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預り屋  作者: 蒼斗
2/20

日記

 あなたは日記をつけているだろうか?

 もしくはつけていただろうか?

 つけているなら、お気を付け下さい。







 8がつ4にち

ぼくは、おとおさんとおかあさんとゆうえんちにいったよ。あいすくりーむおたべたよ。おいしかった。


 9がつ7にち

おとうさんとおかあさんのしごとがやすみになった。ぼくのじゅぎょうさんかんにきてくれた。



 何枚か先のページをめくる。おそらく小学校高学年くらいなのだろう。それまでの拙い文章とは異なり、漢字や慣用句が所々に見られた。



 4月7日

あの子と同じクラスになった。席はとなりだ。


 4月9日

委員会決めがあった。じゃんけんでオレ一人がチョキで勝った。あの子と同じ委員会だ。



 この頃はまだ純粋だったと思う。さらに何枚かめくった。勉強や部活のことが書いてある。中学生になった後のものだ。



 2月3日

オレが勉強したところだけテストに出た。満点をとった。


 6月9日

陸上大会の選手決め。前日にあいつが怪我をしてオレが選手に選ばれる。オレの方が上手いから当たり前だ。


 8月・・・



 *



「預り物なんかねぇよ」

「…そうですか」


 オレがソファーにふんぞり返ってはっきりとそう言うと、向かいに座る男が微笑みを崩すことなく静かに答えた。

 年は二十代中頃といったところだろうが、童顔のせいで威厳というものが全く感じられない。下手をすると、高校生である自分より年下に見えるかもしれない。

 染めているという感じが全くない、少し長い明るい茶の髪と同じ色の瞳が静かにオレの瞳を覗き込むが、こちらからはその奥にあるはずの感情を読み取ることができない。常に微笑みを浮かべる表情と相まって妙な不気味さがある。奥底からじわりと湧き出る恐怖を抑え込むようにわざと大きな声を出した。


「つーか、そもそもここは何なんだよ! こっちはたまたま目についたから冷やかし目的で入っただけだっていうのに、『預り物はありませんか?』ってふざけんじゃねぇぞ」


 そもそもオレがこの店に入ったのはなんとなくだ。ふと目に付いたこの店を、暇つぶしに少し覗いてすぐに帰るつもりだったのに、急に店の奥から現れた少女に驚いているうちに、いつの間にかこの男のもとに連れてこられていた。

 まあ…警戒心を持ちつつも少女の後を追いかけてしまったのは、どこか現実離れした雰囲気を感じさせる、燭台に照らされた店の奥の扉の向こう側が気になったというのもあるのだが。

 オレの言葉を聞くと、男は少し驚いたように数回瞬きをして、男から少し離れた部屋の隅でお茶を淹れていた少女に顔を向けた。


「リオ、何も話していないのかい?」


 どうやら自分を店からこの部屋まで案内してきた少女の名はリオというらしい。

 リオは男の言葉を無視してポットに湯を注いでいる。しばらく黙って見ていると、注ぎ終えたのか、ポットに蓋をしてこちらを振り返った。リオの中では、オレ達…もとい、目の前の男よりお茶の方が優先らしい。どう考えてもこの男の方が少女より上の立場であると思うのだが。

 肩で切りそろえた真っ直ぐな黒髪が微かに揺れる。先程燭台の蝋燭に照らされた時にも思ったが、その大きな黒い瞳には、強くもなく弱くもなく、何とも言えない光を灯しているように感じた。


「私は説明しようとしましたよ。けれどそのお客様が私の話を聞こうとはなさいませんでした」


 可愛らしい声が部屋に響く。が、その喋り方は可愛らしい見た目にも声にもそぐわない、どこか無機質なものを感じた。

 男は困ったような笑みを浮かべてこちらに向き直す。


「とりあえず、自己紹介がまだでしたね。僕は『預り屋』の店主、シキといいます。あちらはリオ」


 シキの言葉と共にオレに丁寧にお辞儀をするリオ。しかし、オレはそれを無視した。というより気になることがあった。


「『預り屋』?」

「ええ。この店はお客様が預って欲しいものを何でも預ります。形あるものも、無いものも、何でも」


 静かな微笑みを浮かべながら、明るい茶の瞳を真っ直ぐに向けてくる。全てを見透かすような視線。心の中を読まれている気分だ。


「この店は必要な人しか入ることはできず、見つけることすらできません。あなたにはこの店が必要だったのですよ。何かを預けるために」


 そう言うと、シキは口をつぐんだ。静寂の中、リオの紅茶を注ぐ音がやけに大きく耳に響く。


「だっ、だからオレにはそんなものねぇって…」

「本当にありませんか?」


 オレの言葉を遮るように、シキが再び口を開いた。その言葉と共に投げられた視線は先程までのオレの瞳ではなく、オレの隣に置いてあるスポーツバックに向けられている。

 コイツっ…! 本当に人の心読めんじゃないだろうな!

 あれだけ必死に抑えていた恐怖と不安が急にこみ上げてきた。

早くここから、この男の前から逃げたい!

 そう思うが早いか、オレは部屋を飛び出し、リオに案内されて通ってきた廊下を走って、扉を開けて外に出た。

 しかし、部屋を出る時に確かにオレの耳に届いた。



 未来の作り方には気を付けて下さいね。



 シキの言葉が、確かに聞こえた。



 *



 あの店何だったんだよ!

 あれから全速力で走って家にたどり着いた。どの道を通ってきたとかは全く覚えていない。つーか、そもそもあの店どこにあったっけ?

 いや、それよりもあのシキとかいう男! なんであの日記の事を知ってやがる? 誰も知るはずがねぇ。オレしか知らない筈だ。くそっ…! 何なんだよ!

 ベッドに鞄を投げようとしたが、寸前で思い留まる。


「アブね…」


 あれに何かあったら、今日あの店から逃げてきた意味がねぇ。

 オレは鞄の中から、最近の高校生が使うにはかなり似つかわしくない赤茶の皮表紙の本を取り出した。ノートにしては分厚過ぎるが、小説にしては装丁が何もない。中を開く。そこには何も書かれてない。罫線だけがひかれている。

 何も書かれていなくて当然だ。ここにはオレが書き込むんだから。

 オレは昨日書き込んだページを開いた。



 6月1日

あの子が階段から落ちそうになる。オレが助ける。



 たった一行の文。書いてある文章に嘘はない。しかし昨日書いた文章にも関わらず、日付は今日になっている。それを見て、オレは無意識に口角が上がっていた。

 明日の日付を新しい欄に書き込む。さて、どうしよう。あまりいいことが起こり過ぎては周りに怪しまれる。まあ、噂を立てられても誰もこんな物は思いつかないし、(言うつもりは毛頭ないが)言っても誰も信じないだろう。


 書いたことが現実になる日記なんて、誰が信じる?


 自分でそう否定する。


『未来の作り方には気を付けて下さいね』


 同時に部屋を出た時のシキの言葉を思い出した。心情の読めないあの明るい茶の瞳に今も見られているような感覚になる。言われなくても分かってるさ。―――そうだ。あの店について書こう。



 6月2日

昨日行った店のシキとリオが事故にあって死ぬ。



 これでいい。誰もあの店のことは知らない。オレが行ったことも知らない。オレの日記のことを知る奴はいなくなった。上出来だ。


「お兄ちゃん」


 背後から声がした。振り返ると、小学4年生の妹が廊下からこっちを見ていた。


「何だ?」

「それ…また書いてるの?」


 責めるような視線を投げかける。その様子に、いい気分になっていたのがぶち壊された。


「何だよ。文句あんのか?」


 椅子から立ち上がって妹に詰め寄る。


「そういうつもりじゃ…」

「だよなぁ」

「でも…またあんなことがあったら」


 ダン! と壁を拳で殴った。間近での大きな音に、妹は「ひゃっ!」と首をすくめる。


「うるせぇ! こんないいもんを持ってんのに使わない手はないだろ! こういうのはうまく使えばいいんだよ!」


 オレの怒鳴り声にますます体を縮こませる。


「あの日記は絶対に手放さねぇ…日記があればオレは明日を手に入れられるんだ…!」


 オレはまた無意識に笑みを浮かべていたが、その笑みは酷く歪んでいた。



 *



 階段を降りていく兄の背中を、強張った表情で見送る。それが見えなくなってからしばらくたって下の階からシャワーの音がして、ようやく体が動くようになった。

 主がいなくなった部屋に入って、さっきまで兄が書き込んでいた日記を開いた。これまで何度も見ていたのか、そこだけ開き癖がついている。



 4月3日

お父さんが事故にあう。ぼくたちはもうなぐられない。



『絶対に守ってやるからな!』


 あの時のお兄ちゃんの表情は今でも思い出せる。

 けれどお兄ちゃんは変わってしまった。

 自分はちっぽけだ。あの時も、震える手でペンを握るお兄ちゃんを泣きながら見ていることしかできなかった。今だって、私の言葉はお兄ちゃんには届かない。その無力さにいい加減腹が立つ。

 目をつむる。次に目を開けた時、視界にはあの日記があった。



 *



『――――本日8時頃、○○交差点で大型トラックが歩道に突っ込み、通学途中だった男子高校生が巻き込まれ死亡しました。トラックの運転手は―――――』

「なんで…!」


 なんでお兄ちゃんが死ぬの?私が望んだのはこんな事じゃない!私は―――――――――


 *


「何故彼は死んだのでしょう?」


 紅茶を淹れたカップをシキの前に置きながら、リオが尋ねた。


「そうだね…」


 シキはその香りが鼻腔をくすぐるのを感じながら紅茶を口に含んだ。リオが黙っている中、静かにカップをソーサーに置く。


「こうでもならない限り、彼は日記を手放せなかったんだと思うよ」

「生きている限り、彼が日記を手放す事はできなかった、ということですか? けれど、彼女が書いた内容では事故死とまでは記述されていません。むしろ事故にあうのは私達だった筈です」

「普通はそうなるよ。ただ彼は僕達に向かって、僕達を呪うような言葉を書いてしまったからね」

「どういうことですか?」


 首を傾げるリオ。


「呪いというものは、かける対象があるからこそ意味をなすんだ。もしその対象が存在しなければ、呪いはどうなると思う?」

「行き場を失って…かけた者の下へ戻る…」

「その通り。形の無い物は、一番関係の強い物に惹かれるからね。彼は存在しない僕等に対しての記述をしてしまった」

「だから彼の下に行き場を失った言葉が戻ってしまった…」


 そういうこと。と、シキは静かに言う。

 リオはテーブルの上に置いてあった赤茶の皮表紙の本を手に取った。

 それを開くと、一枚の紙が落ちてきた。乱雑に破られてはいるが、この日記の一ページだと分かる。日記の最後のページにも破られた跡があり、二つが元はくっついていたことが分かる。



 6月2日

お兄ちゃんが日記を手放しました。



 この日記の中の文字とは似ても似つかぬ、少し丸みを帯びた文字。

 リオはその紙を挿み直すと、再びテーブルに置いた。


「あの時、彼が日記を預けていたら、何か変わったのでしょうか?」

「…さあね」





 ここは「預り屋」。

 預けたいものなら何でも預ります。それが形あるものでも、無いものでも、何でも。


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