることは分かっている。きっとこの少女もまた――――――


「…シキ、さん…?」

「え…?」


 少女の唇にのせられた、空気に溶けて消えてしまいそうな程小さな呟き。

 今、この少女は何と言った? 「シキさん」?

 父を、知っているのか?


「『シキ』は、僕の父の名だよ」


 それを聞いて小さく息を漏らす。瞳が水の膜を張って、ただでさえ大きな瞳をより輝かせた。その反応で確信を持つ。この少女だ、と。



 その時が来たら、きっと分かるよ。



 ……そっか、そうだったんだ。

 父さん、どうやら「その時」が来たみたいだ。

 思わず漏れた笑みをそのままに、言葉と共に右手を差し出した。まるで当たり前のように。


「―――迎えに来たよ」


 待っていたんだ。父さんも、母さんも、そして――――僕も。

 その少女は水の膜を張った瞳を溢れんばかりに見開いて僕の手を見る。その瞳が揺らいだ。

 そうしてふわりと微笑んだ。細められた瞳から溢れた透明な涙が、少しだけ赤みのさした頬を伝っていく。


「はい…!」


 自分の手よりも小さく、それでいて温かい少女の手。初めて見せた綺麗な微笑みと共に、僕の手をとった。

 何処かで、ガラスの割れる音がした。



 父さん、話してくれてありがとう。

 この子に会わせてくれてありがとう。



 *



 もう一度。

 もう一度だけ会えたら、私はあなたに伝えたい。


 ありがとう。

 愛されることを教えてくれて、

 愛することを教えてくれて、

 私を愛してくれて、

 愛させてくれて、


 あの場所を与えてくれて、

 彼に会わせてくれて、

 もう一度、あなたに会わせてくれて、


 ありがとう。



 *



 かつて、店があった。


 そこにはいつも微笑んでいる童顔な店主と、大人びた無表情な少女がいたという。


 いらっしゃいませ。

 ここは「預り屋」。

 預けたいものなら何でも預ります。それが形あるものでも、無いものでも、何でも。


 そう言って迎える彼らはもう店にはいない。



 *



 とある旧家には、よく似た明るい茶の髪と、同色の瞳を持つ父と息子、そして艶やかな黒髪と大きな黒の瞳を持つ母、そして、つい最近家族になった、母によく似た容姿の一人の少女の家族があった。

 その家族には、彼らしか知らない秘密がある。


 とある店の秘密が。

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